第27話 『回想』瞬間移動マジック


 これは私達が中学生の頃の話です。


 とある夏の日の、夏休みを目前にした7月の事でした。窓を開けるとうだるような熱気と蝉の声がなだれ込んでくる暑い日です。私は教室から人がいなくなるのを待って浅葱くんに言いました。


「どっちが先に2年教室に戻れるか競争しよっか」


「競争? ふふん、僕はこう見えても足が速いのだ。天渡さんには悪いけど勝たせてもらうよ」


「そう。じゃあさ、負けた人が勝った人の言う事を聞くってことでいい?」


「いいよ。僕が勝ったら、今日こそ付き合ってもらうからね」


「あら、楽しみね」


 このころは……そうだ、浅葱くんが私にアプローチしていたんだった。私はのらりくらりと浅葱くんをかわして、浅葱くんは正面から好意を伝えてくる。そんなふらふらした関係性が心地よくて、本当は私も大好きだったのに、ずっとプロポーズを断っていた。


 ―――よーい、ドン!


 浅葱くんはそう言うや否や走り出す。自分でスタートの合図を切るなんてズルい事をするものです。でも、私には関係ありません。


「さて、私もいかなくちゃ」


 廊下を走り去る浅葱くんの背中を見送って、私も準備を始めました。


     ☆☆☆


「着いた! さすがの天渡さんもこの速さにはついてこれまい。勝負は僕の勝ちだな」


「浅葱くんって足速いんだねぇ。ちょっと見直したよ」


「ふふん、運動は得意な方じゃないんだけどね。今日こそは天渡さんを見返してやるんだ」


「へぇ、で、見返せた?」


「ああ、もちろん。天渡さんは僕についてこれさえしなかったよ」


 ぜぇはぁと浅葱くんはかがんで息を整える。こんな何でもない勝負なのに本気になって、本当に可愛い男の子だ。


 だから私はもっとイジワルしたくなる。


「そう、おめでとう」


「ああ、ありがと……なんで?」


 浅葱くんの両目がまん丸になる。なんていじりがいがあるんだろう。


 私は一足先に教室へ着いていた。どうやったかって? それは秘密だ。


「私の勝ちだね。さぁて、浅葱くんに何をさせようかな~~」


「嘘だろ……3階から2階だぞ……いつ廊下に出てきた? お得意のマジックを使ったんだな?」


 浅葱くんはマジックを超能力か何かと勘違いしている。私の腕がそう錯覚させるのかもしれないけれど、マジックはそんなファンタジーなものではない。現実に起こりえない事を現実的な手段で実現させる。必要なのは洗練された手腕と機械的な頭脳。


 だけど、浅葱くんはいつも目をキラキラさせてその不可思議を解き明かそうとするのだ。


「なあ、どうやったんだよ。どうやったら教室から出ずに下の階に移動できるんだ? 僕にも教えてくれよ」


 負けた悔しさをもう忘れてしまったのか、浅葱くんはせがむように私の手を取る。ひねくれているくせに純粋で、どこまでも真っすぐな私だけのお客様。彼と話していると心がポカポカしてくる。


 私にとっては浅葱くんの存在がマジックのようなもの。タネも仕掛けも無いのにいつでも楽しい気持ちにさせてくれる。


「教えてもいいけど、その前に私のお願いを聞いてくれる?」


「うん、何でも聞くよ」


 今の関係に不満はないけれど、やっぱりこのころが楽しかった。


 記憶が戻ったとき浅葱くんはどんな顔をするのだろう? 喜ぶだろうか、過去とのギャップに苦しむだろうか。そもそも、この関係に戻れるんだろうか……?


 私は怖い。


 浅葱くんは記憶が無くても平気そうだし、私は今の浅葱くんも好きになってしまった。もし以前の浅葱くんに戻ったら、私はきっと困惑してしまうだろう。そうして、私の困惑は浅葱くんを傷つけてしまうに違いない。


 浅葱くんの記憶が戻ったら私達はどうなってしまうんだろう?


 私は記憶が戻らなくてもいい。でも、浅葱くんはどうなんだろう。


『約束』にこだわるのは何か理由があるんだろうか? 彼自身、約束を守るというよりも約束を盾にしているような言動が多い気がするけれど………。


 約束を果たしたらまずい事でもあるんだろうか。


 約束を果たせたとして、だったら、私達はまた恋人同士になれるのだろうか。


 関係が変わった私達がまた改めて恋人になれるのだろうか。


 もう戻れないのだろうか。


 約束を守る事はお互いを傷つける事なのだろうか?


 約束を果たしてしまったら浅葱くんとは仲良くなれないのだろうか。


 浅葱くんが離れてしまう事。私は、それが怖い。


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