第42話 七星戯曲の目的
僕はとうとう七星の正体を口にした。
「君の正体は……君は、君こそが天渡星焔だ!」
「………………」
「昏睡状態で眠り続け、いま、死の危機に瀕している天渡星焔。その張本人だ! そうだろう」
僕は確信を持ってそう言った。彼女の言動や性格が星焔そっくりである、という事もそうなのだが、そもそも七星戯曲という名前を名乗った事こそが一番の答えであった。
七星戯曲という名前は、僕達にとって特別な意味を持つ名前だ。僕と星焔しか知らない名前なのだ。
七星戯曲あらため天渡星焔は不適な笑みを浮かべてクックックと喉を鳴らした。
「それが分かったからどうしたと言うんだ? 私が生き返らない理由なんてなおさら明白だろう」
「さっぱり分からないよ………。君の考えている事なんて何一つ分からないさ。ずっとそうだった」
「だけど瑞星は分かりやすいだろう? あの子は君の事が好きなんだ」
「……僕は、君のミステリアスな所に惹かれていたんだがね」
「彼女はとても家庭的だぞ? 私の代わりに家事当番もしてくれるし。きっと素敵なお嫁さんになるだろうよ」
「はあ……? たしかに瑞星はみんなのアイドルだけどさ。君は何が言いたい?」
星焔の話がさっぱり見えない。瑞星が僕の事を好きだとしたらなんだというんだろう。女の子の気持ちを軽んじるつもりは無いが、いま、瑞星の好意が重要だとは思えない。生き返るか死ぬか、その話をしているのである。
「だから、私は生き返るつもりが無いと言っているんだ」
「…………」
星焔は明後日の方を見た。遠くを見つめる瞳が詩的に美しく、絵画に書いたら映えるだろうと思った。
「私はね、妹の事が大好きなんだ。家でも明るくて本当にいい子なんだよ。君は私の事が好きなんだろうけれど、あの子は君の事が好きなんだ。……だったら、私がいなくなれば解決すると思わないかい?」
「思わない」僕は即座に答えた。
「まったく思わない。瑞星と僕をくっつけようとするのが構わない。が、それで瑞星が喜ぶとは思えないし、なにより僕が納得しない」
「君の事は知らないよ」
星焔はにべもなく言う。あくまでも瑞星の事が大切らしい。
だけど、瑞星の気持ちを受け入れるとかいう話の前に、星焔の決断は間違っていることだけは分かる。まだ彼女は生きているのである。自ら死を選ぶなど、どんな理由があっても許される事ではない。
「星焔。君は人として一番大切な事が欠けているぞ! 自分がいなくなれば瑞星と僕が上手くいくなんて本気で思っているのか!? 馬鹿にするのも大概にしろ!」
「そこはさぁ、上手くやれよ。私の遺言だぞ」
「本当に君というヤツは………!」
脳裏に瑞星の言葉が蘇る。お姉ちゃんに場所を返してあげたい。彼女はそう言った。誰よりも星焔の帰りを待っているのが瑞星のはずだ。あのときの顔は紛れもなく家族の顔だった。たった一人の姉の帰りを待つ妹の悲しみだった。
だったら僕が星焔を連れ戻さなければダメではないか。
「ねえ、浅葱くん。人はいなくなるんだよ。いつか、必ずね」
七星が流し目で僕を見た。
「………………」
「君と過ごして、君と笑って、君と泣いて、分かったんだ。瑞星を幸せにできるのは君しかいないってね。だいたい、さっさと付き合ってしまえばよかったんだ。天渡星焔の名をかたっていた時にあっさり付き合っていれば私も未練なく逝けたんだがねぇ」
「付き合えだと……? 僕が何のために耐えてきたと思っているんだ」
「それこそ無駄な努力というやつだ。君と瑞星はお似合いだよ。隣から見てていつも思っていた。瑞星は君に心からの笑顔を見せるし、君の表情は……なんだろう、輝いて見えたよ。それは、私といるときにはあまり見せない輝きだった。私には見せないのにね。それが悔しかったし、どこかで諦めていたんだ。……君を幸せにできるのは瑞星の方なんだって」
「だから、いなくなってしまえば解決だと?」
「これしか思いつかなかったんだよ。だって君は私が生きていたら私と付き合おうとするだろう? それじゃあ瑞星が悲しむんだ」
「……だから、だからこのまま死ぬって? ふざけるのも大概にしろよ!」
「――――ッ!」
星焔はビクッと飛び跳ねた。僕が大声を出すとは思っていなかたようである。が、僕だって怒る時は怒る。言っても聞かないなら、もう取り繕う事もやめてしまった方が良い。
僕はありったけの本心を思いつくままに吐き出した。
「自分がいなくなれば解決するなんてただの独りよがりだ! 瑞星はなぁ、お前に場所を返そうと、お前の場所を奪ったら妹失格だと言って、困惑してもいいのに、僕達にお礼まで言ったんだぞ!? そんなヤツが、お前の死を喜ぶと思うか? なあ、死んで上手くいく事なんて何一つないんだよ。お前はお前の想いを瑞星に話したのか? 瑞星がお前に消えてくれと言ったのか? 言うわけないだろう! 誰よりもお前の事が好きなんだよ! 瑞星は!」
「…………………」
「お前に死んでほしくないのは僕だけじゃない。そりゃあ、いつか死ぬだろうさ。僕も君も瑞星も、みんないなくなるさ。だからといって、それが今いなくなっていい理由にはならないだろう! お前の帰りを待ってる人がいるのにいなくなるなんて自分勝手だ! 戻ってこいよ。死ぬなよ……なあ」
「浅葱くん………」
「瑞星の幸せを願う君を……じゃあ、誰が幸せにするんだよ……」
「……………………」
頬に冷たい物が伝う。僕はどうやら泣いているらしい。思いつくままに喋ったから支離滅裂だったと思うし、結局、僕の想いは伝えられていないように思う。瑞星のことばかり口にしたのではないか? 僕が星焔の事を好きなのだと言わなければ意味が無いのではないか? そう思ったけれど、ふと顔をあげれば星焔も泣いていた。
大きく見開いた目から大粒の涙が零れ落ちていた。
「私だってさぁ、浅葱くんを幸せにしたいよ。浅葱くんに幸せにしてもらいたいよ。生きたいよ……。でもさぁ、どうすればいい? 瑞星も好きなんだよ、私は。瑞星を悲しませたくないんだよ」
「それは……どうしようもない事だ。だって、僕は天渡星焔、君が好きなんだから」
「ひどい……ひどいヤツだ。最愛の妹を差し置いて私に幸せになれというのか?」
星焔の声は震えていた。横隔膜の収縮が上手くいかないようで、それは、生きている人間なら誰もが経験するもどかしさである。
「仕方ないだろう。僕は君を幸せにしたいのだから。瑞星には申し訳ないけれどね」
「本当だよ……。ひどい姉で、ごめん……。ねえ、瑞星。私も幸せになってもいいよね」
星焔は子供のように泣きじゃくっていた。人を見下したような態度も、すべてが子供だましと言わんばかりの口調も無い。ただの女の子だった。僕はようやく天渡星焔が何者であるか分かったように思った。
自然と、星焔が僕の手を取った。瑞星が長身だからすっかり忘れていたけれど、星焔の方が背が低いのである。僕と彼女の背丈は頭一個分違う。
星焔は僕の胸に顔をうずめるふりをした。こればっかりは体が無いとできない事だ。胸の辺りに冷たい空気の塊を感じる。空虚の暗喩にも思えたが、でも、もう心配は要らない。すぐにできるようになる。星焔が生きる事を決めたのだから、すぐにできるようになるのだ。
今までできなかった分も含めて、たくさん触れ合う事ができる。
ズボンのポケットが揺れた。触って確かめると電話が来ていたのだった。
「悪い、星焔、電話だ」
「こんな時に……相手は?」
「……? 相良さんだ。何の用だろう」
僕は不思議に思いながらも電話に出た。星焔が生きる選択をしたことで体の方に変化があったのかと思ったけど、物事はそう都合よく回らないらしい。
「あ、部長さん! 大変……大変です! ほむら先輩の……ほむら先輩の息が!」
彼女は動転していた。電話口からは病室の混乱が伝わってくる。瑞星の泣く声と、おばさんの必死に呼びかける声。そして、ピーーーーという電子音。
「浅葱くん、どうやら私の心臓が止まったらしいね」
星焔は静かに呟いた。彼女の輪郭はもやのように薄く、いつも以上に捉えどころのないフワフワとした、水蒸気といって差し支えないほどに形を留めていなかった。
「私は、生きちゃいけないんだってさ」
そんな言葉を残して、星焔の姿が掻き消えた。
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