第16話 リフレイン

 時を少し巻き戻す


 大川採掘場跡まで来たのはいいものの、透と雨京は坑道のどこに香澄がいるか分からなかった。途方に暮れていると、どこからともなく一人の子供が目の前に現れる。その子供は膝上ほどの大きさしかなく、よく見ると背景が透けてみえる。


「久しぶりだね」


 百々目鬼と透が見つめ合う。二人は雨京がいないかのように振る舞い、透が百々目鬼に声をかけ続ける。


「……」


 やり取りの間に入るのは野暮であると黙っていた雨京ではあったが三十分程の後に痺れをきらせ透に声をかける。


「ひょっとして、百々目鬼か?」


「……………………」


 同意を求めるが、透も目の前の子供からも反応は無い。しばらくすると唐突に百々目鬼が奥に向かい歩き出す。雨京が百々目鬼を追いかけようとするが、何故か透はその場から動かない。


「雨京。十分もしないうちに美鈴もここにくる。合流してこの先にいる香澄さんを助けてあげてくれ」


「はっ? なんでそんなこと知ってるんだ?」


「百々目鬼が教えてくれた」


「えっ? あいつ今何か喋ったか? というかあいつはやはり百々目鬼なの?」


「とりあえず任せたから。頼んだよ!」


 透は手を上げると雨京の話も聞かずに風のようにいなくなってしまう。雨京が透を追うか香澄の元に駆けつけるか迷っていると、気まずそうな表情を浮かべた美鈴が雨京の元へとやってくる。昨日の今日で内心どぎまぎとしていると美鈴が雨京と向き合う。


「昨日はありがとう。この先に香澄がいるんでしょ?」


「ああ。香澄が心配だ、行こう!」


 ※※※


 雨京は屋代を一通り確認し、考えに耽る。宇都宮豪雨以前の遥か昔から黒い百々目鬼と白い百々目鬼は誕生と消滅を繰り返してきた。


 しかし、白と黒の百々目鬼に憎しみらしい感情が描かれるようになったのはここ数百年のようである。しかも最後の一枚の黒百々鬼は何というか生々しい。


 美鈴の言っていた黒百々目鬼も人を襲っている時に実体があったという。それに比べて白い百々目鬼には肉体があるようには見えなかった。


 ――ここ最近の異常気象

 ――透の前に雷と共に現れた白百々目鬼

 ――人を襲う黒百々目鬼

 ――宇都宮豪雨

 ――八街と息子さん


 ここ最近の事件を思い返していると突然八街のある発言が雨京の頭の中でリフレインする。


 《岬さんもそこにいたんだ。黒い雷以外の話は分かるはずだ》


 雨京の顔から血の気が引いていく。何かが頭の中でつながりかけている。雨京はゆっくりと腰を上げると屋代を後にした。


 ※※※


 宇都宮レールウェイに乗り、街に戻ったのは今日で何回目であろうか? 透の膝の上には白い百々目鬼。


 しかし、二人は何も語らない。いや、語り合う必要はないのだ。今の透には百々鬼の考えが全てわかる。百々目鬼がやろうとしていることも、これから宇都宮がどうなるかも。


 ――黒い百々鬼が何をしようとしているのかも。


 百々鬼と共に電車を降りる。宇都宮の空は先程の雨が嘘のように青い空。百々目鬼は相変わらず透を見る事はないが曇りのない目で正面を見ている。


「分かったよ百々目鬼。僕が宇都宮を守るよ」


 百々目鬼の思いを受け、透は力強く宇都宮の街を歩き始めた。


 ※※※ 


 台所に立つ岬は鼻歌を歌いながら軽快に包丁を動かす。今日は雨京の好きな親子丼である。鬼怒川家では具の中に白菜を入れる。雨京は白菜入りの親子丼が小さいころから好物である。マンションのドアが開く。いつもであれば雨京から今日の晩御飯のメニューを尋ねられるはずだ。


 しかし、いつものように雨京から岬へ言葉がかけられることはない。キッチンに入って来た雨京は何も言わずにそのままテーブルから椅子を引くと無言で座った。


「お帰り」


「言ってないことあるだろ。俺、屋代に行ってきたよ。飾られている絵画も見て来た。新聞の記事で死んだ十年前の大学生はてっきり八街さんの息子さんだと思ってたよ。でも亡くなったのは違う人なんだろ? 黒の百々目鬼の憎しみは八街さんの息子さんの感情ではないはずだ」


「鋭いわね。流石、私の息子」


 岬が戯けて言ってみるものの、いつものような軽快な反応は返ってこない。まるで岬の背後にある後ろめたいものを見透かしているような態度である。料理の手を止めると雨京の正面へと座る。考えをまとめるためか、はたまた話しずらい何かを決意するためかは分からないが、僅かな沈黙を挟み、岬は十年前のことを語りだした。


「あの豪雨の日。八街直樹君がいなくなったあの場所には、もう一人いたの。同じ研究室の同級生、櫻井唯人君よ。櫻井君は八街君のライバルで二人とも成績優秀。将来は二人とも大学の研究室で研究者になると私も思っていた。でも、大学の方針で研究室には一人しか残れないと言われた。そこで二人は研究の成果でどちらが大学に残るか決めようとしたの」


 岬は雨京の前ではあまり吸うことのないタバコを取り出すと背中を見せタバコに火をつける。


「二人とも優秀だったけど八街君は特に優秀だったの。お父さんの血かしらね。しばらくして櫻井君は奇妙なことを研究室の同期に話すようになったの。――妖怪を見たと。それからしばらくして櫻井君は人が変わったかのように喋らなくなった。研究は相変わらず熱心に取り組んでいたけどプライベートでは一切何も話さなくなった」


 櫻井の話が進むにつれ、岬は頭を抑え、押し黙る回数が増えていく。普段見る事のない岬の表情に雨京は動揺しながらも話に耳を傾ける。


「あの日。研究室を出る前に櫻井君は私に久し振りに話かけて来たの。《今日で全てが決まる》って最初は夜に起きるメガフラッシュのことを言っているのかと思った。でも違った」


 そこで岬は話すのを止める。雨京も辛そうに話す岬を見て、何か言葉をかけようとするが、そのまま口を閉じると話し始めるのを静かに待つ。


「ふぅ。ごめん。櫻井君と八街君は観測機の設置に二人で向かったわ。よく考えれば最近話さなくなった櫻井君が八街君を誘ったところで違和感に気付くべきだったのよ。八街君に聞いていると思うけど、あの日は天候が荒れていて、周りに誰がいて、どういう状況で、何が起こっているか把握できなかったわ。しばらく経っても戻ってこない二人を見て、私は教授に断りを入れると二人を呼びに向かった」


 この先の話にある結果を想像し、雨京の手は汗まみれだ。不安が増し、鼓動が早鐘を打つ。


「二人が観測をしているはずの場所には何故か横たわる八街君とその様子を見下ろす櫻井君。最初は二人が喧嘩でもしたのではないかと八街君に駆け寄ると地面には夥しい血液の量。時折、光る稲光が照らす先には櫻井君が持つ黒い小刀が見えた。咄嗟に八街君の出血を抑えると櫻井君を睨みつけたわ。でも、そこで気付いたの。


 櫻井君を稲妻が照らすたびにその姿がこの世の者ではなくなっていくのを。姿を変えた櫻井君がその黒い短刀を私に向けたときそれは起こったの――宇都宮豪雨最大の放電が」


 雨京はゆっくりと顔を上げると知らぬ間に開けていた口を閉じ、唾を飲み込む。


「……どうなったんだ?」


「すぐ近くに落ちた雷は私の意識を奪い、身体を勢いよく飛ばした。幸い、命に別条はなかったものの、次に意識が戻った時には避難先だったの。その後を目撃したのが八街くんよ」


「いくら直撃とはいえ本当に死体は消失してしまうものなのか? 八街さんの息子さんは消えたって言っていたけど……」


「いくら高出力も落雷でもあれだけの障害物があれば人間の遺体二つを消すことはできない。二人は正確には死亡ではなく行方不明なの。私は大学の管理責任を回避するため事故と偽り報告をした。殺人事件を落雷の事故にすり替え、八街君を見捨てたのよ」


「……嘘だろ」


「八街君はあの時すでに亡くなっていたし、櫻井君はもう人間ではなくなっていた。そんな事を言っても誰も信じない、大学の権威が失墜しかねないわ。私は嘘をついたの、大学と研究室は守るために」


 雨京は席を立つと自室の部屋へと無言で戻る。岬は手を伸ばし雨京の肩を掴もうとするがその手が肩を掴むことはなかった。

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