第28話 風邪っぴきと幽霊


 12月に入ってすぐの事だ。僕は風邪を引いた。38度の高熱である。頭がぐわんぐわんして視界が定まらない。ベッドに横になっているのに真っ逆さまになっている感覚に陥る。僕は2日間も学校を休んでしまった。


 その間はこれと言って語る事は起きなかった。が、星焔が見舞いに来ないのは意外だった。彼女の事だから飛んできそうなものなのに。


 七星は「これは愉快だ」と言って笑っていた。さすがは悪霊だ。彼女いわく霊体は常に高熱の風邪を引いたような悪寒と朦朧もうろうとした意識に苦しめられているらしい。熱に苦しむ僕を見て仲間意識を持ったのか、いつにもまして親しそうな目で看病してくれた。


「一応言っておくと私がやったわけでは無いから。逆恨みはしないように」


「……うるさいぞ悪夢。ただでさえ冬は寒いのに常に氷点下を振りまく君がいたら風邪を引くに決まってるだろう……」


「ふふ、君ももうすぐ私のになるんだと思うと嬉しくてしょうがないよ。早く死んでくれないかねぇ」


「縁起でもない事を言う……ゴホッゴホッ」


 枕元に立って僕を見下ろしているのである。今だけは彼女が幽霊だと納得できるくらいには恐ろしい光景。高熱で歪んだ視界であればなおさらである。能面のような無表情に瞳だけが親しそうに細められている。首を曲げてジッと見下ろして早く死ねと言うのだ。七星戯曲を初めて怖いと感じた瞬間だった。


「……なあ、君がこの前言っていた、僕の彼女だという話だが」


「ああ、そうだよ。まぎれもなく君の彼女さ。ようやく思い出したのかい?」


「いや、身に覚えがない。だって僕の彼女は死んでいないんだよ」


「おっとそう来たか」


 七星は肩をすくめた。


「君が僕の知り合いで、とり憑く理由がそこにあるというのなら、僕はそれを知らねばならないと思う」


「…………………」


「教えてくれ。君は誰なんだ?」


 あのテレパシーのマジックのときに七星は僕の彼女だと言った。そのことがずっと気になっていたが、そもそもの話として天渡星焔は死んでいないのである。僕の彼女は星焔だけ。彼女以外に付き合った人なんていないのだ。だから彼女の言っていることは筋が通らない。しかし、嘘を言っているようにも見えない。


 この件についてはじっくりと話を聞かなければならない。


 僕はジッと見つめた。力になりたいと思っていた。


「教えてくれ」


「…………………」


「七星!」


 しかし七星は首を振るだけだった。


「記憶が戻ればぜんぶ上手くいくさ」


「またそうやってはぐらかすつもりか……」


 僕は思わず歯ぎしりをした。ギリギリと頭の奥で反響するようだった。


「きみは………いつもそうだっ…………た………」


「気を失ったか。やれやれ、病人が無理をするんじゃないよ」


 ―――うん、私はいつもそうだったね。


 どこかで、そんな言葉が聞こえた気がした。


     ☆☆☆


「ねえ、私、マジシャンになろっかな」


「いいじゃないか。というか、いままでなるつもりが無かったのかい?」


「うん」


「なんで」


「だってさ、出来る事を淡々と繰り返す毎日って、なんだか生きてる気がしなくて息が詰まりそうになるんだもの」


「ふぅん、それじゃあ、心変わりした理由があるんだ?」


「そうだね。名前には君と私の要素を入れたいと思ってるんだけど」


「無視か」


「君はヴァイオリンが上手だろう。だから音楽的要素を入れればいいとして……私の要素はどうしようか……手品、マジック、は、ありきたりだしな………」


「じゃあ、本当に名前からとればいいだろう。星の字を使おう」


「いいねぇ。じゃあ、私の芸名は****だ」


「****。うん。良いんじゃないかな。奇抜で記憶にも残るだろう」


「なんだか噛みそうな名前になったけど、ま、君が気に入ったのならそれでいいか」


「別に僕の好みを気にする必要はないよ。君の好きにしたらいい」


「いやだ、変えない」


「なぜ?」


「そういえば北斗七星の星は1つ1つ名前が決まっているらしいね。ドゥベ、メラク、フェクダ、メグレズ、アリオト、ミザール………」


「いま露骨に話をはぐらかしたね?」


「しかもそれらの名前って動物の体の一部を指す言葉なのだそうだ。メグレズは大熊の尻尾の根元とか」


「しかも続けるんだね!?」


     ☆☆☆


 目を覚ますと星焔が目の前にいた。てっきり見舞いに来ないとばかり思っていたから、僕は不覚にも嬉しくなった。


「ほむら、学校は終わったのか?」


「ん、………まあね。終わったよ」


 机に腰かけて小説を読んでいた。声をかけるとビックリしたように顔をあげて僕の姿に目を止めると小説を机に置いた。2~3冊ほど脇に積みあがっているから今は4冊目くらいか。よほど長い時間ここにいたのだろう。わざわざ僕が目を覚ますのを待っていたのだろうか? なんだか、申し訳ないな。


「いま、何時だ?」


「夜の8時だね。一度母親が様子を見に来たよ。お粥がそこに置いてある」


「ああ……」


 机の上には卵粥が置いてあった。お粥と溶き卵を一緒に煮た僕の好物が美味しそうな湯気を吐いている。僕はズルズルとベッドから這い出るとスプーンを手に取った。


容体ようだいはどう?」


「うん、だいぶ楽になった。ずっとここにいたのか?」


 ふぅふぅ吹きながらアツアツのお粥を流し込む。熱いのを一瞬我慢すれば卵の優しい甘みとほどよい塩分が口の中に広がって、僕は夢中でスプーンを動かした。星焔は僕の様子をジッと見つめていたが、やがてため息まじりに、


「他に行くところも無いしねぇ」


 と、言った。


「ところで、ずっと君の事を看病していた甲斐甲斐しい彼女にご褒美は無いのかね」


 なんともずうずうしいヤツだ。遠慮なしに僕の隣に腰を下ろして褒美をねだるなど星焔らしくもない。けれど、長い時間てもらっていたのだからお返しはしないと義理に反するだろう。


「自分で言ったら台無しだろ。でも、正直すごく嬉しい。気持ちは受け取る」


「じゃあ気持ちの対価は?」


「そうだな……。じゃあ、1週間分のノートを代わりにとろう。それでどうだ」


「…………2週間分だ。それで手を打とう」


「……したたかなヤツ。分かった。それでいいよ」


 自分で言ってから嫌になってきた。


「物分かりがよくて助かるよ。君のノートは見やすいから好きなんだよね」


 ファサ、と星焔が髪をかき上げる。水色のロングヘアーが爽やかな香りを振りまいてソーダアイスのようだった。


「しかし、私を星焔と呼ぶとは……まだ意識は朦朧としているみたいだね」


「……………………?」


「もう寝た方がいい。片付けは任せて、さっさとベッドに潜る事だ」


 たしかにまだ気分は良くない。こういう時ばかりは甘えた方がお互いのためになる。


 僕は大人しくベッドに潜った。


「おやすみ浅葱くん」


「おやすみ」


 目を閉じるとすぐに眠気がやってきた。夜のとばりが降りるように僕は深い眠りに落ちた。


 その次の日。真剣な表情をした相良さんに僕は呼び出されたのだった。


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