第10話 さぼり

 芳賀透宅


 父の話を聞いた時も自分が死ぬというイメージができなかった。しかし、屋上で四人と話し、香澄が自分のために泣いている姿を見て、その日の夜に初めて死の恐怖を実感した。


(死……考えたこともなかった。宇都宮の生活も慣れてきた。父とも再び話すようになり、学校も以前よりクラスに溶け込めていると感じる。そして、香澄……まだ死にたくないな)


 考えはまとまらない。ループし、そしてまた不安が募る。そんな意味のない考えを繰り返す内に透は深い眠りへと落ちていった。


 ※※※


 八幡山香澄宅


 香澄は二階の自分の部屋に駆け上がると勢いよくベッドに飛び込む。百々目鬼で透と近づけたのに、その百々目鬼によって透の命が奪われるとは想像もしなかった。


 しかし、改めて考えると香澄の中である違和感が膨らんでいる。透の家の前で見た百々鬼が透の命を奪うとは到底思えないのだ。


(あの百々目鬼に悪意は感じなかった。むしろ透君に引き合わせてくれたような気さえする。……明日、雨京君に話をしてみよう)


 ベッドから飛び起きると新書と覚書の写しに再び目を通し始める。


「私が透君を救うんだ!」


 ※※※


 数日後にはメガフラッシュが控えているにもかかわらず、宇都宮の空には雲一つない。外のベンチで食事をするにはもってこいの天気である。しかし八幡山香澄は通常の高校生活を送れる心情ではない。ズカズカと隣のクラスの教室に乗り込むと目当ての人物を探す。


「ねえ。鬼怒川雨京君知らない?」


 突然声をかけられた男子高校生は教室を見回す。続けて横にいる友人に確認をとると友人が首を傾げた。


「どうやら今日は来てないようだぞ。何か雨京に用か?」


「ありがとう! それならいい」


 端的に答えると教室でざわめきが起こる。そんな様子を気にすることなく香澄は教室の扉を閉めると、後ろに付いてくる美鈴に声をかける。


「いないみたい」


 未だに透が死ぬと信じていない美鈴。しかし真剣に話を信じ込んでいる香澄の気持ちを察すると無下にすることもできない。しかし、いつ暴走するかわからない香澄を見て、いざと言う時は自分がどうにかしなくてはと美鈴は朝から香澄と行動していた。


「うーん。放課後に一緒に探してみようか?」


「……私、帰る。雨京君を探しに行く」


「はっ? 何言っているの? 冷静になりなよ。さぼるっていうの?」


「授業受ける気持ちにはなれない。また連絡するね」


「ちょっ、ちょっと!」


 美鈴を振り切って廊下を走り抜ける香澄。普段は見せない素早い動きであっという間に姿を眩ましてしまう。


「はぁ。香澄ぃ。ほんとどうしちゃったのよ……」


 ※※※


 銀杏並木通り


 香澄は人生で初めて学校を中抜けした。学校から家に連絡がいけばめんどくさい事になるのは分かっていたが、今行動しなくては一生後悔する。


 しかし、なんとなく駅に向かって来たものの、当てがあるわけでもない。


 市役所近くの並木通りを歩いていた香澄はふと銀杏の木を見上げる。この木は戦争も生き残り樹齢は四百年を超えるという。四百年ということは惣左衛門が存在した頃にもこの木があったということである。


「銀杏さん。百々目鬼のこと何か知らない?」


 困った挙句にでた言葉だ。もちろん確信があってでた言葉ではない。行き詰まった上での独り言。しかし、香澄の意表をつくものが銀杏の木の裏手より現れる。


 銀杏の木の陰から現れた背を向けた男児。香澄の膝にも満たない体躯に園服に帽子を深く被っている。まさかと思い香澄が目を凝らすと薄っすらと園児の先の背景が透けて見える。


「百々目鬼!」


 百々目鬼は大きな声を上げる香澄に体を強張らせると。そのまま並木通りを駅に向かい走って行く。


「ちょっと待って! あなたに聞きたいことがあるの!」


 百々目鬼はスタスタと歩みを進め、その後ろを香澄が小走りで追いかける。並木通りを抜け、市役所の中を通り、歩道に出た百々目鬼。相変わらず百々目鬼の背中のみしか見えないが、距離は徐々に近づいている。駅につながる階段を登り香澄が少し遅れて階段を登る。


「ハァハァハァ。あれ、百々目鬼は?」


 階段を登り切るがその先に百々目鬼は見当たらない。左右を見渡し、駅の中も覗いてみるがやはり奇妙な園児は見当たらなかった。


「……聞きたいことあったのに」


 肩をがっくりと落とし、膝に手を突く。絞り出した声は今にも泣きそうである。そんな香澄を背後からとある人物が話しかける。


「香澄? お前、学校は?」


 意外な人物との出会いに驚いた声をあげる男。香澄が振り向き、声を掛けてきた人物を見るとそこには気だるそうな雰囲気を漂わせた鬼怒川雨京が立っていた。


「お前、サボったのか?」


「こんな状態で勉強なんてできない。そもそも雨京くんも学校行ってないじゃない」


「たしかに」


 雨京は頭をぽりぽりと掻くと気まずそうな表情を浮かべる。


「雨京くんも透君のこと調べているんでしょ?」


 雨京は小さく笑うとそのまま前を向き銀杏並木を歩き始める。何も答えないのに対し香澄は困惑を覚えたが、目的はどうやらこの先にあるようだ。香澄も雨京の隣に並んで歩き始める。


「……いや、実はな、今から人と会うんだ。本当は一人で会うつもりだったんだけど、お前も来るか?」


 やはり百々目鬼は香澄を導いていたのかもしれない。雨京のこれから会う人物に香澄の求めているものがあるようだ。


「会う人って誰?」


「八街さんって言うんだ。うちのお袋の古い知り合いで連絡をとってもらったんだよ」


「八街さん? 透君に何か関係あるの?」


「会えば分かる」


 香澄は質問を続けるが、雨京はそれ以上何も答えない。「八街さんに確認してくれ」の一点張りである。現状は何かを掴んでいる雨京に着いて行くしかない。導いてくれた百々目鬼も八街と話すことを望んでいるのだろう。


 十分ほど歩くと込み合った住宅街へと入る。雨京は唐突に歩みを止めると香澄に質問する。


「もう一度聞く。本当に俺について来るのか? この先に待っている答えはお前たちにとって辛いものになるかもしれないぞ?」


「覚悟はできてる。辛い未来が待っているなら、それを乗り越えてみせる」


「そうか。八街さんはお前達以外に百々目鬼を見た唯一の人物だ。十年前の嵐の日、百々目鬼が何をしたか俺はそれを聞きに行く」

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