第41話 七星戯曲


 思い出すのは、星焔と2人で名前を決めたことだ。


「ねえ、私、マジシャンになろっかな」


「いいじゃないか。というか、いままでなるつもりが無かったのかい?」


「うん」


「なんで」


「だってさ、出来る事を淡々と繰り返す毎日って、なんだか生きてる気がしなくて息が詰まりそうになるんだもの」


「ふぅん、それじゃあ、心変わりした理由があるんだ?」


「そうだね。名前には君と私の要素を入れたいと思ってるんだけど」


「無視か」


「君はヴァイオリンが上手だろう。だから音楽的要素を入れればいいとして……私の要素はどうしようか……手品、マジック、は、ありきたりだしな………」


「じゃあ、本当に名前からとればいいだろう。星の字を使おう」


 ――――――いいねぇ。じゃあ、私の芸名は****だ。


 星焔はそう言っていたずらっ子のように笑っていた。


     ☆☆☆


 病院の自販機にもコーラが売っている事に僕は驚きを隠せないのである。病室とは離れた場所にあるから入院患者が買う事は無いのかもしれないけれど、どうにも病院という場所には不釣り合いのように思えた。


「こんな不健康の象徴みたいな飲み物をよくもまぁ……。っと、これくらいでいいかな。早く戻るか」


 腕に4本のジュースを抱えて、少し迷ってから星焔のためにオレンジの果実入りのジュースを買った。


 彼女はいつもこれを飲んでいた。


 病室に上着を置いてきたせいかペットボトルの冷たさが長袖の腕にじかに伝わる。冷たい。二の腕あたりが冷えると人間、違和感を抱くもので、僕はその違和感によってようやく、医者から言われた言葉が現実味を帯びたようだった。


 病室から出て自販機を探している時ふとすれ違った星焔の主治医に呼び止められ、こんな話をされた。


「天渡星焔さんの容体ですが、依然として意識は戻っていません。その原因は一切不明。脈拍も血圧もともに問題はなく、我々としても頭を悩ませている状況です。そのうえ……ずっと寝たきりで体を動かしていない事が原因だと思われますが……全身の筋肉が衰えてきているようです。筋肉が衰えるというのは、必ずしも腕や足だけが衰えるわけではありません。呼吸も筋肉があって初めて可能な事。……数か月前から呼吸器をつけている事はすでにお話したと思いますが、……いいですか、覚悟して聞いていただきたいのですが、もしこのまま目が覚めなければ、星焔さんの体は命を保つことさえも厳しい状況になるかと思われます」


 医者はそう言った。明言はしなかったけれど、命を保つ事が難しい状況というのはつまり、心臓が止まるという事であろう。筋肉が衰えるという症状はきん萎縮性いしゅくせい側索そくさく硬化症こうかしょうという難病がまさに近い症状で、僕はドキッとしたけれど、医者は違うと言った。目が覚めればどうにかなるらしい。目が覚めればリハビリを通して筋肉を取り戻せる。が、目が覚めなければ……。医者は「いざという時を覚悟しておいてください」と言った。


 目が覚めれば良いのだ。星焔が目を覚ましさえすれば……。


「部長さーん」


 と、手にビニール袋を持った相良さんが小走りに近づいてきた。いったい何の用だろうか?


「あ、やっぱり袋持ってなかったんですね。これ、売店で貰って来たので使ってください」


「なんて気が利く後輩なんだ。ありがたく使わせてもらおう」


「ふふん。もっと褒めてくれていいんですよ?」


「図に乗るんじゃない」


「ひっど!?」


 相良さんを軽くあしらってから3本ほど袋に詰める。


「その2本は良いんですか?」相良さんが首をかしげて言う。が、良いのである。


「どうせここで飲んでしまうから」


「へえ……? あ、家族水入らずの時間を作るために?」


「違う。君は戻れ」


 僕は相良さんを回れ右させると背中に両手を当ててぐいぐい押し出す。


「わわわ、私だっていづらいんですよぅ。一番部外者だし、みずほ先輩とも先輩のお母さんとも面識ないし……」


「ならここで僕と2人きりになるか? そっちの方が嫌だろう。君は瑞星のそばにいてくれ。それで、何か変わった事があればすぐに連絡してくれ」


「部長さんは戻らないんですか?」


 相良さんが居心地の悪さを覚えている事はもちろん気づいていたが、しかし、ここにいられても困るのである。一抹の心細さを感じさせる声音が僕の心に哀れを起こすけれど、彼女には連絡係として病室にいてもらわなければならない。


 万が一のとき、瑞星もおばさんも僕に連絡する余裕などないだろうから。


「僕はこれからやらなければいけない事がある」


「やらなければいけない事……?」


「とても大切な事なんだ。何も聞かずに戻ってくれないか」


「あわわわわ、分かりましたから押さないで!」


 僕は心を鬼にして相良さんを追い返した。星焔の目を覚まさせるために、僕は会わなければいけない人がいる。正確には人ではなく幽霊なのだが。


「なんの用かな。君」


 幽霊が、ポケットに手を突っ込んで自販機の前に突っ立っていた。


 七星戯曲だ。彼女ならば、この状況を解決する事ができる。


「やっぱり来ていると思ったよ。しかし、君と会うのも今日で最後になりそうだな」


「私にどうにかできると思ったら大間違いだ。幽霊なんだよ」


「別にそこまで期待しちゃいないさ。……何か飲むか?」


 僕は財布から小銭を出して訊ねた。しかし七星は僕の腕の中のオレンジジュースに目を止めると、かすかに目を輝かせた。「幽霊なんだって。……まぁ、じゃあ、それをくれよ。飲む奴がいないんだろう?」


「なんて不謹慎な……。いや、そういうヤツだったか」


「そういうヤツだよ」


 幽霊のくせに七星はキャップを開けてごくごくとジュースを飲み下した。ラッパ飲みとはなんとも豪快である。


 七星は期待するなと言うが、いま、星焔を助けられるのは精神体である彼女しかいない。僕のやるべき事というのはつまり、七星を説得して協力してもらう事だった。


「瑞星が元に戻った。君のおかげだ」


「別に、私は発破をかけただけさ。戻ったのはあくまであの子の意思だよ」


「それでも礼を言うよ。瑞星は姉に居場所を返したいそうだ」


「………へぇ、殊勝な心掛けだね」


 七星はやれやれとため息をついた。自分には関係ないと言いたげだが、それでは困る。


「もうもたないかもしれないそうだ。医者の話だと呼吸が浅くなっているとか、僕には分からないんだけどね、このままだと本当に手遅れになってしまう事はたしかなんだ」


「ふぅん、私には関係ないね」


「七星!」


「死んだら何がダメなんだい。こうして私と君は話しているじゃないか。生きているってことが、そんなに大切なのかな」


「大切に決まっているだろう。共に成長し共に歩む。それは生きていないと成し遂げられない。星焔が生きていなければ、僕も死んだと同じなんだ」


「面白い考察だね。だが君が死ねば、少なくともずっと一緒にいられるぞ?」


「そういう意味じゃない! 生きて一緒にいるからこそ意味があると言っているんだ!」


「あっ、そう」


 七星はそっぽを向いてジュースを飲みほした。


 霊体になると考え方まで浮世離れするのだろう。僕の焦りも瑞星の悲しみも彼女にとっては対岸の火事。生きて欲しいと思うのも、もう一度会いたいと思うのも、すべては生きているからこそ願うのであって、霊体である彼女には無い考え方らしい。


 このままでは星焔が死んでしまう。彼女の説得が間に合わなければ、もう二度と帰ってこない。僕が説得できなければ…………。


「ここに4枚のトランプがあります。それぞれハート、スペード、クローバー、ダイヤのエースです。この中から好きなスートを一枚選んでください。どれでも構いません。あなたが選んだトランプを瞬間移動させて御覧にいれましょう」


「…………………?」


「忘れた? いや、覚えてる方が怖いか。初めて君が見たマジックの口上だよ」


 突然なにを言い出すのだろうか。その口上ならついさっき瑞星から聞かされたばかりだけど、もちろん、忘れたという問いはそういう意味で言ったのではなかった。


「いや、覚えている。あのマジックは失敗していたな」


「君があまりにも理性的すぎたせいだよ。襲えばよかったのに」


 こうやってさ、と七星は僕に抱き着く仕草をした。もちろん、幽霊なのですり抜けた。


「あの頃は楽しかったよねぇ。毎日が輝いていたよ。明日が無性に楽しみだった」


「今は違うのか?」


「楽しいよ? もっとも、あの頃とは違う楽しみ方ではあるけどね」


「違う楽しみ……?」


 僕は背後を振り返ったが七星はいなかった。顔を前に戻すと、目の前にいた。


「そう。君をからかう楽しみだ。飛び道具が増えるというのは素晴らしいね」


「……心臓に悪い。生きていた頃だって飛び道具まみれだったじゃないか」


「あっはっは! たしかにその通りだ」


 僕は何を話しているのだろう。七星のペースに呑まれてしまっている。これでは彼女を説得する事も出来ない。が、それを制止したところで悪い結果になる事も分かっているのだけど。


「私はね、今でも充分楽しいんだよ。なぜ生き返らなければならないんだ?」


「君というヤツは…………」


 七星はあくまでも非協力的だった。暖簾のれんに腕押しと言うが、幽霊の背中を押したところで前に進む体が無いのだからいくら話したところで無駄だろう。


 彼女は前に進むつもりが無いのである。


「星焔とまた仲よくしたいというのなら、君たち全員が死ぬまで待てばいいだけの話だろう? 生き返ってほしいのは君たちの都合だ。違うかね?」


「手を貸せない理由でもあるのか? 君は記憶が戻ればすべて分かると言ったが、瑞星の記憶が戻っても何も解決しないじゃないか。なぜ僕を拒むんだ」


「…………君には、分かってほしいと思っていたんだけどね」


「どういう意味だ」


 僕は苛立ちを覚えていた。星焔の時間が無い事に加えて七星の態度がストレスに拍車をかけていただろう。胸中にむくむくと湧き上がる怒りを抑える事ができず、僕はとうとう言った。


「君の正体は知っている。君がなぜ僕を選んだのかも、なぜ僕の邪魔をするのかも、すべて見当がついている。だからこそ、君が拒む理由が分からない」


「ふぅん、見当がついているなら言ってみなよ。私の正体を」


「ああ、言ってやるさ。君の正体は……」


 彼女の正体は………。


「君の正体は……、君こそが、天渡星焔だ! 昏睡状態で眠り続け、いま、死の危機に瀕している天渡星焔。その張本人だ!」


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