第31話 過去の話 1



 浅葱光陽と初めて会ったのは小学生にあがる前の話だ。浅葱くんはいわゆるお金持ちで広い庭のある家に住んでいた。


 私は、浅葱くんがヴァイオリンの練習をしてるところに突っ込んでしまったのだ。


     ☆☆☆


 その日、私は山に探検に行っていた。なんでも山の中腹に綺麗なお花畑があって、タンポポやチューリップがたくさん咲いていたという話を友達から聞いたのだ。


 その山というのが浅葱くんの家が所有している山だった。


 獣道のような山道を体を使って登る。枝を掴んで、岩をよじ登って、服が汚れることなんか気にしなかった。子供ってすごいと思う。体が軽いからどんなとこでも行けちゃうんだね。私は猿みたいにすいすい山を登って行った。


「わぁ~~~~すご~~~~~い!」


 お花畑はとっても素敵だった。黄色に赤に白に青。子供の夢をキラキラした粉にしてまぶしたみたいに幻想的で、子供の目には楽園のように映った。朝早い時間だったという事もあってか日差しも涼しくて、私はずっと遊んでいられた。


 花を摘む。絵を描く。摘んだ花で冠を作る。おかあさんに作ってもらったおにぎりを食べてちょっとしたピクニックもした。とにかく夢中になって遊んでいたよ。


 と、ふいにヴァイオリンの音が聞こえてきた。浅葱くんのヴァイオリン。でもその頃の私はヴァイオリンなんて知らなかったから何の音なのか分からなくて、きっと知らない動物が鳴いているんだと思った。


 お花畑は結構広くて、木もたくさん生えていたから私は奥に迷い込んだんだって直感的に思った。


「ここ……どこだろう。どこから来たんだっけ。どこに行けばいいんだっけ。……どこ? おかあさん……おかあさん!」


 私は帰ろうと思った。すぐに荷物をまとめてカバンを抱きしめて、心細くなって、せっかく摘んだ花も放り出して走り出した。ところが、何かのつたに足を引っかけてしまった私は山道をゴロゴロ転がって(カバンを抱きしめてボールみたいな体勢だったおかげか怪我はしなかった)、そのまま広い場所に出たのだ。そこが、浅葱くんの家の庭だった。


 こんなこと言ったら怒られるんだけど、浅葱くんはいわゆる美少年だった。白いワイシャツに黒の半ズボン。黒の蝶ネクタイがとっても似合う男の子。漫画みたいなお金持ちではないけど、パリッとした恰好が板についていたことを思うと裕福な家庭の子だったのかな。本人の前で言っちゃだめだよ。急に怒り出すから。


 浅葱くんは突然現れた私に驚いているみたいだった。


「わあ! なに!? なにごと!?」なんて言ってた。ヴァイオリンのレッスン中だったのかな。隣には先生らしい大学生がいた。2人とも私の事を警戒しているみたいだった。


 でも、こっちは謎の鳴き声が聞こえたり山道を転がり落ちて怖い思いして初めて会った人間なんだからそんなこと関係ないよね。私は声を震わせて抱き着いていたよ。


「たすけてぇ! 動物さんに襲われる!」


「え、なに!? 動物!? もしかして熊!?」


「分かんない……クマ!? クマさん!? やだこわい!」


 恐怖が動揺を呼んで、動揺がさらに恐怖を呼ぶ。人がパニックに陥る模範的な問答を繰り返して私達はひしと抱き着いていた。浅葱くんはヴァイオリンと弓を手に持っていたから背中に手を回したりはしなかった。


 浅葱くんのヴァイオリンが鳴ったのはそんなときだった。


 たまたま弦と弓が触れあっただけなんだけど、たしかに音が鳴った。


 それは今まで聞こえていた動物の鳴き声なんかじゃなくて、綺麗で澄んだ美しい音色だった。


「わぎゃあ! あの動物さんの声………じゃない?」


「すごい……音が鳴ってるよ! 光陽くん!」


 先生はとても感動しているみたいだった。後で聞いた話なんだけど、浅葱くんは壊滅的にヴァイオリンが下手で、別の習い事に変えようかと検討している最中だったそうだ。


「本当だ……鳴ってる。ね、ねえ! もっと抱き着いてくれる?」


「え!? こ、こう?」


「もっと強く!」


 私は浅葱くんに言われるままに抱き着いた。浅葱くんの鬼気迫る顔を断れるわけもない。でも、どうだろう。まるで蓄音機みたいにするすると音が流れ始めたんだよ。まるで奇跡だった。運命というものがあって、私と浅葱くんが出会うためにお膳立てをしていたのだと思わずにはいられない。だって私と出会っただけで弾けるようになるなんてロマンチックじゃない?


「わあ、弾ける。弾けるよ! 僕、弾けた!」


「弾けてます。弾けていますよ! お上手です!」


 2人は満面の笑みで喜んでいた。でも、私には何が何だかサッパリ分からなくて困惑した。勢いで抱き着いたけどこの子は誰なんだろう。同じ幼稚園に通っているんだろうか。何組? そんな事をぼんやり考えていた。


「ありがとう。君のおかげでヴァイオリンを続ける事ができそうだ。お礼がしたいんだけど……名前は?」


「ほむら……天渡星焔」


「そっか、可愛い名前。僕は浅葱光陽。よかったら少し休んでいかない? 服がどろだらけだし、お風呂にも入っていくといい」


 すかした男の子だと思った。気取った感じとか鼻につく話し方とか、大きな家に住む子ってみんなこんな感じなのかな。浅葱くんは紳士らしく私の手を取ると家に向かって歩き出した。私は本当に困ったけれど、お菓子もあるって言われたからすぐについて行った。


 それから私は浅葱くんの家に出入りするようになったの。


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