第11話 ヴァイオリンと幽霊


 その日マジック部を訪れたのは僕一人だった。天渡星焔が37度の微熱をだして学校を休んでおり、相良夕空が入部届けを出す前の話である。マジック部の部室は狭いはずなのに、人が一人いないだけでとたんに広く感じられて心細い気分になる。


「あんな変人でも大切なマジック部の一員だったということか……。帰りにお見舞いに寄ろう」


 あの無表情が無いだけで部室から色が抜け落ちたように感じられるから不思議だった。


 僕は誰に言うでもなく呟いてヴァイオリンをケースから取り出すと、姿見の前に立って姿勢の確認をする。


 ここへ来た理由は他でもない。ヴァイオリンの練習をするためだ。


 ヴァイオリンの練習なんて防音室でもない限り現代日本では難しい。騒音問題、隣人問題、見られると恥ずかしい。とにかく誰ともすれ違わない時間の方が少ないからいつでも誰かに見られているのが日本という国だ。


 その点、マジック部の部室なら物がたくさんあるから音を勝手に吸収してくれるし、そもそも真上で吹奏楽部が活動しているのだからうるさくて当然だ。


 顧問からは休みにしてもいいと言われたけれどめったにない1人の日である。この機会を逃す手は無いだろう。


「ようやく音が鳴るようになってきたし、楽譜の読み方も分かるようになってきた。このぶんなら星焔とステージに立つ日も近いぞ。……って、僕は何を期待しているんだ? これは押し付けられた役目なんだ。断じて楽しみになどしていない!」


 僕は大きく首を振って基礎練習本を取り出した。とりあえず基礎練を2時間やってから曲練習に入るのである。サックスを吹いている古賀から聞いたスケジュールだ。


「まずはスケールの練習からだな」


 基礎練本をパラパラとめくって目的のページを見つけると、吹奏楽部から借りた譜面台に乗せ、カチ、カチ、カチ、とBPM60をしらせるメトロノームに合わせて弓を動かし始めた。


     ☆☆☆


 ところが、僕は1人だと思っていたのに、楽譜から目を上げた時、見知らぬ女子がソファに座っていて拍手をしていた。


「お上手。ずっとやってるの? ヴァイオリン。まるで手足みたいに音を操るね」


「……君は?」


 不思議な女の子だった。という表現がぴったり当てはまる輪郭。そこにいるのにどこにもいないような不思議な存在感。そのくせ目が離せない何かを醸し出している。水色のロングヘア―が空気に溶けだすようになびいていた。


 この高校の制服を着ているけれど、僕は彼女を見たことが無い。生徒数400くらいの学校だから廊下ですれ違う程度の面識でも見覚えがあるはずだが……?


 女の子は、にこやかにほほ笑んでいた。


「私はしがない幽霊だよ。ねえ、何か曲を弾いてみせてよ。流行りのかっこいいヤツがいいな」


「鍵をかけている……よな。どうやって入ってきたんだ?」


「入るって言葉は出られる人が使う言葉だよ。だから、私は入ってきていないって答えるのが正しい。私は幽霊。いつもここにいるんだから」


「……ああ、星焔と同類か」


「………? 同類はあなたの方だよ?」


 彼女は七星ななほし戯曲ぎきょくと名乗った。やたらと幽霊という言葉を連呼するところ以外は普通の女の子に見える。天才を連呼する星焔もあれで普通の女の子だから、鍵がかかった密室にいたところで不思議ではあるまい。


 ……ということは、まともに相手をしたら疲れる人間であろうという事が確定したわけだ。ならば、無視。こういうやからは無視するに限る。


 僕はヴァイオリンを構えると、七星を無視して曲練習に入った。星焔がどういう曲を聞くのか知らないけれど、ショーのBGMっぽい曲をとりあえず練習する。ゆくゆくはアドリブで盛り上げられるようになるのが目標だが、そのための手数を増やせるような曲をいくつか見つくろってきたつもりだ。


「なんか綺麗な曲だね。ヴァイオリンが楽しそうに歌ってる。良い腕だ」


 七星は「ほぉ」と感心したようにため息を漏らしている。変人だと思っていたけれどこういうところは可愛いかもしれない。


「ね、あれ弾ける? 平沢進」


「……………………」


「無理ならイエロー・マジック・オーケストラでもいいよ?」


「……………………」


「もしかして、リクエスト聞く余裕ない?」


「趣味が偏り過ぎなんだよ!」


「でも、流行ってるから」


「何年前の流行りだ………」


 七星のリクエストは電子音楽が流行り始めた頃の、もう十何年も前の曲であった。名曲は時代を問わず好かれるものだけど、電子音楽をどうやってヴァイオリンで再現しろというのだ。もちろん上手い人は難なく弾きこなしてしまうのだろう。が、さすがに無理だ。


「そっかぁ。まあ、君も交通事故に遭う前は弾けたのかもねぇ」


「………………」


 ……………? 彼女は何を言っているのだろう? 交通事故に遭う? 僕が?


「いずれ思い出すかもね。思い出さないかもしれないけれど」


「………はあ?」


「ちなみに私は首吊り。……ま、気にしないでくれたまえ。ほらほら、もっと弾けよ」


「なんだコイツ………」


 七星は水色のロングヘア―を手でかき上げると足を組んで尊大な態度を取った。とつぜん変な事を言い出したと思ったら今度はヴァイオリンを弾けという。あまりの気まぐれっぷりに僕が閉口していると、こつこつこつ、と部室のドアを叩く人がいた。


「あれ、鍵かかってる……相良です~部活見に来たんですけど」


 相良夕空だった。まだ入部届けをだしていないのに、何の用だろうか。


「はいはい、いま開けるよ」


「あ、なんだ。部長さんの方か。ほむら先輩は?」


「風邪で休みだ」


「なんだ~~~~、マジックを教えてもらおうと思ってたのに~~」


 期待外れだ、というように相良さんは肩をすくめた。やっぱり僕は嫌われているらしい。お邪魔しま~すとズカズカと部室に入り込むと、せま~いと顔をしかめて言った。


「じゃあ、誰かと電話でもしてたんですか?」


「電話? いや、してないけれど」


「………独り言。こわっ」


 相良さんは何を言っているのだろうか? 部屋には七星がいるではないか。こんな狭い部室であんなに目立つ水色の髪が見えないのか? そう思ってソファを振り返ったけれど…………


「いや、独り言じゃない。僕はさっきまで彼女と話し……を………え?」


 七星はいなかった。


「部長さん、ずっと一人で喋ってましたよ? 誰かと話してるっぽかったからほむら先輩もいるのかと思ってましたけど」


「…………………」


「ほむら先輩でも電話でもないなら、誰と話してたんですか?」


「…………いやいや、え?」


 さっきまで七星戯曲という女子がソファに座って足を組んでいたはずだ。僕は彼女が立ち上がるところを見ていないし、部屋から出て行くところも見ていない。誰にも見られずに部屋から出ることなんて不可能なはずだが、七星戯曲はどこにもいなかった。


 ……僕は、誰と話をしていたのだ?


「………………嘘でしょ?」


 僕の視線の先を見て何かを察したらしい。相良さんが回れ右をして部室から出て行った。


「お化け出るんですか? じゃあ入部やめます。怖いの無理なんで」


「いやいやいやいや待て待て待て待て」


 僕が慌てて後を追いかけると、彼女はキッと振り向いて叫びだした。


「嫌です! ぜっっっっったいに嫌です! だってそこ、お化けが出るんでしょう!? 首を吊った女の子! たしか七不思議にありましたよ!」


「はぁっ!? こここここ怖い事言うなよ! でないから安心しろ!」


「じゃあ誰と話してたんですかーーーーーーー!」


     ☆☆☆


 その日、僕は逃げるようにして星焔の家に行った。彼女の家の方が近いからだ。


「……はあ、お化け?」


「そう、そうなんだよ! いや、違うんだけどさ、たしかに体はあったし、声も聞いたけど、でも、いつの間にか鍵のかかった部室にいて、気づいたらいなくなってて、相良さんは見てないって言うし――――」


「落ち着け、浅葱くん」と、星焔が僕の頭を叩いた。


 星焔は平然としていた。お化けくらいで騒ぐなと言いたげに口をとがらせる様はもはや一般人とは思えず、手品で除霊もしてしまいそうなほど頼りがいがある瞳をしていた。


「お化けかどうかは分からないけどさ、誰にも見られずに部室に入る事なんて簡単だよ? 鍵がかかってようが開いてようがね。目の前で人が消えたからって幽霊だって考えるのは早計。そんなんでお化け扱いされるなら私はなにさ。私、浅葱くんの目の前で浮いたし瞬間移動もして見せたよ? 私の方がよっぽどすごいと思わない?」


「………………」


「ね、ね、私の方がすごいよね」


「そう考えたら、そうかもだけど………お前はそれでいいのか?」


 言っている事は意味不明だけど、気遣ってくれているのだろうか? 星焔はベッドから起きだして僕に手を伸ばす。


「何でもいいよ。浅葱くんが私を頼ってくれるのが何より嬉しいから」


「……………………」


「ほら、抱き着いてもいいよ~?」


「それは、しない」


「風邪うつるもんね」


 と言って星焔は笑った。たしかに、僕はいの一番に星焔を頼っていたようである。この家へ来たのもほとんど無意識だったし星焔の顔を見て安心したことも事実だ。


『約束』


 あのとき星焔と交わした『約束』なんて、本当は言い訳に過ぎないのかもしれない。


 僕が立ち止まっている事の正当化では無いのか。ふと、そう思った。


「でもさ、浅葱くん」


「うん?」


 星焔の体をまじまじと見て言った。


「距離、近くない? なんでベッドに腰かけてるのかな」


「…………いつものクセで、つい」


「あはは、かわい~」


 本当は、心の底では分かっていたのかもしれない。


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