第7話 引退した先輩の来訪


 ところで、なぜ僕がマジック部を守る事に執着しているかと言うと、引退した先輩の頼みだからだ。僕の一個上の女子生徒。雲英星きらぼし聖菜せな先輩。大人のように垢ぬけた雰囲気を醸し出すイケメン美女で、読者モデルにスカウトされたことも一度や二度じゃないらしい。スラッと伸びた手足が硝子がらすのように美しい人であるが、この人も変人と呼ばれるタイプの天才だった。


 天渡あまと星焔ほむらが魅せる天才ならば雲英星聖菜は作る天才。新たなマジックを作っては一人でほくそ笑む。マジック部が廃部の危機に陥ったのも一重ひとえに先輩の笑顔が妖怪のようだったからである。


「やあやあ光陽クン、久しぶりだねぇ」


「ご無沙汰してます。先輩」


 10月の終わりに差し掛かったある寒い日の事であった。部室の入り口に手をついてもたれかかっていたのは他でもない。元部長の雲英星聖菜先輩だ。この人のあるところに動乱あり。また何かひと騒動起こすつもりだな、と僕の直感が告げていた。


 僕が警戒していると、先輩は素知らぬ顔で部室に入り込み辺りを見回した。


「噂は聞いているよ、そっちの子が入ってからは順調のようじゃないか。マジック部の名が再び全国にとどろくようになって私も鼻が高いよ。もっとも、私の作ったマジックは一つも披露してくれてないらしいがね。私は気にしていないけれど」


「すいません。僕がもっと上手くなれば先輩のマジックも……」


「いや、いいんだ」と、先輩は首を振った。


「手品師たるもの自分がやりたいマジックをやらなければね」


「はあ………」


 いったい何をしでかしに来たのだろう……? と僕が緊張していると、それが伝わったのか星焔が僕の袖を掴んだ。彼女も先輩を警戒しているようである。


「………………………」


「で、そっちの子が天渡クンだね? 初めまして。私は雲英星聖菜。マジック部の元部長だよ」


「……初めまして」


「おやおや、ポーカーフェイスの下から緊張が見て取れる。何か嫌われるようなことをしたかな? 私の記憶には無いんだけれどね」


 先輩はあくまでもにこやかな顔を崩さずに笑った。とはいえ、この人は表情と心の声が乖離かいりしている人だから僕はとても怖かった。「まあ、気にしていないけれどね」とほほ笑む先輩の喋り方は、苛立ちをかみ殺しているときの喋り方だったからだ。


「とはいえ、現役の天才マジシャンを前にして挨拶も無しというのは失礼だな。これを受け取っておいてくれるかな」


 まるで道化師のような大げさな身振りで先輩がお辞儀をする。何やらすでに火花が散っているような雰囲気。


小人しょうじん閑居かんきょして不善をすとはよく言ったものだが、恥ずかしながら私もマジシャンを志望するものでね、高校卒業を前に気ばかり急いてそのくせする事が無いからこんなモノを作ってしまったよ」


「あっ…………」


「ふぅん……」


 体を起こした先輩が手を差し出した。その手のひらにはさっきまで何も無かった(少なくとも僕にはそう見えた)はずだが、いつの間にか一枚の名刺が握られているではないか。それはさっきまで入口についていた方の手である。名刺を取り出す時間なんて無かったはずだが……?


 僕が驚いていると、ふぅと短い息を吐いて星焔が静かに立ち上がる。先輩が何をしたのかすべてお見通しだと言わんばかりの落ち着きようであった。


「パームですね。入口に手をついていた時からしのばせていたのでしょう。名刺が潰れないように体重をかけていないのがバレバレでしたよ」


「おっと、手厳しいね。さすがは天才マジシャン様だ。御見おみそれしました。……僭越せんえつながら本物のマジックについてご享受いただいても?」


「良いですよ。私を手品で騙すおつもりなら、これくらいはしていただかないと」


 と、星焔は名刺を手に取ると雲英星先輩をジッと見つめた。今度は星焔が手品を披露する番だ。


「……………………」


 星焔は左手の手のひらに先輩の名刺を乗せてそれを右手で数回撫でる。まるでそこに魔法を仕込むように丁寧に指先で撫でると、名刺の端をつまんで裏返し、右手の指をパチンと鳴らした。


「さ、これを裏返してみてください」


「……これだけかい?」


「ええ、これだけです。あとは先輩が驚いてくださるだけでマジックは完了です」


「…………………」


 先輩の驚きはもっともだった。星焔がカードに触れた瞬間と言ったら指先で撫でた時のみである。それなのに星焔はマジックを完了させたというのだ。


 これから何が起こるのか。僕もとても興味があった。


 先輩がいぶかしがりながら自分の名刺を手に取る。表に向けたとき、先輩の目が見開かれるのを僕は見逃さなかった。


「……これは、君の名刺かい」


「はい。これから同業者になるという事ですから、私の名刺も渡しておかなければいけないでしょう」


「………見事だ。何をしたのかさっぱり見抜けなかった」


「うふふ、私がお仕事を奪ってしまわなければいいんですけれど」


「…………………………」


 にこやかにほほ笑む星焔。先輩は口元をヒクつかせて明らかに怒っているようだ。星焔がここまで人をあざけるのを見たことが無いけれど、これは降参した相手に追撃を加えるようなものである。


「ストップ、ストーーーーーップ! 2人とも待って!」


 いくら表情と心の声が乖離している先輩でも限界はあるらしい。2人の間の空気が沸騰して今にも爆発しそうであった。


「ちょっと待てって。なあ星焔、君が一番すごいのは僕がよく知っている。さっきのマジックなんか僕には何をやったのかさっぱり分からなかった。君が一番だ。な? だからいったん落ち着いてくれ」


「…………分かった」


「先輩も落ち着いてください! 先輩は作る方が好きなんでしょう? あの創作マジックノートを僕は何度も見返しています。独創性と高度なスキルで構成された先輩のトリックは簡単に真似できるモノじゃありません。きっと素晴らしいマジシャンになれます!」


「……………君にそこまで言われたらな」


 すまなかった、と先輩が頭を下げる。自分が大人げなかった事に気づいたのだろう。謝るべき時は素直に謝る。こういうところは本当に人間ができていて僕は大いに尊敬しているのだけど……。と、安堵していると、しかし、星焔が一向に謝らない。


「星焔?」


「……………………」


「不必要に煽ったお前も悪いぞ。先輩がこうして頭を下げているんだからお前も謝るべきだ」


「………………………」


 星焔は口をとがらせて不服の意を示していたが、僕がジッとにらむとやがて嘆息たんそくして先輩の手元を指さした。


「私の名刺、めくってみてください」


「……ん? なるほど、こんな単純なトリックだったのか。君の名刺の裏側が肌色のシールになってて、私の名刺を上から張り付けたってことか」


 先輩はやれやれと苦笑しながら星焔の名刺を剥がした。その下からさっき先輩が渡した名刺が姿を現す。……という事は、星焔は名刺をすり替えたわけでは無いという事なのだろうか? ただシールを張っただけ?


「どんなすごい事をやったのかと思ったら……」と僕が呆気あっけに取られていると、その様子が面白かったのか、星焔がクスクス笑いながら先輩に手を差し出した。


「ええ。その通りです。マジックの本懐は魅せ方にあります。どんなに単純なトリックでも魅せ方次第では大きな効果を上げられるんですよ?」


「勉強になったよ。君は噂通りの天才マジシャンだ。それを改めて認識した」


 2人は何やら和解した雰囲気だった。固い握手を交わす。もう心配する必要は無さそうだ。


 笑顔で頷き合う2人を見て僕はようやく安心できた。


「はあ、何とかなった……。やっぱりこの人は常に騒動を巻き起こす人だなぁ」


 雲英星聖菜あるところに動乱あり。いったい何のためにマジック部を訪れたのかは分からないけれど、喧嘩に発展しなくて本当に良かったと思う。先輩はここを訪れた時からすでに怒っているように見えた。だから星焔の挑発に過敏に反応したのだろうし、もう来ないと言っていたマジック部に訪れたのだろうと思う。


 めったに感情をあらわにすることが無い先輩が何に怒っていたのか気になるけれど、でも、マジック部に関わることなら顧問の先生から聞かされるはずだ。


(そうすると、先輩が怒っていた理由は個人的なものなのだろうか? まあ、あまり気にする必要はなさそうだ)僕はそう考えた。


 それに……


「ところで、天渡クンは私のノートを見てくれたのかな?」


「ええ、拝見しました。トリックの難易度にこだわって観客の心情を置いてけぼりにしたマジックが多いという印象を受けましたね」


「……ほう? さすが魅せる天才様は言う事が違うねぇ」


 …………安定したかに思われた2人の仲はまた険悪になりそうな火花を散らしている。2人を放っておくとまた喧嘩に発展しかねないし、今は間を取り持つことに専念した方が良さそうだ。


「待て待て待て、2人とも待ってー!」


 僕は深い息を吐いて再び戦場に身を投じたのだった。


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