第14話 物体移動マジック


 その日、僕は初めて星焔がドジを踏む瞬間を見た。犬も歩けば棒に当たるということわざにもある通りどんなに優れた人間も思わぬミスをすることがある。星焔は性に忠実な所を除けば完璧美少女である。通知表は平均9.8。スタイルも容姿も宝石を磨くがごとく元が良いものをさらに美しく保っている。マジックの天才と呼ばれてもその地位に甘んじる事なく努力を続ける所などは尊敬しているし、好きと言って過言でない。


 ところがその分、一度ミスをしたときのショックが大きいのだろう。


「はーー、もうやだぁ。帰るぅぅーーー。忘れ物したーーーーーーー」


 僕が教室に入ると、クマの毛皮のような体勢で机に突っ伏していた。


「なんだ。何を忘れた?」と、僕がカバンを引っかけながら訊ねると、溶けたスライムのような顔をずるりと横に向けて「教科書」と言う。


「お前にしては珍しい事があるもんだ。そんなにショックな事か?」


「いや別に教科書を忘れたこと自体は良いんだよ。浅葱くんと机をくっつける口実になるしね。それよりも先生に怒られる方がきつい」


「はあ、平気そうでなによりだ」


「あーもう、浅葱くんに頭撫でてもらえないと立ち直れないなーー。どこかの心優しい浅葱くんが私を慰めてくれたらなぁぁぁぁぁ」


「おいやめろそんな声を出すな。みんな見てるだろう」


 ちらりと教室に目を向けるとほとんど全員と目が合った。男子も女子もみんながみんな「お前がどうにかしろ」と言う顔をしている。


 これは本当に驚くべき事なのだが、僕のD組のみならず2年生の誰もが星焔の事を狙わないのである。前述したとおり星焔は美少女で、非の打ち所は一つしかないくらいの器量よし。しかも一途なのは僕で実証済み。にもかかわらず誰も狙おうとしないのである。


 まるで面白動物とその飼育員を見るような目で僕と星焔をセットで見るのだ。


 はなはだ面倒な事であるけれど、それがクラスの共通認識であるらしい。


「………かわいそうに」と半ば棒読みで星焔の頭を撫でてやると「それでいい」というふうに皆が頷いてそれぞれの会話に戻った。なんなんだこの空気感は。


「んふー。優しい。髪型が崩れにくいように力を入れてない所が高評価ポイントですね。女心を分かってらっしゃる」


「ぐっちゃぐちゃにしてやろうか」


「そんな事したら浅葱くんになおさせるよ。私が騒げばいいんだもん」


「……………………」


 こいつにはプライドが無いのか。そう言いたくなった。


「それにね、浅葱くんは絶対にそんなことしないよ」


 と、星焔が上目遣いに僕を見上げる。なぜそんな事が分かるのかと質問する前に彼女はこう言った。


「なんだかんだ言っても女の子が嫌がる事はしない。浅葱くんは紳士だからね」


「…………………良心の呵責かしゃくに耐えられないだけだ」


「下心が無いぶん信頼できる」


 お前が言うか。と軽く小突くと「きゃんっ」とわざとらしく鳴いた。


     ☆☆☆


 彼女が忘れたのは2限の数学の教科書らしい。1限が終わり、どうするつもりだと僕が訊ねると、星焔は悩みながら「持ってくるしかないよねぇ」と言った。


「いまから家に帰るつもりか?」


「間に合うわけないじゃん。そうじゃなくて、家から取り寄せるの」


「……はあ? 家から?」


「そう。家から」


 と、星焔はこともなげに言う。


 驚く僕を押しのけて星焔は僕のカバンに手を伸ばす。何をするつもりか(あるいは彼女の魔法的手品を拝めると期待していたのだろう)僕が彼女の行動をジッと見守っていると、星焔はカバンの中身を全部出してからこう言った。


「あのね、浅葱くんのカバンの中はワープホールになってるんだよ」


 ワープホール。SFでおなじみのワープホールときた。


「浅葱くんのカバンは私の部屋にも繋がっててね。私だけが自由にものを取り出せるの」


 たとえば……と、半信半疑な僕の目の前で星焔はウサギのぬいぐるみを取り出して見せた。こういう取り出す系のマジックの定番。薄汚れたウサギのぬいぐるみである。


「まっ、これは練習用だから帰ってもらうとして、何が見たい? 私の部屋にある物なら何でもいいよ」


「いや、別にお前の私物を見たいわけではないけど……ていうかどうやった。さっきのぬいぐるみはどこへ行った」


「もう返したよ」


 と言って星焔はカバンを逆さまに振った。ばっさばっさとほこりは落ちれどぬいぐるみは姿を現さず。中を見ても影すらなかった。


「……………………」僕は唖然あぜんとするしかなかった。


「ね、本当にワープホールでしょう? ほらほらぁ、私のみだらな秘密とか知りたくない? 浅葱くんならいくらでも見せてあげるよ」


「なら、お前の清らかな心を見せてくれ」


「そんなものとっくの昔に破いて捨てた」


 そこで授業開始のチャイムが鳴った。気づけばもう10分経っていたようである。


「ざ~んねん。もうちょっと遊びたかったなぁ」と星焔が当然のように数学の教科書を取り出してカバンを僕の机に置いた。


「ありがとう助かったよ」


「何度も言うが、本当にどうやった? お前、僕のカバンを一度も触ってないだろう」


 起立、礼。の号令に合わせて頭を下げながら僕は問う。とうぜんこれは星焔のマジックなのだが、タネも仕掛けも見当がつかない。本当に魔法のようだ。


「ないしょ~。知らないからこそマジックは面白いんじゃん」


「そうだけどよ……ん?」


 カバンの中を戻しているとき、ふと、底にカサカサなる物があるのに気づいた。


 取り出してみると手紙のようである。差出人は浅ぎ光陽(僕の名前だ)と書いてあり、裏面には『あまとさんへ』と書いてあるが………


「問題です。いつ書かれたものでしょーぉか」


「………………………」


 僕は、その手紙に見覚えが無かった。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る