第32話 過去の話 2
浅葱くんの家は三階建ての広い家だった。白い外観に黒い屋根がモダンな雰囲気を醸しており、開放的な内装が屋外よりも広く感じさせる。一階から三階まですべて吹き抜けになっていて、ブランコを下ろしたら楽しそうだなって思った。
私は毎日のように浅葱くんの家に通った。その理由は3つ。お菓子がもらえるから。浅葱くんと話すのが楽しいから。ヴァイオリンの練習に付き合うから。
ゆあちゃんは知らないかもしれないけれど、浅葱くんって私が抱き着いてないとヴァイオリンが弾けなかったんだよ。今は弾けるようになってるけど、昔は弾けなかったんだ。たぶん、姿勢が悪かったと思うんだけどね。あの浅葱くんに下心があってわざと音を鳴らさなかったとは思えないもの。
防音室っていうのに入ったのも浅葱くんの家が初めてだった。壁の黒い丸が目玉に見えてちょっと怖かった。でもそれ以上に、防音室はとっても暑かったんだ。
「ねぇ~~え~~、まだやるのぉ? 汗かいてきた~~~暑い~~~~」
だいたい浅葱くんの脇の下に腕を回す事になる。ほっぺに汗をかいて熱い。ムチムチしてるくせにあばら骨がしっかり感じられて、私は生暖かい餅に抱きついてる気分になる。身長差もあるけど、この位置が弾きやすいのだそうだ。
「仕方ないだろう。ほむらがいないと音が出せないんだから。僕だって恥ずかしいんだよ」
「鏡を使え! 姿勢くらい自分で確認しろ!」
「……でも、音が出せるようになったら君は来なくなるかもしれないから……」
「音が出せるようになっても来るって。だってお菓子くれるんだもん」
毎日1時間から2時間。浅葱くんはほとんど休憩なしで練習をする。私の楽しみはたまに浅葱くんのお母さんがもってくるジュースとチョコレートだった。よく分からない外国のお菓子のエキセントリックな匂いだけが私を開放的にしてくれる。口の中で海外が広がる。そんな味だ。
男の子とくっつき続けるというのが恥ずかしくて嫌だったけど(今思えばもったいない事をした)でも、浅葱くんのヴァイオリンは日に日に上達していく。それが私のおかげなのだと思うとすこし誇らしかったし、友達と呼べる友達がほとんどいなかったから必要とされているのが純粋に嬉しかった。
私と浅葱くんの関係はこういう風に最初からおかしかったんだけど、いまの関係を決定的に形作ったのは2人でマジックショーを見に行ったことだった。近所の公民館で夏になると催される小さな夏祭り。そこに有名なマジシャンが出演していたのだった。
狭い広場に提燈や国旗が張り巡らされて、屋台がひしめきあっている。浅葱くんは男の子らしくすかした様子を気取っていた。可愛いでしょう?
「ミスター・マジックマン……? ださ。僕は興味ないね。見たいならほむらだけで見てきなよ」
「浅葱くんも見ようよぅ。マジック初めて見るからドキドキしちゃう」
「……しょうがないな。ほむらがそこまで言うなら」
思い出しただけでも可愛すぎる。写真撮っとけばよかった。
「やったね。ほら、前の方いこ!」
私は浅葱くんの手を取って走る。小さなステージの最前列は照明で熱くなっていた。小さな男の子ってどうしてこんなに可愛いんだろう? 渋々付き合っているという風を装うのも忘れてステージに見入っている浅葱くんの、夢中なおめめが今でも忘れられない。マジックは子供だましの簡単なものばかりだったけど大きなリアクションを返して、事あるごとに私を振り返って「すごいすごい!」とはしゃいでいた。
「マジシャンってすごいんだね! ほむらみたいに不思議でいっぱいだ!」
初めて見せた年相応の一面は私が今まで抱いていたイメージを一変させるのに充分だった。芽吹いたばかりの若葉のような雰囲気。でも、私みたいってどういうことなんだろう?
「ほら、だって、ほむらがいるときだけヴァイオリンが弾けるんだよ。僕は不思議で不思議で仕方が無かったんだけど、今初めて分かった。君もマジシャンだったんだね!」
「ええっ!? 違うよ!?」
「なら、マジシャンになるべきだ! ほむらなら世界一のマジシャンになれるよ!」
今にして思えばただの
「……本当? なら、浅葱くんもヴァイオリン上手になってね」
「うん。君のステージを盛り上げられるくらい上手になるよ! 僕が音楽で、君はマジックでみんなを驚かせよう!」
そんな言葉を交わして、私は本当に世界一になっちゃったんだ。
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