第10話 彼女はイカサマをしている 2
1年生教室に入ったときに星焔はこう言った。
「彼女のやり口は知ってるから。浅葱くんが新入部員が欲しいというのなら私がどうにかしてあげるよ」
と。
その言葉を信じるなら星焔は、相良さんがどんなトリックを使っているかを知ったうえでカード勝負を挑んでいるはずだ。
勝負はテキサスホールデム。いわゆるポーカーであるが、日本でポーカーと呼ばれるのは正式にはファイブカードドローというゲームであり、彼女たちが行っているポーカーとは微妙にルールが異なる。2枚の手札と5枚の場のカードで役を作るのがテキサスホールデムで、盤面にはクラブの10、クラブのQ、スペードのKがある。ここからターンが進むごとに1枚ずつ場の札が追加されていき、場の札が5枚になった時に完成した役の強さで勝敗を決めるゲームだ。
星焔の手札は僕からも見える。ハートとダイヤの10だ。ゲーム開始時点でスリーカードが確約されている状況はたしかに強い。が、相手がイカサマをしている場合はほとんど『負け』である。
勝負を仕掛けたのは星焔だ。相手のイカサマを知っていてなお勝てると踏んでいるからテキサスホールデムを選択したのだろう。
………なら、この1ターン目をどう解釈したらいいのだろうか?
☆☆☆
星焔は相良さんのトランプを手に取って1枚1枚確認していた。
「いいよ、これでやりましょう。ゲームは、そうだね……テキサスホールデムでいい? シャッフルとカードを配るのも相良さんがやってくれると楽でいいんだけど、どうかな?」
「……いいですよ。それでいきましょう」
星焔がトランプを手渡し相良さんが静かにシャッフルをする。すでにC組内ではどよめきが起こっていた。どうやら相良さんがイカサマをしているというのはクラス内でも周知の事実らしい。しかし、どんなイカサマを使っているか見抜けた者はいないのだという。
ゲームの勝敗は最終的な持ち点で決める事になっていた。僕らは高校生だから本来のポーカーのようにお金を賭ける事は出来ない。そのかわり新品のエンピツを2ダース用意して、一本を一点とカウントする。
勝負開始時の場の札は前述の通りである。1ターン目は星焔と相良さんが2点ずつベットして、スペードのQが場に出された。それによって場の札はクラブの10とQ、スペードのKとQの4枚が並ぶこととなり、それはつまり、相良さんのイカサマが星焔を苦しめている事を意味するのだ。
相良さんは必ずロイヤルストレートフラッシュで勝負を決めるらしい。彼女が勝負に勝つ時は必ずスペードのエースが手札にあることから『スペードの魔女』なんて呼ばれているらしいが、これでもし次のターンにスペードのJが出れば相良さんの手札がスペードの10とAであることが確定し、星焔がイカサマを崩せずに負けたという事になる。このゲームを支配しているのが相良さんであることは誰の目にも明らかだった。
「あの先輩やばいよ……」
「シャッフルも全部やらせてるんだよ?」
「でも、あの人ってマジックの天才なんでしょ? 何もせずに負けるなんてことがあるのかなぁ………」
「1ラウンド目から、なんて白熱してるんだ……」
いつのまにか教室にはすごい人だかりができていた。現役の天才マジシャンとスペードの魔女による世紀のポーカー対決。言い換えれば天才同士のイカサマ対決が行われているのだ。
星焔は涼しい顔をしているけれど彼女の手札はハートとダイヤの10。このターンにスペードのQが出たことによってフルハウスが確定したけれど、そんなものは魔王に挑む3面ボスのようなもの。ロイヤルストレートフラッシュに勝つことはできない役なのである。
「おい、星焔。本当に大丈夫なのか?」
僕はたまらず星焔に話しかけた。僕はゲームマスターを任されているから本当はこんな事をしてはいけないのだけれど、天才マジシャンと呼ばれるにはあまりにも抵抗をしない姿勢にやきもきしていた。
「なにが?」
「何が、じゃなくてだ。このままだと敗色濃厚ってやつだぞ」
「そーだねぇ。次のカードは何かなぁ」
「おま………マジか」
「私は5点だします。先輩は早く最後のカードを出してください!」
相良さんが怒ったように言う。ルール上は3ラウンドやって多く点数を獲得した方の勝ちであるけれど、この1ラウンド目にロイヤルストレートフラッシュを
1ラウンド目は2人がベットして最後のカードを場に出して終了する。彼女が何かを魅せるとしたらこのターンが最後なのだ。
ところが、敗色濃厚だというにもかかわらず、星焔はとんでもない事を言い出したではないか。ルール上は2人のベットする金額が揃わないと最後のカードがめくれないから僕は星焔に確認をする。すると、星焔は何食わぬ顔で「オールイン」と言うではないか。
「………は?」
「オールインって言ったの。聞こえなかった?」
「いや、聞こえていたが………お、オールイン? 持ち点全部賭けるってのか!?」
その瞬間の教室のざわめきたるや。僕はこれほどの熱狂を聞いた事が無い。天才マジシャンはまだ死んでいない。むしろ完全勝利を宣言するものだ。とクラス中は大騒ぎである。
どう見てもピンチな状況からさらに自ら
そんなフィクション的胸熱展開にクラス中が沸き立つ中、「はい。相良さんはどうする? 当然、賭けるよね」と星焔は表情を変えずに言う。
これがハッタリでなければ本当に星焔は何かイカサマを仕込んでいる。それも、一発逆転完全勝利のイカサマを。
じゃらじゃらと僕に渡されるエンピツを見ながら相良さんは目を丸く剥いて驚いたような表情をしたが、何の
僕には相良さんが焦っているようにも見えた。絶対有利だった立場から一転して窮地に追いやられたような脂汗。もう後には引けないと悲鳴をあげているようにも見えた。
「じゃあ、最後のカードを引くぞ」
僕は震える手を山札に伸ばし、1ラウンド目の最後のカードを引いた。誰もが僕に注目しているのが分かった。この1枚が勝敗を決する事になる。星焔のハッタリが本当だったのか。それとも相良さんのイカサマが勝つのか。僕はカードを引くと教室にいる全員に見えるように高々と掲げた。
そして全員に伝える。最後のカードを。
「……これは、最後のカードは………スペードのJだ」
「…………………」
「………………ふんっ」
「最後のカードはスペードのJだ」
僕がカードを宣言した瞬間、教室中から息を呑む音が聞こえた。落胆というか、心底悔しがっているような重苦しい沈黙を皆が吐き出した。
もう相良さんの手札を疑う余地も無いだろう。彼女はスペードの10とAを持っている。
僕も悲しい気持ちだった。
星焔は本当に天才的なマジシャンなのだ。彼女が起こす魔法のような手品をいくつも見てきた。それだけにこの敗戦はとても悔しい。
「ショーダウン。2人とも、手札を公開して」
僕はこの悪夢を早く終わらせたい気持ちで言った。
ところが………だ。
「何をやったの……どうして私が負けるのよ! 信じられない! どんなトリックを使ったっていうの!? 先輩は何もしていなかったじゃない!」
相良さんが身を切るような叫び声をあげてトランプを叩きつけたではないか。
「……………全部あなたが仕組んだことだよ? 私は何もしていない」
「嘘! 嘘だ! だったら私のエースはどこ!? なんでこんな……クラブの7なんてブタが私の手札にあるのよ!」
「……………そうなるようにあなたがシャッフルしたんでしょ? それとも、目印にしてたマークが別のトランプについていたから配り間違えちゃった?」
「――――――――ッ!」
星焔は「カードは大切にしなきゃね」と言いながらポケットから1枚のトランプを取り出した。それはスペードのAである。本当なら相良さんの手札の中にあるべきカードだ。それをなぜ星焔が?
「はい。あなたが欲しがってたカード。ごめんね。最初に触らせてもらった時に入れ替えちゃった」
「最初………あのとき? あのときにすり替えたって言うの? どうやって?」
「優れたマジシャンは決して手の内を明かさないものよ」
そう笑って星焔は1年教室を後にした。
教室の隅に並べられた机の上ではフルハウスとスリーカードの役が完成していた。スリーカードの方は、もしクラブの7がスペードのAだったならばロイヤルストレートフラッシュが完成していたかもしれない。
しかし、天渡星焔が仕込んだトリックによって、勝敗は初めから決していたのだ。
かくして天渡星焔は相良夕空を下したのであった。
☆☆☆
それから数日して、相良夕空がマジック部への入部希望を提出したという話を聞いた。先生は「本当にいいのかい?」と僕に聞いたけれど、お願いしますと答えておいた。念願の新入部員である。何を断る事があるだろうか?
「ところで浅葱くん。私、頑張ったよね?」
「ま、そうだな。あれは見事だった」
「じゃあ、ご褒美貰ってもいいよね?」
「事と次第による」
「浅葱くんに押し倒して欲しいのだけれど……」
「事と、次第に、よる」
「じゃあ、後ろからハグして」
「………………………」
「今はまだ部員が2人しかいないから、私が辞めたら廃部になるよ?」
「君のおかげだ。本当にありがとう。君が最高のマジシャンだ」
「えっへん」
ポーカー対決の日。あの日は部活が終わるまでずっとハグをさせられ続けた。制服に星焔の匂いが染みついて、少し嫌だった。
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