第26話 テレパシーマジック 2


 1枚………2枚…………3枚……………。どれほどカードを浪費したことだろう。机の上には様々な図形が描かれた白いカードが散乱していた。もう2時間も手を繋いでいるのだ。冷え性ぎみだった星焔の手が温かくなって互いの手の区別がつかなくなるくらいには時間が経ち、手に伝わる感触は生暖かいモチのよう。星焔は何度成功させても満足しなかった。


「次……次はこう、手をぎゅうぎゅうしてみてください。そうしたら文字もきっと……うぅ、はやくあれを見せたいのに……」


 星焔はどこか焦ったような表情を浮かべていた。何を目論んでいるのかは知らないが、何かしらの成果が挙げられていないのは間違いないように思われる。それがマジックによる成果なのか、はたまたそれ以外の何かなのかは分からないけれど。


「お前も逃げ出したくなってんじゃないのか? 顔が真っ赤だぞ。手も熱くなってるし、恥ずかしいというのなら安心しろ。僕も恥ずかしい」


「は、恥ずかしくなんかないもん! ようにいちゃんと手を繋ぐくらいはず、はず、恥ずかしくなんか、なななななないもん!」


「落ち着け。ひとまず休憩した方がいい」


「休憩もいらないーーー!」


 そうだった。彼女は僕の事をようにいちゃんと呼ぶのだった。


 断固としてマジックを続けようとする星焔をどうにか鎮めると、とぼとぼと部室を出て行ったではないか。恥ずかしいなら無理して続ける必要もないだろうに。僕はため息をつくと、一部始終をニヤニヤした顔で見ていた幽霊に語りかける。


「その、そろそろ出番かなって顔をやめろ」


「なぜかな? 君のためにはもう一押しした方が良いと思うんだがね」


「………………………」


「はてさて、本当に記憶が無いのはどっちなんだろうねぇ」


「アイツが限界なんだ。今日はやめてくれ」


 七星が不敵な笑みを浮かべていた。きっとただでは済まないだろう。


     ☆☆☆


 ほどなくして星焔が帰ってきた。胸を撫でおろし部室に入る時に深呼吸をしていた。辛いのならやめればいいと思うのだが彼女にも目的があるのだろう。「よし」と頬をペチンと叩いて気合を入れ直していた。


「大丈夫か?」


「大丈夫。これは浅葱くんのためでもあるんだからこんな所でやめられないよ」


「……………………」


「……うん、大丈夫」


 星焔は毅然きぜんとした表情で僕の手を取る。僕のため……その言葉が心を重くするが、しかし、手を繋いだ時の嫌悪感の方が強かった。


 もうやめたい。水も過ぎれば毒というけれど、手を繋ぎ過ぎて手を繋ぐのが嫌になった人間は史上初めてであろう。まるで黒い絵の具を垂らしたみたいな嫌悪感が僕の心に広がった。むにむにした感触が指の間に絡みつく。ぎゅうぎゅうしろというから軽く握っては力を抜いてを繰り返す。まるで骨を感じない、女の子の手だった。


「……あぅ………んっ、もうやだぁ……ドキドキしすぎて変になりそう……」


「何をそんなに頑張る必要があるんだ? お互い辛いんだから無理をするなって」


「……手を繋いでるだけなのになんでぇ……頭おかしくなる……」


 なぜか星焔の息が荒くなっていた。返す返す言うが手を繋いでいるだけなのだ。ただ手を繋いで、ぎゅうぎゅうしろと言うから手のひらを揉むように手を動かしただけである。彼女につられてか僕まで変な気分になっていた。両目を強くつむる星焔の表情がとても煽情的に感じられて、僕は声を荒げないと自制心が保てない。


「おい、これは明らかにタッチセラピーの域を超えている。これはもう大人がするやつだ! 悪い事は言わんから戻ってこい!」


「……もう、限界」


「星焔! あきらめるな! まだ大丈夫だろ!」


「むり、やだ………」


 とうとう星焔がしなだれかかってきた。体重をすべて僕に預けるように胸に体を乗せるのである。このままではまずい事になると僕の脳が警鐘を鳴らした。体中に冷や汗が流れる。心臓が締め付けられるように痛みだし、全身の血液が速度を増したようである。


 コイツはもうだめだ。もうどうなってもいいと表情が語っている。しかし、僕達がどうにかなった先に待つのは深い絶望と羞恥。そして、二度と戻らない関係である。星焔との関係をここで終わらせたくはない。少なくとも、記憶が戻るまでは終わらせるわけにはいかない。


「もう我慢できない……切ない……。私、切ないよ……」


「おい! 相良さん! どこかで見てるんだろう! いますぐ止めにこい! お前の尊敬する先輩が大変な事になっているんだぞ!」


「ようにいちゃん……ようにいちゃん……」


 黒く濡れた瞳で僕を見上げるのである。星焔が恋に濡れた顔で僕を見るのだ。やけに色っぽく輝く唇が口紅よりも魅惑的な化粧をほどこしたように僕を魅了し、星屑を振りまいたような瞳が純潔の美しさを体現している。


 これが恋する女の子というやつなのだ。星焔はその小さな身体で恋の美しさを体現しているのだ。


 星焔の手が首筋に伸びる。僕の緊張は限界に達した。


「キス……しよ?」


「星焔……やめろ……やめてくれ……」


「もう無理だよ……欲しいの。浅葱くんが欲しいの………」


「……くそ、もはやこれまでか」


 もう逃げられないと観念したその時だった。僕も星焔も予想していなかったが起きたのである。


 ガタガタガタガタガタガタガタガタ。


 突然、水の入ったボウルが震えだしたではないか。


「え、なに、なに!?」


 僕達はパッと離れて辺りを見回した。すぐに音の出どころを突き止めた僕が指をさすと星焔もつられて目を移す。


「あ、文字だ! 文字がカードに浮き上がっている!」


「え、うそ……まだその準備してなかったのに……」


 そこには『好きだよ』と書かれたカードがあった。


 黒い字でたしかに好きだよと書かれていた。


「こ、これは断じて違うぞ! 決して僕がこんな事を考えていたとか、そんなことは決してないんだからな!」


 僕は慌てて星焔を振り返った。なぜだか頭の中を見透かされたような気分になって星焔が騒ぎ出すに違いないと思った。


 彼女の事だからきっとひどい騒ぎを起こすはずである。これが僕の頭の中の事なのだから、間違いなく僕の本音が漏れてしまったのだと思ってしまった。


 ところが、これは星焔にとっても想定外の出来事だったらしい。


「わ、わ、わ………わぁ~~~~~~~~!」と、顔を真っ赤にして部室を飛び出してしまったではないか。


 これは後で大変な事になりそうだ………。


「ナイスタイミングだったろう?」


「七星……やはり君の仕業か」


 七星がカードを指でつまんで笑っていた。……あれ、こいつ、物に触れるのか? 当然のようにカードに触っているが、じゃああのカフェの出来事は何だったんだ?


「私の仕業であることは間違いないが、これは彼女が用意していたことだぞ?」


「……どうせ、あらかじめカードに図形が書いてあったんだろう。水で色がつくような塗料が塗られていてそれを浮かべてたんだ」


「うん。まあ、そうなんだけどね。この『好きだよ』っていうカードを最後にもってきたかったんだろうよ」


「何のために……」


 僕は七星からカードを受け取ってクルクル回してみた。何のへんてつもないカードである。こんなものを大量に用意していったい何がしたかったのであろうか。僕にはよく分からないが、星焔の事で理解できた行動など一個も無かった。これもきっと僕には理解できないのだろう。


「何のためにって、そんなの恋をしているからに他ならないだろうさ」


「恋ねぇ…………」


 あの様子を見る限りでは『策士策に溺れる』であったが、まあ相良さんの入れ知恵を星焔なりの手法で実践したのであろうか。直接言うと逃げられるからこういう変化球で攻めてみた。というのが本当のところであろう。


 僕はそう考えて納得した。


「でもね、君の彼女は私なんだ。それは忘れていないだろうね?」


「………君は」


「幽霊を怒らせると、怖いよ?」


 そう言ってほほ笑む七星。なぜだか僕は命を握られているような気がした。




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