第11話 八街宅 その壱
学生時代に付き合っていた女がいた。名は岬。さばさばとした性格で男受けも女受けもよく、よく笑う女だった。すらりと伸びた手足に、涼しい目元は一部の者から絶大な支持を受けており、俺が岬と付き合っていると公になった時は酷い嫉妬の嵐が巻き起こり、ぼろくそに言われた記憶がある。
岬とは数年付き合ったが別れは突然だった。
「八街君にはもっといい人がいるよ」
というとあっさりと別れを告げられた。青天の霹靂とはまさしくこのことである。俺は岬のことが好きだったし、いずれは結婚するだろうとぼんやり考えていた。もちろん相手の意向は尊重しなくてはならない。しかし、自分の気持ちを整理するまでには随分と時間がかかった。
古い友人からメガフラッシュが確実に起こると伝えられ、俺は詳しい話を聞くために久方ぶりに母校へと向かった。友人と昔話に花を咲かせ校門を後にしようとすると懐かしい声に呼び止められた。
「八街君?」
「……岬」
久方ぶりの再会であった。あの頃とさほど変わらない。少しだけ目元に皺が増えたであろうか? ピンっと伸びた背筋に涼しい目元。相変わらずいい女である。
「久しぶりだね」
「ああ。あの時以来か」
「……うん。元気にしてる?」
「……そうだな。ぼちぼちだ」
口元は笑っているが目は俺の顔を見ている。久方ぶりだというのに俺のことを心配しているのだろう。
「じゃあ、これで。岬も元気でな」
「あっ! ちょっと待って。少しだけ話さない?」
「……あ、ああ」
本当は断りたかった。しかし、断ることが出来なかった。岬の笑顔に誘い込まれるように俺は近くの喫茶店へと足を運んだ。
※※※
ビルの外階段を登り、非常階段の入口より中へと入る。八街は雑居ビルの三階にいるという。乱雑に物が散らかった廊下を掻き分け奥へと進む。八街がいるという部屋の前に着く。しかし、部屋の中は暗く人の気配は感じられない。
「ここに本当にいるの?」
「たぶん」
「……」
扉の表札には何も書かれていない、ベルも反応はない。仕方なく雨京が扉をノックするが、やはり部屋からは何の反応もない。香澄が訝しげな表情を浮かべると困った雨京は部屋に向かって声を張り上げる。
「岬の息子です。黒い龍の話を聞きに来ました!」
しばらくの沈黙の後、中から人の歩く音がする。廊下の軋む音とともに玄関から現れたのは無精髭を生やし、痩せこけた四十代半ば男。男が近くによるとタバコの匂いが漂ってくる。
「お前……一人と聞いていたが?」
「関係者です。どうしても話を聞きたかったようで連れてきました」
男は面倒臭そうな表情を浮かべると中に入れと合図を送ってくる。雨京は指示通りに中に入って行くが香澄は家の散らかりようを見て、入るのを躊躇した。しかし、透の事を思うとこんな所で踏みとどまっている場合でないと判断し、靴を脱ぐと爪先立ちで二人の後を追いかけた。
(何か貼ってある。201×年×月×日メガフラッシュ 計測……?)
他にも数字や天気が記された図面に何かを書き込んだ書類、グラフなどが書かれた紙が貼ってある。しかし、いずれも張り出されてから時間が経っているようで日に焼けた張り紙は所々黄ばんでいる。やがて奥のソファに着くとソファの荷物を雑に退かし二人分のスペースを空ける。どうやらここに座れということらしい。
「で、何が聞きたいんだ? 俺は忙しいんだ、手短に頼むぞ」
「そんな風には見えませんが……。では、担当直入に聞きます。黒い龍と一緒にいた子供の話を聞かせて欲しいんです」
八街は大きくため息をつくとタバコのライターを探す。表情から察するにまたかと言っているようだ。八街のライターを探す手に戸惑いが見える。机に置いてあったはずのライターが中々見つからないのだ。八街が顔を正面に上げると香澄が難しい顔をしてライターを持っていた。
「私達、未成年なのでやめてくれますか?」
「なんだ。気が強い姉ちゃんだな。お前たち本当に学生か?」
テンプレの制服を着ている二人を見て、どうして八街はそのように思うのか? タバコを吸うのを諦めた八街は小さくため息を吐くとタバコに火を付けずにそのまま話はじめる。
「……見たぜ。あれは十年前。お前も知ってるんだろ。俺もあの場所にいたんだ」
タバコをケースに戻すとそのまま懐にしまう。八街は両手の指を交差し、当時を思い出すように見上げ、すぐに視線を落とした。
「あの日の宇都宮は何もかもが異常だった。そこら中で放電は起こる、宇都宮の一ヶ月分の雨が一日で降っちまう。明らかにやばい現象だった」
当時を思い出したのか手が小刻みに震え、八街の表情に不安と恐れが露わになる。
「風速二十メートル。一時間における降雨量が20ミリ。人間がやっと立っていられるレベルの風速で前もろくに見えない。普通だったら間違いなく避難するレベルだ。でも、あそこにいる奴はみんな頭のネジが飛んでいる奴だった。これから何か起こるんじゃないかと皆が嬉々として観測をしていたよ。観測チームは幾つかに分かれ、俺は教授と共にメインの観測チーム。その観測には学生も参加していた」
八街は落ち着かないのか、もう一度タバコに手を伸ばすと、吸えない事を思い出して湯呑みに入っていた冷めたお茶を飲み干す。
「お前たちも雷は見たことあるだろ? 普通の雷は一瞬だ。一瞬光が走る。でもメガフラッシュは違う。十秒以上発光し続けるんだ。要はずっと地面に放電し続けてる訳だ。そして研究室の奴らがメガフラッシュを観測する中おかしなことが起こる。観測地点から百メートルほど離れた場所に黒い稲妻が落ちた。――そうだ、本当にやばいのはその黒い稲光だったんだ!」
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