第43話 生きたい、生きて欲しい
星焔が泣いているところを初めて見た気がする。いつも感情に幕を下ろしたような無表情ばかり見せる彼女の心の奥底に初めて触れたような、そんなアンビバレントな瑞々しい感情が僕の胸を打った。
「悪い知らせだ。私の心臓が止まったらしい」
「お、おい、どういう事だよ。だって、お前は生きたいって」
「私は、どうやら生きちゃいけないみたいだ」
星焔の姿が煙のように溶ける。
「待て、星焔!」僕は慌てて抱きしめたけれど、僕の腕は輪郭を壊すだけに終わった。
「そんなのってありかよ………相良さん! 先生は呼んだか!?」
僕は電話口に向かって叫んだ。これで終わりなんてあんまりだ。せっかく生きる決意をしたのに、体が死ぬから終わりだなんて、そんな結末はひどすぎる。
まだ何かできるはずだ。僕にできる事があるはず。
「え、ど、どこから呼べば……」
「ベッドの脇のボタンだよ! ナースコールがあるだろ!」
「あ、ありました!」
僕はとにかくできる事を探した。足が自然と病室に向かっていた。
「僕もすぐに行く! 相良さんは瑞星とおばさんのそばにいてくれ!」
「は、はい!」
「一生懸命なのは嬉しいんだけど、君が悲しむところも見たくないなぁ……」
「おい、それを遺言にしたら承知しないからな!」
「はいはい……ごめん、もう限界みたいだ」
「くそっ、諦めるんじゃない!」
星焔の姿が完全に消えた。去り際は水蒸気のように儚いものだったけど、不思議と寂しくはなかった。まだ彼女がそばにいるような心強さがあった。
心がまだここにあるような温かさ。僕は知らず知らずのうちに走り出していた。
しかし、病室に着くと、既に医者と看護師がおり、星焔の顔に白い布をかぶせているところに遭遇した。
「午後3時42分。ご臨終です」
「おい待て! まだ死んじゃいない! 星焔はまだ生きている!」
僕は看護師と機械をかき分けて白い布を剥ぎ取った。
「なあ、そうだろう、星焔! お前、生きたいって言ったよな!」
「部長さん!? ダメですよ! 怒られます!」
相良さんが驚いて僕の腕を取るが、僕は構わずに星焔の体を揺さぶった。
「なあ、星焔! 目を覚ませよ! なあ!」
「ダメですよ! もう、ほむら先輩は……」
「だから死んじゃいないんだって!」
病室はにわかに騒然となった。ベッドにかじりつく僕と、僕をベッドから引き剥がそうとする看護師たち。瑞星も困惑していたが、僕の行動に感化されたのだろうか。僕の隣で星焔の手を取ると一生懸命に話しかけ始めた。
「おねえちゃん……まだ死なないでよ! ねえ、おねえちゃん!」
「みずほ先輩まで! もうやめてください……もう、やめてください!」
相良さんは悲鳴をあげてその場にふさぎ込んだ。
僕と瑞星はいつまでも呼びかけ続けた。僕達にできる事はこれしかなかった。
星焔が戻ってくる場所を示し続ける事しかできない。ここに居場所があるのだと伝え続ける事しか僕達にはできなかった。
しかし、それはしょせん民間療法にも満たない根性論である。呼びかけただけで人が戻ってくるなら、この世に医者は要らないであろう。
何かのはずみでベッドが大きく揺れた。たぶん、看護師の一人がぶつかったのであろう。その衝撃は大したことがなかったけれど、ベッドの上に眠る人を揺さぶるには充分であった。
どん、とベッドが揺れた拍子に星焔の体が僕の下へと転がってきた。
その、
星焔の胸に触れた時、僕は悟ってしまった。心臓が止まっている。星焔がもうここにはいない事を、理解してしまった。
彼女が死んだことを突きつけられたようだった。
「あああぁぁぁぁぁぁぁぁ!」
鼓動の停止を告げる電子音が、僕達を嘲笑っているようだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます