第8話 勘違い

 母と香澄に手当てをしてもらう透と透父。そして玄関の床の上に土下座で顔を擦りつけているのは香澄の父、伊佐久である。


「透君すまなかった! 煮るなり焼くなりしてくれ。いや、ここで切腹させてくれ!」


 透が半分呆れながらその必要はないと促す。しかし、怒り心頭の香澄は顔を真っ赤にして涙を流している。


「香澄さん、俺は大丈夫だから。怒ってもないから、どうしてこうなったか話してくれない?」


 香澄は一呼吸を置き、ぽつりぽつりと先週の電話からのいきさつを話し始めた。


「私ね。透君の話しを勘違いしちゃったの。《両親に会って欲しいて》言われて、ありえないと思いつつ、けっ、けっ、結婚するんじゃないかとはやとちりしちゃって」


「「「結婚!」」」


 若干一名、驚きでなく黄色い悲鳴が混ざっていたのは気のせいであろうか? 透は先日の香澄との電話でのやりとりを思い出す。


「………」


 確かに香澄の様子がおかしかった気はする。自分の発言により香澄に気を使わせてしまったことを後悔する。


「ごめん、香澄さん。俺、まだ結婚は……」


「う、うん。ごめん」


 香澄は今にも泣き出しそうである。誰も悪くない。誰も悪くないが取り戻せない何かが崩れ去ろうとしている。場が静まり返る中、透が香澄に目を合わせる。


「香澄さん。全部終わったら二人で話がしたい。その時、俺の話しに対して香澄さんの気持ち聞かせて貰っていいかな?」


「そ、それって」


 透が顔の前に掌を前に出す。


「ぜ、全部終わったら答えるよ。流石にここでは言えない」


 香澄は顔を赤面させると首を何度も縦に振る。言葉にしていないだけで実質告白である。そして回答もされている。正座をしていた伊佐久が鼻息を荒くしていくと片膝を立て一気に立ち上がる。


「おっ、おっ、おぉぉぉぉぉぉ!」


 またもや父が暴走すると思った香澄。諌めようと伊佐久を抑えようとするが凄まじい速度で踵を返し、ドアを乱暴に開けると飛び出して行く。


「「「「……」」」」


「すみません、父が迷惑をかけます」


 ※


 改めて居間のテーブルに通される香澄。テーブルの上には《惣左衛門覚書》と《惣左衛門新書》が並べておかれる。興奮する透父、甲太郎。


「写しとはいえここに覚書と新書が並ぶとは感慨深い」


 見た事がない父の表情を見て、透も驚きを隠しきれない。四十を超える父がこのような表情をするとは。


「香澄さん見てもいいかな?」


「はい。どうぞ」


 甲太郎はゆっくりと丁寧にページを開くと凄まじい速度で巻物に目を通していく。しばらく父を見てみるがこちらが視界に入っていない。そんな三人を見兼ねて透の母が声をかけてくる。


「透、香澄ちゃん。しばらく時間がかかると思うからこっちでご飯を食べましょう!」


 香澄は一家の大黒柱に作業をさせ、食事などとっていいのかと迷っていたが、透に促され別のテーブルに移る。テーブルには三人分の食事が用意されており、透の母があらかじめ用意してくれたのが窺える。透の隣に香澄が座ると正面には母が座る。


「お父さんはああなってしまうと時間がかかるわ」


 母が箸を持ち食事を口に運ぶ。


「ところで、香澄ちゃん。本当に透でいいの?」


「ブッフォッ」


 あまりにも突然、あまりにもストレートな物言いに透は思わずむせ返る。


「ちょ、ちょっと何を言ってるの?」


「えっ? さっきのはそういう話じゃないの?」


 勢いとはいえあの場であのような発言をしてしまった事を後悔する。一週間、いや、一ヶ月は引っ張られるだろう。苦虫を噛んだような表情を浮かべると横にいる香澄を盗み見る。香澄の顔は茹で蛸のように真っ赤に染まり、このまま卒倒してしまいそうな勢いだ。


「ちょっと、飲み物汲んでくる」


 思わずテーブルを離れキッチンへと避難する透。残されたのは女二人。透はキッチンよりテーブルを見るが二人は笑顔で食事を楽しんでいるように見える。


(はぁ。変なことになったな)


 透が一気に麦茶を飲み干すと別室にいた甲太郎の声が聞こえる。


「こ、これは」


 珍しく大声を出す父に驚き、透が父の入る部屋へと移動する。顔を見せると興奮気味に透に声をかけてくる。


「透、お前ひょっとしてドドメキを見たんじゃないか?」


 甲太郎から思わぬ言葉を聞き透は驚きの表情を浮かべる。


「えっ! 何で知ってるの?」


「や、やはり見たのか……」


 いつになく真剣な表情を浮かべる甲太郎。新書と覚書を読んだ結果一つの結論が出たようだ。


「この本が有名になった理由の一つとしてこの本が事実に沿って書かれたのではないかと言われている」


「えっ? じゃあ百々目鬼も本当にいたという事?」


「ああ。ただし妖怪として存在したのかは分からない。一つの事象として存在が確認されている可能性が高いという事だ」


「それで何か問題なの?」


 甲太郎は家に香澄が訪ねて来ていることを思い出すと、自分を落ち着かせる意味を兼ねて声のトーンを落とす。


「すまん、すまん。お客さんがいるんだったな。いや、ちょっとな……」


 透は腑に落ちない表情を浮かべている。甲太郎は言うか言うまいか迷った挙句、徹に向かいゆっくりと口を開く。


「透、落ち着いて聞いてくれ……百々目鬼を見た人間は高確率で死んでいるのだ」

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