第8話 瞬間移動マジック
天渡星焔
「できれば入院もした方が良いと思うぞ」
「いやいや、天渡星焔は浅葱くんのそばに無数に存在するんだよ。いまはたまたま浅葱くんに観測されているから姿が見えているだけであって、目に見えていないときも私はあなたのそばに存在しています」
「おい、シュレーディンガーの星焔。もしくは量子力学的ヤンデレ。今度は何のマジックだ?」
「はいヤンデレです。あのねー、あの人のマジックノートを見てたら面白そうな瞬間移動マジックがあってね、試してみたいなって思って」
「瞬間移動マジック……ああ、そんなのあったな。でも確か、先輩のマジックってけっこう大がかりな舞台装置が必要じゃなかったか? 今から用意するのか?」
「ううん、もうできるよ。とってもシンプルに改造したから」
「あん?」
雲英星聖菜が部室を訪れてから1週間後の事だった。星焔はあの日から先輩のノートを数冊持ち出して熱心に読んでいた。同業者の出現にマジシャンの本能が刺激されたのだろう。なんだかんだ言っても難易度の高いマジックに挑戦したいという思いはあるようで、先輩のマジックを簡潔にできないものかとうんうん
それはもうとんでもない対抗意識であった。ノートの中には星焔ですら再現できないトリックがいくつか記載されているらしい。それも技術的に難しいというのである。天才マジシャンと褒めそやされる星焔がそれを面白く思わないのは当然で、なんとしても再現してやろうと
「瞬間移動だぜ? シンプルにするったって、もう一人同じ背格好のヤツに手伝ってもらうとか、それこそ回転装置みたいなのが無いと難しいんじゃないのか?」
「大丈夫だよ、でも、ちょっと小道具がいるから取ってくるね」
と言って星焔はソファから立ち上がった。その横顔は寝不足なのが伺えるやつれよう。マジックの研究で徹夜でもしたのだろう。目の下などはひどいクマができていたが瞳は達成感に溢れていた。完成したマジックを披露したいという高揚感が彼女を突き動かしているように見えた。
「ちょっとそこで待っててー。すぐ戻るから」
「おう」
しかし、マジック部を後にした星焔から手元の小説に視線を戻したときだった。
「あ、ごめんごめん、小道具も必要なかったよ」
という声が部室の奥から聞こえてきたではないか。
「え、え?」
「ごめんごめん、うっかりしてたよ。もうマジックは完成してるんだった」
記述する必要もないと思うが星焔がマジック部に戻ってきた様子は無かった。部室から出たのを見送ってから
「え、はっ……? いつの間に? だってさっき」
「なにか?」
「いやいや、だって……え?」
僕は困惑して入り口と星焔を何度も見比べた。さっき出て行ったばかりだ。部屋を出て廊下を歩く背中をしっかりと見ているのだ。それなのに、星焔が部室の奥の棚にもたれかかっていた。ブレザーのポケットに手を突っ込んで少しチルな雰囲気。だが、さっき部室を出て行ったばかりである。
部室には大掛かりな装置も星焔に変装した女子生徒もいない。そのうえ部室の奥は棚に3方向を囲まれているので隣の物置きから抜けてくることも無理。天渡星焔が部屋の奥から出現した。そう言い換える方が正しいだろう。
僕はとうぜん部室の外を見るためにソファを立った。偽物を用意していたのならまだ廊下にいるはずだと思ったが、いない。マジック部は3階廊下の突き当りに存在しているから他の部屋に逃げ込んだとも考えにくい。
ところが、廊下は無人であった。
「本当に瞬間移動したんだ……」
そう認めざるをえなかった。
「すごいでしょー。天渡星焔偏在説を実証したよ!」
「それは認めかねるが、でも、お前が天才マジシャンなのだと改めて思い知ったよ」
「んふふぅ、その言葉が聞きたかった!」
廊下を見渡して茫然としている僕の手を星焔が取る。その顔はかつて見たことが無いほど晴れやかで、少し悪い顔色で「褒めて褒めて」と言わんばかりに見つめられたら、さすがの僕も意地を張るわけにはいかなかった。
「今度ばかりはまったくトリックが分からない。だって先輩のトリックは回転床と通り抜ける穴が開いた棚が必要なんだぞ。それなのにお前は何の道具も使わずに再現したんだよな」
「うん。すごい? すごい?」
「ああ、すごいよ」
「んーーーー、嬉しいっ!」
と言って星焔は僕に抱き着いてきた。いきなりでビックリした。が、まあ、今回だけは彼女の好きにさせて良いと思う。それくらい頑張ったのだから邪険にするのはかわいそうだ。
「偽物がいた。あるいは私の方が偽物だって考えているなら触って確かめてみる?」
「いや、いい、そんな事を言い出すのは本物のお前くらいだ」
「いいからいいから、確かめてみてよ」
「他は何をしてもいいがそれは断るぞ!」
「じゃあ…………………」
星焔はそこで事切れたのか僕に抱き着いたまま眠ってしまった。よほど無理をしたのだろう。すぅすぅと心地良い寝息を立てて無邪気な寝顔。頬をつついて見ても起きる気配は無い。
「……仕方がない。起きるまで膝枕でもしてやるか」
星焔をソファに寝かせて、首を痛めないように膝枕をしてやる。でも起きたら面倒な事になるからできるだけ触れないように読書をするのだ。
……と、ふと部室の入り口を見ると鏡があった。鏡には部室の入り口が映っているが、なるほど、廊下側の壁に積まれた荷物が動かされていて、ひと1人が通れるだけの隙間が空いていた。これで廊下に出たように見せかけていたのだ。
マジック部と物置きは小さな
僕は天渡星焔が苦手だけれどマジックにかける情熱は本物だと思っている。
「そういうところは好きなんだけどなぁ………」
僕は星焔の頬を撫でながら呟いた。
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