第12話 八街宅 その弐

 言葉を止める。目が泳ぎ、やっと視線が定まった先には一枚の写真があった。その写真に写っているのは少年から青年にかけての爽やかな男の子、笑顔で八街と写真に写っている。


「数百メートル先の観測場所に俺の息子もいた。しかし、二度目の黒い雷が落ちた後にその場には誰もいなかった。いや、その言い方は間違えているな。俺の知ってる奴はもう誰も居なかった、いたのはモンペを着たガキが一人だけだ」


「モンペ? 園服じゃないんですか?」


「エンプク? ああ園服か。いや、戦時中に着るようなやつだ。その子供はじっと俺の事を見ていたよ。何か、言いたいそうにも見えたな。今、考えるとあの目は憎しみだったのかもしれないな。しばらく子供と視線を合わせていると再び黒い雷が落ちた。雷は地面で滞留しながら様々な形を取り、龍の形を取ると子供はその龍に捕まって一瞬で姿を消した」


「……お子さんは?」


「死んだよ。黒い雷なんて過去に観測されたことはない。ただ、あれが凄まじい威力であるのは間違いない。その近辺半径二十メートルの地面が抉られ消滅していたのだから当然息子もいるはずもない」


「……そうですか。辛いですね」


 香澄は八街の辛そうな表情を見ると居た堪れない気持ちとなる。


「すいません。最後に一つ聞かせて下さい下さい。その子供はこんな子でしたか?」


 香澄は絵で描いた百々鬼を八街に見せる。特別上手いという訳ではないがよく特徴を捉えている。八街は訝しげな表情を浮かべるが、しばらく見ていると納得したようで小さく頷く。


「ああ、こんな感じだ。でも暗かったせいかも知れないが俺が見た奴は真っ黒だったな」


「黒? 白ではなく?」


「ああ。黒だ」


「……そうですか」


 八街は何の疑いもせず、百々目鬼の話を聞く香澄に疑問を抱く。


「ひょっとして……君はその子供を見たのか?」


「はい。黒ではなく。白ですが」


「本当か! タ、タクミは見たのか?」


「タクミ? 何ですかそれ?」


「いや、見てないんだったら良いんだ」


 八街は腕組みをするとしばらく考え込む。途中、雨京が声をかけてみるが待ってくれの一言だけ。やがて何かを決意するような表情を浮かべる。


「申し訳ないが帰ってくれないか? これ以上俺から話すことはない」


「えっ。まだ、聞きたい事があるんですが!」


「いや、後は君のお母さんに聞きなさい。岬さんもそこにいたんだ。黒い雷以外の話は分かるはずだ」


 八街は香澄と雨京を立たせると背中を押すように強引に外へと追い出す。二人もどうにかして話を続けたかったが肝心の八街がこれではどうしようもない。慌ただしく玄関から出されると玄関の扉を乱暴に閉められる。


「閉められちゃったね……」


 しばらくの間二人で顔を見合わせていると扉の鍵が再び開けられ八街が顔だけ覗かせる。


「行くことは推奨しないが、もし、メガフラッツシュを見るなら一週間後だ。一週間後に十年前と同じ事が起こる!」


 再び力強くドアが閉められる。


 ――来たかいはあった。


 しかし今は頭がパンクしそうである。二人は先程の話を忘れないように頭のメモに書き留めながら無言のまま雑居ビルを後にした。


 ※※※


 癖毛で、岬に似てないガキだった。前しか見てないような、暑苦しいような、しかし時折影を見せる子供。予め聞いていないガキまで一緒についてきて、だいぶ困惑させられた。可愛い顔に似合わない肝っ玉の据わったガキ。今のガキはあんななのだろうか。


 どうやらあいつらもこの事件を追っているようだ。しかし……。もしかするとあの時の再来となってしまうのか? 俺はただ事件の真相を知りたかっただけだ。しかし、このままでは犠牲者が、俺と同じ思いをする奴が出るかもしれない。


「それだけは避けなくてならない」


 ※※※


 八街は香澄と雨京が帰った後に薄汚い本を取り出す。どうやら誰かが記した日記のようだ。八街は小さくため息をつくと何度も読み返したであろうその日記に再び目を通した。


 20××年 宇都宮


 ×月×日

 ゼミの研究内容は完敗だった。自分の限界まで練り上げた研究結果を凌駕する八街直樹の研究の成果。悔しさを通り越して清々しいとさえ思ってしまった。……そんな自分に無性に腹が立った。


 ×月×日

 研究に身が入らない。気晴らしに散歩にでかける。宇都宮は幸いにして歴史的知見にしても地形的知見からしても暇つぶしには最適である。程よく知的好奇心を満たしてくれる。今日は大川採掘場跡に向かうことにする。


 ×月×日

 観光地化され、整備された採掘場でまさかあのような場所を見つけるとは……。本当に誰も気付いていないのか?


 ×月×日

 歴史に興味はそこまで湧かない性質である。しかし、実物の歴史を体感しながら学ぶとここまで興味深いものになるとは……世の歴史教師は無能であると言わざるを得ない。それにしても何故短刀など持ち出してしまったのだろうか? どうしようもなく惹かれてしまう短刀に困惑を隠すことができない。


 ×月×日

 深入りしすぎてしまったか? まさかあのようなものを見てしまうとは俺も焼きが回ったといえる。あれは俺の心の弱さが作り出したイマジナリーフレンドというものであろうか? しかし、あれを見ていると心が落ち着く。


 ×月×日

 会心の出来の論文だった。教授も褒めてくれたし岬さんも興味を持ってくれた。しかし、俺の心が晴れることはない。八街直樹。あいつは……あいつは。


 ×月×日

 この日記を書くのも久しぶりだ。今日、これを書くのは自分の決意を曲げない為なのだと考える。あの場所にたどり着いたのもあの短刀を見つけたのも百々目鬼との出会いも……八街直樹との出会いも俺にとっては運命だったのだろう。


 ×月×日

 久しぶりに八街に話しかけた。奴は《俺が話かけてくれて嬉しい》などと抜かしやがった。心の底で俺を馬鹿にしているのがよくわかる。憎い、憎い、憎い、憎い、憎い、憎い、憎い、憎い、憎い、憎い、憎い、憎い、憎い、憎い、憎い、憎い、憎い、憎い、憎い、憎い、憎い、憎い、憎い、憎い、憎い、憎い、憎い、憎い、憎い、憎い、憎い、憎い。


 ×月×日

 明日だ。


「明日か……。櫻井唯人。お前は本当にあの場所にいたのか?」


 八街は本を閉じると、クシャクシャになった煙草の箱から曲がった煙草を取り出し火をつけた。

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