第13話 静物音楽のマジック


 やっぱり私も楽器が弾きたいと星焔が言い出すのは避けられない運命であった。


 放課後のマジック部にて相良さんが「部長さんってヴァイオリン弾けるんですか?」と言い出したのが運の尽きであるように思われる。それを聞いた星焔が我が子を自慢するように「弾けるよ!」と満面の笑みを返し「あ、そういえば私も最近聞いてないな。どれくらい弾けるようになった?」と思い出すまでの流れは海に流れ込む河川がごとき滑らかさを見せた。


「面白くない。ぜんぜんおもしろくない……。なんでちゃんと弾けるようになってんの? 許せないなあ。音も鳴らせなかった浅葱くんはどこにいったの。あの頃の浅葱くんを返して?」


「え、え? こんなに上手なのに、なんでほむら先輩は不機嫌なんですか?」


「浅葱くんは私がいないと弾けなかったのに……」


 感動しきりの相良さんの隣で不満そうな顔をする星焔。抱き着く口実を奪われた事が悔しいのだろう。玩具を取り上げられた子供のように眉をひそめていた。


 そうして、「でも、私も楽器を弾けるようになれば2人で過ごせる時間が増える……?」と思いつくまで10秒とかからなかった。


     ☆☆☆


 そうして、さらに10秒後には「私も楽器が弾ける」と言い出した。


「見てて見てて、私、いまからピアノ弾いてみせるから」


「ほむら先輩がおかしくなっちゃった……」


 突拍子もない事を言い出した星焔に相良さんが哀れむ目を向ける。しかし、タキシードを着たピアニストを想像させる所作で長机に両手を添えると、星焔は目を閉じて静かに両手を上げた。


「あのね、常識じゃ考えられない事を現実にしてみせるのがマジシャンの本領なんです。おかしくなってなんかいません」


「でも……楽器がありませんよ。ピアノを弾きたいなら芸術室に……」


「ピアノならありますよ。ここに。この長机をピアノにしてみせましょう」


「……へえ?」


 相良さんは驚きっぱなしだけれど、マジックが好きと言ってもアマチュアであることに変わりはないのだろう。僕はなんだか納得していた。星焔が敬語になったのである。それは彼女がマジックで人を魅せるときの口上のようなもので、いま、彼女のショーが幕を開けたのだ。


「……行きます」


 すぅ、と肩で息を吸って星焔が両手をあげる。思わず見入るような優雅な所作に僕も相良さんも心を奪われていると、指が机に触れた瞬間、ポロン、と宝石が転がるような音が聞こえた。


「……えっ、え!?」


 ポロン、ポロン、と、最初はぎこちなかった音色がやがて繋がり旋律となる。


 それはたしかにピアノの音色だった。


「うそ……どうやって? こんなに綺麗な音……何の準備もしないで、技術だけでできるマジックじゃないはず。どんなトリックを使ったの? 分からない……信じられない…………」


「この曲は、ノクターンだったか? ショパンの曲だな」


 相良さんが口元に手を当てて目を見開いているが、星焔のマジックの中では可愛い方だと思う。彼女はシンプルなトリックを好んで使う事が多い。これもネタが割れれば大したトリックでは無いのだろう。だけど、魅せ方が物凄く上手いから、指さばきも、息遣いも、音に合わせて体を動かす様さえも、星焔自身が音を奏でているように聞こえさせてしまうのだ。


 ノクターン Op.9-2。淀みなく流れる美しいリズムと脳裏にを想起させる旋律が聞く者の心を穏やかにさせるショパンの名曲である。これをヴァイオリンで弾けたらかっこいいだろうと思って練習していたところだ。


 僕はヴァイオリンを構えると星焔に合わせて弦を鳴らす。


 狭い部室に音が反響して小さなコンサートホールだった。


「ふわぁ………幻想的………」


 相良さんはうっとりとした表情で目を閉じると、音を楽しむようにゆっくりと俯いた。最初は驚いていたようだけれど音楽の力にまどわされてしまったのだろうか。今はマジックであることを忘れて聞き入っているようだった。


 片やマジック片や音楽の奇妙なセッション。練習途中のぼろがいくつか出てしまったけれど星焔の体の動きに合わせて何とか演奏できている。きっとこんなショーができればたくさんの人を喜ばせられるだろう。


 ふいに星焔と目が合う。にこっと星がこぼれるような笑顔を浮かべて「いつかやろうね」と言った。


     ☆☆☆


「さて、スマホを出せ」


「はい」


「ブルートゥースイヤホンも使ったな?」


「うん」


「どうやって音を増幅させた」


「企業秘密」


 といったところが今回のマジックの全容である。


 ぽいぽいと長机に並べられる品々。それは誰もが普段から使っているものだ。耳にはめる部分だけのタイプのイヤホン。最新型のスマホ。彼女が用いた道具はたったのこれだけである。


「えっと、つまり、スマホの音楽アプリで再生した曲を手の中に隠し持っていたイヤホンから流して、その音に合わせて手を動かして弾いているように見せていた……と?」


 相良さんはそれらの一つ一つを手に取りながらおそるおそる訊ねた。


「うん。そうだよ。即席にしては上手くいったと思う」


「……もう、なんか、脳の作りから違うんですね。アドリブでこんなマジックができちゃうなんて………」


 すごいなぁ……と深い吐息まじりに相良さんが呟いた。彼女は星焔をライバル視していたようだけれどここ数日で意気消沈してしまったように見える。圧倒的な才能を前にして争う気もがれてしまったのだろう。遠い憧れの対象として尊敬しているようだが、僕からすれば相良さんもすごい手品師である。「元気だしなよ」と肩をポンポン叩くと、「部長さんに触られたくありません」と一蹴されてしまった。


「人前で披露するにはもう少し詰めないとだけど、でも、浅葱くんに見破られるとは思わなかったなぁ」


 冷たく払われた僕の手を今度は星焔がとった。あなたには私しかいないんだよとサブリミナル催眠をかけるような目をして僕を見つめる。その手には乗らないという意思を込めて僕は渋面じゅうめんを作った。


「見破られるも何も、お前は似たような事をやったろう」


「似たような事……?」と、星焔は不思議そうな顔をする。


「僕が初めてヴァイオリンに触ったとき、抱き着いたお前の手の中にもイヤホンがあったんだろう? 今回みたいに曲を流して僕がヴァイオリンを弾くように誘導したんだ。そうだろう」


「………………………」


 どうして星焔に抱き着かれただけでヴァイオリンが弾けたのかずっと謎だった。まるで魔法のようにヴァイオリンから音が流れた理由が。でも、今回の事で全部分かった。あのときも星焔は手の内にイヤホンをしのばせていて曲を流していたのだ。そうして僕にヴァイオリンが弾けるという意識を植え付けてショーに立つよう誘導した。


 星焔は不機嫌そうに俯いて「違うんだけどなぁ……」と呟くが、絶対嘘だ。


「ちょっと待ってください?」


 相良さんが水を差す。


「あの、もしかして、部長さんがヴァイオリンを弾き始めたのって……つい最近なんですか?」


「うん」


「………………ああ?」


 なんだか相良さんの顔が般若はんにゃのように歪んでいくが、どうしたのだろうか。僕はそのままの事実を答えただけなのだが何か気に障るようなことでも言ったのだろうか?


「なんなんですかそれ。つまり、部長さんも天才だったってことですか? めっちゃムカつくんですけど」


「天才……とは思わないけどな。毎日6時間くらいやってようやくこれだぞ?」


 電子ヴァイオリンも買って夜も練習に費やしてんだ。と付け加える。


「6ッ!? なんでそこまで……?」


 おまえはマジック部の部長じゃないのかと相良さんの顔が言っている。それはそうなのだが、どうしても上達しなければならない理由がある。


「だって……」僕は星焔を見た。


「こいつがBGMやれって言うから………」


「ひゃっ――――」


 相良さんが何を勘違いしたのか口元を両手で覆って後ずさる。星焔も同様に驚いたようだが、彼女の方はやがて頬を緩ませて「だから、大好き」と言った。


「………マジック部のためだ」


「それでもいいよ。浅葱くん大好き」


「ショーのためだ!」


「私とのショーのためだーーー!」


 星焔はようやく笑顔を見せた。


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