4章

第39話 星焔との再会 1


 天渡星焔と過ごした日々は僕にとってかけがえのないものだった。


 彼女はまるで夢を生み出す妖精のようであった。


 中学生のくせにやけに大人びていて、無表情のくせに色気があって、厭世的なくせに優しかった。


 手品を覚えてからは人を驚かせる事に楽しみを見出すようになった。


 矛盾だらけで、子供っぽくて、不愛想で、幼馴染のはずなのに知らない一面がたくさんあって、手品をイタズラに使う事に全力を注いでいた。


 手品に魅せられた人々がトリックを知りたがるように、僕は星焔の心を知ろうとした。彼女の存在そのものが手品のように見えて、僕は、星焔の新たな表情を見るたびにその心の奥を知りたくなった。


 いったい、天渡星焔とは何者なのだろう? 出会ってから事故が起こるあの日まで、僕がそう思わなかった日はない。


     ☆☆☆


 窓を開けるとゴオオオオオという音がする。カーブを曲がれば遠心力に体がもっていかれる。片田舎の道路を赤い車が猛スピードで走っていた。


「ちょちょちょ、蓮治さん! これはどうみても速度違反なのでは!?」


「うるせぇ! 救急車だって非常時は交通規制無視すんだろうが! 危篤の孫娘のとこに向かう俺たちが速度超過しちゃいけねえ理由ってなんだ!」


「めちゃくちゃだこの人!」


 星焔が危篤だという連絡は叔父の蓮治氏にも伝わっていた。星焔の母が伝えたはずなのだが、僕達が支度を整えて玄関先に出た時には蓮治氏がアクセルをふかして待っていたのだ。いくらなんでも早すぎる。家に着くまでもかなりとばしていたのだろうと思われる。


 助手席に星焔母が座り、後部座席に高校生組が山の字に座っていた。もっとも、蓮治氏がバカみたいにとばすので3人が3人とも抱き合って旧字体のようであったが。


「いやーーーーーーー! 死にたくないです! こんなところで死にたくないです!」


「なになになになに! お姉ちゃんが危ないってどういうこと!? ていうかいまのみずほ達の方がよっぽど危ないんですけど!? 叔父さんやめてぇぇぇぇ!」


 カーブを曲がるごとに黒板を引っ搔いたような悲鳴があがる。生命の危機を感じるくらいには蓮治氏は容赦がない。ぎゃあぎゃあ騒ぐ僕達を「うるせぇ!」と一喝し、彼はさらに速度を上げた。


 特に瑞星などは事情も聞かされないままに連れ出されたのであるから恐怖も一入ひとしおであろう。育ち盛りの胸をべたっと押し付けて、しかも、気を失っていたときに相良さんにお願いしてダル着に着替えさせたのである。愛用のパーカーでは瑞星の柔らかさをカバーできないらしい。女の子の丸みが容赦なく右半身を襲うのである。こんな時でなければ、僕の如き鋼の意思を持つ日本男児でさえもかどわかされていたに違いない。(左側の相良さんについては……彼女の尊厳のために触れないでおこうと思う)


 星焔が入院している県央病院は車で2時間のところにあったが、そこへ1時間足らずで到着してしまったのである。信号機にも捕まった。前の車につまった事もあった。それも含めての1時間足らずのクルーズであった。まったく、シートベルトの偉大さを嫌というほど実感した時間であった。


 しかし……、病院の玄関口で僕達を下ろすやいなや蓮治氏は車のドアを閉めてしまった。


「悪いが、俺はここまでのようだ」


「え、どうしてですか!? せっかくここまで来たのに」


 僕が必死に引き止めるも、連治氏は悲しげに首を振るばかりであった。まるで今際の際に思いを託すような目で僕を見つめると、顎で背後を示し、言った。


「おめぇらに聞こえるか? あのうるせぇサイレンの音が」


「やっぱり追いかけられてたんですね!?」


「ああ、俺は逃げられそうにねぇ。あとは頼んだぞ……」


 蓮治氏は警察に連行された。悲しいが当然である。


 僕達は蓮治氏に感謝を伝えると、警察に見つかる前に病院の中へと逃げ込んだ。


     ☆☆☆


 星焔母が受付をすます。その間僕達はソファにちょこんと座って大人しくしていた。


 相良さんは病院独特の臭いが苦手なのか顔をしかめていた。


「あの……ようにいちゃん」


 と、瑞星が袖をクイクイと引いた。


「どういうこと? お姉ちゃんが危ないって、なんで? 明日デートだって言ってたよね。なんか、理解できないことが多すぎるんだけど、今日って9月17日だよね? なんか寒すぎない……?」


「9月………ああ、そうか、あの日以降の記憶が無いのか」


 言動の端々から感じていた事ではあったが、やはり、星焔として過ごしていた間の記憶がすっぽり抜け落ちているらしい。記憶のメカニズムは僕にはよくわからないけれど、星焔として経験した記憶はきっと異分子なのだろう。瑞星という人格にとっては経験しえない記憶であり、齟齬そごをきたす原因になる。


 そう考えると、いま事実を話しても良いものかどうか、僕には分からなかった。瑞星は目覚めたばかりで、記憶が戻ったとはいえナーバスであることに変わりはない。七星とのことがあった直後なのだ。


「これを語るとなると、あの事故の話をせねばならない。だが、今の君に耐えられるかどうか、僕には判断しかねるのだ」


「でも、もうすぐ対面するんですよ?」と、相良さんが言った。


 何を言うのだと僕は驚いたが、相良さんは確信があるような口ぶりで言う。


「昏睡状態なんですよね。ずっと眠り続けるお姉さんの姿をなにも知らない状態で見せられるのと、なにがあったのか知った状態で見るのとでは、受ける衝撃がかなり違うと思います」


「何を根拠にそんな事を言うんだ? 瑞星がどれだけ繊細か、君は知らないだろう」


「みずほ先輩がどれだけ強いか、部長さんは知ってるんですか? 先輩は一度大きな決断をしています。女の子が一歩前に進むためのとても大きな決断をしているんです。そのみずほ先輩が弱いわけがありません」


 相良さんは一歩も引かないようだったが、僕とて引くわけにはいかない。瑞星の拒絶反応の凄さを彼女は知らないのだ。病院でなぜ静かにしなければいけないのか、それを理解していないようである。


「わ、私のために喧嘩しないで……」


 当の瑞星は困惑していた。


 相良さんの言う事も一理ある。遅かれ早かれ邂逅かいこうする事になるのだ。その出会いは避ける事ができず、もっとも遅い出会いは星焔の死後。棺桶越しの対面となる。いつか事故の事を話さねばならない。


―――このまま日和見主義を貫いたところで事態が好転するわけがないと知ってたんだろう?


 七星の言葉が思い出される。


「瑞星のメンタルが強いことくらい知っているさ。だが、メンタルの強さは耐えられる上限が高いというだけの話であって、いまの瑞星は臨界点ギリギリなんだ。決して無茶をしていい理由にはならない」


 僕は、むしろ自分に言い聞かせるように口の中でモゴモゴ言った。僕は臆病者なのだ。安全を取って何が悪い。拒絶反応がなくなった確証だってないのだ。腫物に触るような態度になろうと、瑞星がナーバスな状態である以上、僕は彼女の事を守るつもりである。


 僕は相良さんと睨み合って火花を散らしたが、それを止めたのは瑞星であった。


「聞かせて」


 あの日に何があったのか聞かせろというのである。


「ようにいちゃんが教えてくれないならこの人に聞くから」


 そう言って瑞星は相良さんの手を取った。女の子らしい純情さと決意に満ちた顔であった。


「……………」


「ね、強いんですよ。みずほ先輩は」


「そうらしい」


 折よく星焔母が戻ってきた。僕達はあの日の事を話しながら、星焔の眠る病室へと向かったのであった。


 当然、七星戯曲も付いてきていた。


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