第6話 鳴らない楽器


 マジック部の部室の上には吹奏楽部が使う芸術室がある。


 うちの学校の吹奏楽部はそこそこ強豪で、毎年県大会を突破するくらいの実力を有している。部員数も24名といわゆる小編成の楽団であるが、彼らの響かすサウンドは50人の大編成にも劣らない迫力である。


 放課後になると彼らは校内に散らばり思い思いの場所で楽器を響かせる。それは屋上であったり1年教室であったり中庭であったり、トランペットやユーフォニアムの金管楽器やフルートやクラリネットの美しい木管楽器の音が学校の至るところから聞こえてくる。


 学校が一つの楽器になったかのように七色の音が放課後を彩る。それを安らぎと捉える者もいれば、逃げるように下校する者もいる。ただ、演奏できない事に苦しみを覚える者も中にはいるようだ。


「あーあ、私に音楽の才能があればなぁ」


「あったとしてどうする。それにそのヴァイオリンはどこから持ってきた?」


「手品の小道具。弓の先に花が仕込んであるんだ」


「ほら」と星焔はヴァイオリンを弾いていた弓を僕に向けて振る。するとポンッという軽い音がして色とりどりの花が咲いた。


「叔父さんのカフェでたまにマジックショーやってるじゃん? あれ、BGMがいつも同じでつまんないんだよね。音楽も大事な要素だからどうにかしたいんだけど……」


「はぁ……、まあ、人には向き不向きというものがあってだな」


「でも音は鳴ってるよ」


「その是非は分からんが、はっきり言って下手くそだぞ」


 僕は耳栓を外して言った。


 吹奏楽部の合奏に触発されたのか、私も楽器を弾きたいと言い出したのが2日前の事。いま彼らが演奏しているのは今度の演奏会でやるらしいジャズ曲だ。(僕は知らないけれどエル・クンバンチェロという曲らしい)アップテンポの曲でついつい体が動いてしまうリズムと迫力のある金管のサウンドに圧倒される。が、ヴァイオリンはつまみ出されるであろうと思う。


「初めて触ったにしては上出来だと思うんだけどなぁ。でも、BGMは逼迫ひっぱくした問題なんだよ。私が飽きたんだから。心踊るサウンドがなきゃこれ以上マジックショーなんて出来ないよ」


「お前の気分の問題かい。新しいCDを用意すればいいだろ」


「だからそこを自分でどうにかしたいって話じゃん」


 星焔はマジックの天才である。もはやプロと呼んで然るべきその才能をもって彼女は親族の経営するカフェでアルバイトをしていた。週1回のマジックショーのバイトである。土曜の夜8時から1時間ほど。困った事に星焔はこのアルバイトを部活動の一環として行っているのだから僕もついて行かなければならない。ただ、星焔のアルバイト代はそのままマジック部の活動費にてても良いと本人が言うので、僕はむしろありがたいと思っている。


 という事は、よくよく考えてみれば、新しいBGMが無ければショーをしないというのはかなりまずい事態ではないか? マジック部自体が星焔の気分で廃部になってしまうくらい彼女に依存しているのだから、早急に解決しなければ明日も無いぞ。


「分かった。吹奏楽部でサックスを吹いてる古賀ってヤツがいるから、ソイツに手伝ってもらえないか聞いてみるよ。コンクールで入賞するくらい上手いヤツだからショーの演奏も引き受けてくれると思う」


「あ、浅葱くんがけばいいんだ」


「話を聞いてくれ…………」


 星焔はそうしようそうしようと言ってヴァイオリンを僕に押し付けた。


「待て待て待て、僕は楽器なんか弾けないぞ」


「浅葱くんが弾かないなら私もマジックショーをしない」


「なんて身勝手なんだ! こいつ!」


 彼女はかなりの気分屋でしかも融通が利かないから一度言い出したことは飽きるまで取り下げないだろう。


 これは大変困った。僕ごときに楽器が弾けるわけが無い。そもそも楽器に触った事すらない超ド素人の僕だ。これはもうマジック部とサヨナラする覚悟を決めた方が早いだろうか。残念だ。


「弾けないかどうかなんて試してみるまで分からないでしょう? もしかしたら未来の浅葱くんは一流のヴァイオリニストとして活躍しているかもしれない。そんな可能性だってあるのに挑戦しないのは未来の自分に対する殺人だよ。未来殺人だ!」


「未来殺人ってなんだ! 楽器一つ極めるのに人生をかける人が大勢いるんだぞ。素人が簡単にできる事じゃない」


「そんなことは挑戦してから言え!」


 と星焔がものすごい剣幕で言う。犬歯をむき出しにして、怒っているようにすら見える。お前は弾けて当然なのだと言わんばかりの勢いだ。


「分かった、分かったから……とりあえずチャレンジはするけどさ。弾けなかったらCDで我慢しろよ?」


「うん、弾けなかったらね」


 星焔はとたんに頬を緩ませた。彼女は未来を見透かす事ができるのだろうか? ループものの主人公が未来を改善した時の安堵にすら見えた。


     ☆☆☆


 ところが、やっぱり弾けなかった。僕には無理だ。そもそも音が鳴らないのだから問題外である。


「うん、想定内だよ、想定内」


 素人の星焔でも音は鳴ったというのに、僕は自分の才能の無さに失望した。やはり天才は何をやらせても天才という事なのだろうか。彼女と僕の間にある壁がハッキリと姿を現したように思えた。


「下手に慰められる方が傷つく……。悔しいけど星焔の方がまだ才能があったという事だ」


 僕は悔しさを紛らわすようにヴァイオリンを弾いた。やはり音は鳴らない。まるで滑る石の上を撫でているようだった。これでどうやって音を鳴らすというのだろう? 僕の弓には摩擦まさつが存在しないのかもしれない。


「………えいっ。これでどうだ!」


 と、とつぜん星焔が抱き着いてきたではないか。


「うわっ! 何するんだ、びっくりするじゃないか」


「弾いて。早く弾いてみて!」


「はあ?」


「早く、早く!」


 何が何だか分からないが星焔の勢いに突き動かされてとにかく弓を動かした。ヴァイオリンというものは弦を振動させて音を鳴らす楽器である。弓を扱う力加減というか、脱力しながら力をかける事が大切な(僕には何を言っているか毛頭理解できないのだけれど)楽器らしいのである。その力加減を理解しなければ音を鳴らす事なんてとうてい不可能のはずなのだが……。


「ひ……弾けた?」


「うん………うん! 弾けてるよ! 浅葱くん弾けてるよ!」


 星焔が僕に抱き着いたとたんにヴァイオリンから音が鳴り始めたではないか。それはあたかもレコードに針をかけるがごとく滑らかに鳴り出したのである。


「ど、どうなってんだ? これ、何のマジックだ?」


「えっと、えっと、私が浅葱くんに念を送っています。こうやって体をくっつける事で私は浅葱くんの体を思い通りに操る事ができるんです」


「まためちゃくちゃな事を言い出した……。でも、本当に僕の体じゃないみたいだ」


 僕はなんだか夢を見ているような心地で腕を動かし続けた。手のひらに弦の振動が伝わる。どう弓を動かせば音を操る事ができるかがわかる。流れるメロディに聞き覚えは無いがこのヴァイオリンが記憶しているように淀みなく響き渡る。


 とても美しい音色だった。吹奏楽部の合奏に負けず劣らずのれた音色がマジック部を満たす。


 と、ふいに星焔が僕から離れて音が止まった。


「でも、私が操らないといけないんじゃショーには使えないね」


「あ、おい。せっかく楽しくなってきたのに」


「体を操るのは疲れるのー」


 これぞまさしく黄梁こうりょう一炊いっすいの夢。僕の全能感など星焔の気分次第で儚く消えてしまうのだった。


 はい終わり終わり、と星焔はヴァイオリンを奪い取ると簡単に手入れしてからケースに仕舞ってしまった。その顔がやけに赤いのはどうしてだろうか。


「とりあえずはCDで我慢するけど、浅葱くんは早くヴァイオリンを弾けるようになってね」


「……いいのか?」


「うん。でも早く浅葱くんとステージに立ちたいから頑張って練習してね。はい、これ」


「だから無茶を言うなって………」


 僕はヴァイオリンのケースを受け取りながらため息をつく。どうやら星焔の中では僕がBGMを担当するのは確定事項らしい。債務の支払い期限が伸びただけである。


 厄介な事になったけれど、でも、今すぐマジック部が廃部になる事は無さそうで僕は安心した。


「抱き着いてほしかったらいつでも言ってね? 練習以外でもいっぱいぎゅってしてあげるから」


「誰が言うか。僕一人で弾けるようになってやるさ」


「ふふん、いつまで強がっていられるかな?」


 おりしも夕焼けが長い影を伸ばす時刻であった。僕はヴァイオリンのケースと学生カバンを提げてマジック部の部室を出る。帰り道にどこか人気ひとけのない所で練習するつもりだ。


 星焔はまだ部室に残るつもりらしい。ドアを閉めるときにバラバラとトランプを噴水のようにまき散らす音が室内から聞こえた。


「昔はもっと上手だったんだよ……? 浅葱くん、早く思い出してくれないかなぁ」


 夕陽に隠れるように星焔はそう呟いた。とうぜん、僕には聞こえなかった。


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