抱える想い


 目覚めるとそこは見慣れた室内だった。


 山の屋敷の一室。嫁いでから瑚春が使わせてもらっている部屋だ。


 凰霊葉オウレイハのスッキリとした香りが部屋を満たしているせいか呼吸が楽に思えた。



「気が付いたか」


 その声に、それまでぼんやりしていた記憶がはっきりとよみがえる。


 視線を向けるとすぐ傍に珂月が座っていて瑚春を見つめていた。



「瑚春、すまなかった」


 こう言いながら、目の前で頭を下げる珂月に驚き、瑚春は身体を起こした。



「珂月さ───」


 瑚春の声は弱々しく掠れたうえに咳き込んでしまった。


「まだ横になっていろ。熱が下がってないんだ」



「───大丈夫です」


 瑚春は首を振った。


「凰霊葉の香りが効いてるから。そんなに苦しくないです」



「そうか……」



「なぜ珂月さまが謝るのですか」



「怖い思いをさせた」



「珂月さまのせいじゃないです」



「薬湯を持ってくる。それから衣服を取り替えたほうがいいだろう。沙弥子に来てもらったほうがいいな。だが外は吹雪だ。しばらくはやみそうにない。沙弥子もすぐには来られないと思うが」



「───呼ばないで。着替えくらい自分でできます」



「しかしまだ熱が」



「子供じゃないんです。どこか怪我してるわけでもない。ひとりで着替えます」



 今は沙弥子さまに会いたくない。



 なぜか強くそう思った。



「……そうか、わかった。───薬湯を用意してくる」



 立ち上がり、珂月は部屋を出て行った。



 ───ちゃんと話さなければ。


 暁の言葉、そして自分に見せたあの場所のこと。



 珂月さまに聞かなければ……。



 瑚春は布団から出て着替えはじめた。



 ♢♢♢



「薬を飲んだら温かくして眠れ。この薬湯には身体を温める効能もあるから。きっとよく眠れる」



 珂月は薬湯の入った小ぶりの碗を瑚春に差し出した。


 瑚春はそれを受け取りはしたものの、盆の上に置いて言った。



「薬を飲む前に珂月さまとお話したいことがあります。あの場所は……郷長さまが私に見せたあそこが波八の湧清水、水元の一つというのは本当ですか?」



 珂月は何も言わず、視線も下に向けていた。



「郷長さまは言ってました。一番古い水元で、真陽代の山護りにも代々伝えられていた場所だと。珂月さまも知っていたんですね……。 厳重に封じの結界をして、まるで隠すように」



「瑚春。話は明日だ。今日は薬を飲んでよく休んだほうがいい」



「嫌です。私は今、話がしたい。ちゃんと理由を聞かせてくれなきゃお薬飲みませんから!」



「───おい……」



「先延ばしにされるのは嫌ですっ」



「おまえ……」



 珂月はどこか動揺している様子に見えた。



 瑚春は膝の上で両手をぎゅっと握りしめた。



 そうしていないと泣きそうになってしまうからだ。



「隠していたのに見つかっていないと嘘をついたのはなぜですか……」



「瑚春、俺は……」



「私を花嫁として迎えた理由は贄にするためですか」



「違う!そんなことはさせないっ」



 不機嫌に、そして怒りのこもった声を響かせ、珂月は瑚春を見つめた。



「本当……に?」



「本当だ」



 それは瑚春が聞きたかった珂月の言葉だった。


 自分が贄になるなんて。きっとなにかの間違いだと思いたかった。


 珂月に否定してほしかったのだ。



「心配するな。おまえを贄になどしない。禍神に差し出せなどと暁が勝手に言ってるだけだ」



「でも……だったらなぜ……」



 ぽろぽろと零れる涙を拭うことなく、瑚春は言葉を続けた。



「私と珂月さまは本当の夫婦になれないのですか?私たちはまだ夫婦の契りを交わしてません。でもそれは私が贄になる必要があるからだと。……贄は生娘でなくてはならないからって……」



「暁はおまえにそんなことを言ったのか」



 頷くと、珂月の手がそっと頬に触れ、親指の先が涙を拭う。


 瑚春は驚いて珂月を見上げた。



「瑚春。俺がおまえに、まだ夫婦になるつもりはないと言ったのを覚えてるか?」



 小さく頷く瑚春に珂月は言葉を続けた。



「それは龍神の託宣で受けた俺とおまえの婚儀が、本当は来年の春の予定だったからだ」



「え……?」



「だが暁が贄の件で早くからおまえを狙っていた。それどころか瓊岐にぎの郷へ戦を仕掛けようとしていた情報もあったんだ。俺は龍神から婚儀の託宣とは別に受けた約束事がある」



父神ちちがみさまと……?」



 いったいそれはどんな話なんだろう……。









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