第35話 呼び出し 2


 天渡星焔は回想する。2年前のあの日。事故に遭ったあの日の事を。


 激しいブレーキ音。耳をつんざく悲鳴。舞台効果のような蝉の声。


 あの日からすべてが変わった。でも、それも今日で終わりだ。


 用意したトランプが明らかにしてくれる。


 もし浅葱くんが嘘をついていて、私を欺き続けたのだとしても、私は浅葱くんを許そうと思う。


 どんな理由だったとしても私は―――――


     ☆☆☆


 天渡星焔の部屋は不自然なくらい綺麗に片付いていた。例えばRPGでボスキャラとの戦闘イベントが設定されている部屋に余計なオブジェクトが置いていないような。ありふれた物に強烈な意味を持たせるような。そんな不自然さだ。


 その部屋に足を踏み入れた瞬間、僕は冷水を浴びせかけられたような緊張感を覚えた。


 ピンクのカーテンにピンクの絨毯。白樺のような白い木材の机やテーブル、ベッド。そんなありふれたの物の中に囲まれて、ありふれたトランプが一組置いてある。それはどこにでもある普通のトランプで、新品未開封であることを除けば何の変哲もない。


 トランプだけが異質だった。


 そのトランプこそが緊張感の正体であることに僕はすぐに気づいた。


「お部屋、片付けたの。上がって?」


「ああ、うん」


 高校生になってから幾度となく通った星焔の部屋なのに、どこか知らない場所へ迷い込んだように感じる。そして、足を踏み入れたが最後、もう、戻れない気がする。


 これから何かが始まるのだと思わずにはいられない。幕が上がる前のステージであった。


 星焔がドアを手で押さえて部屋の中へと促す。僕は居心地の悪さを覚えながら部屋に入った。


「えらく斬新な模様替えだな。あんなにあった小道具はどこへ行った?」


「今日は、必要無いから」


「そっか」


「………………………」


「………………………」


 僕の視線はテーブルの上のトランプに釘付けだった。天才マジシャン天渡星焔の部屋なのだからマジック用のトランプが置いてあったところで何の不思議もない。しかし、いまこの部屋にあるトランプはこれ一つだけだった。トランプだけじゃない。マジック用の小道具がすべて撤収されている。


 あのトランプが僕を呼び出した理由なのだという事は明らかだった。


「ねえ、浅葱くん」


「なに、星焔」


「楽しかったよね、あの頃は」


「あの頃?」


「そう。私が浅葱くんと出会って、マジックショーを見に行って、些細な事でも笑いあったあの頃の話。もう、思い出した?」


「思い出せたら、星焔に一番に伝えているさ」


 そう答えて、僕は、言い知れぬ不安を覚えた。


 『約束』 それは、星焔が初めて見せたマジックを思い出すこと。病院のベッドの上で困惑している僕に彼女が突きつけたのは、初めてのマジックを思い出したら私の彼氏になれというものだった。


 まさか彼女は、いま、約束を履行するつもりではないだろうか?


「そうなんだ」


 背筋に冷たい物を感じながらどうにか誤魔化した。が、今度という今度は許してくれそうにない。


 星焔の無表情に決意を感じる。僕がいない間に何があったのかは知らないけれど、相良さんに入れ知恵をされたのは間違いないだろう。後ろ手にドアを閉めてしっかりと鍵をかけられてしまった。


 そしてその鍵を星焔はポケットに仕舞ってしまった。これでこの部屋からの脱出は不可能。(鍵を奪い取るなんて乱暴な真似は僕にはできない)記憶を思い出すまでは待っていて欲しかったのだけど、こうなったら、諦めるしかないのかもしれない。


 トランプ………そうだ。星焔の初めてのマジックはカードマジックだった。


「これからマジックをします。浅葱くんはこれを覚えているはず。……でも、その前に聞きたい事があるの」


「聞きたい事?」


「そう」


 星焔はどこからかクッションを取り出すとと僕に勧めた。黄色い花柄のクッションであった。腰を下ろす。ふかふかの座り心地がなぜだか気持ち悪かった。


「なぜ、付き合ってくれないの?」


「……はい?」


「私の事が好きならば約束なんて言わずに付き合ってくれればいいじゃない。なのに、浅葱くんは約束を理由にいつまでも付き合ってくれない。それは、なぜ?」


「それは……だな」


 僕は答えにきゅうした。たしかに僕が約束を理由に彼女を遠ざけていたのは事実である。一線を越えないように、関係が変わってしまわないように、約束を盾にしていた事は事実だ。


 だが、その理由をなんと説明しよう? それは湖上に漂う木の葉を手繰り寄せるに等しい所業である。もし言葉選びを間違えたら……彼女の心は二度と戻ってこないだろう。軽々な事は言えない。が、言い逃れも出来ない。これぞまさに四面楚歌。


「……僕は記憶が無いんだよ。星焔が一方的に彼女だ恋人だと言っているだけで僕には過去をあらためるすべがない。君が嘘をついていないと誰が証明してくれるんだ」


「それはこの2年間で充分に理解できたはずよ。浅葱くんは頭が良いもの。それでなくても私に心を許したようなそぶりを何度もしてるじゃない。なのに、付き合うとかの話になると急に及び腰だわ」


「僕は臆病なのだろうな。記憶が無いというものはなんとも心細いよ」


「とてもそうは見えないけどね……」


「それこそ虚勢を張ってるだけなんだよ。臆病者だからね」


 ……僕は言い逃れをすることしかできないのであろう。いまは、何もできない。してはいけない。


 星焔は言い訳を続ける僕に嫌気がさしたのであろう。ため息をついてトランプを手に取るとおもむろにシャッフルし始めた。


「いいわ。分かった。だったら、その虚勢を最後までつき通して見せてよ」


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