第54話 無限監獄のアサヒ
俺は2023年の時を生きていたはずだ。
地球上の半分を黒い泥が覆い、存在を乗っ取られながら、それに気づかない人類が半数近くまで達していた世界。その状況を打開するために元凶の虚神ナイアルラトホテップの領域に突撃したはずだ。
なのに俺はいつのまにか2018年の世界にいた。
5年前。俺はまだ中学生だし、
違う箇所があるとするならば、妹サクラが助からなかった事だ。
趣味の悪い精神攻撃だと思ったが、そのシーンが終わっても俺が置かれた状況は続いた。寝ても覚めてもただただ5年前の朝が来る。
どうなっているんだ一体。
「これが夢や精神攻撃じゃない可能性はあるか?」
『どうでしょうか。アサヒが言う事が真実であるとするならば、
「精神だけ時を越えたってことか?
『ありますよ。一番高確率であり理屈に合うのはアサヒが錯乱状態にある、という説です』
「――おい。それは除外だ。ほんとうに信じてくれているんだよな? アース」
『信じていますとも。ですが同時にアサヒの頭がおかしくなった可能性も考慮し続けているだけです』
「そこは無条件で信じてほしいな。普通に傷つくぜ」
『すいませんねアサヒ。基本的にロジカルな乙女なのです』
「馬鹿言ってやがる」
俺たちは軽口をかわす。
何一つ分からないままだが、アースが協力してくれているのが救いだ。
病院から飛び出した俺は、アースを返せと研究所に乗り込んだ。
研究所には、ドクターを含めた数人がいた。理由も言わずアースを求める俺に不信感を抱いた彼らは俺を拘束した。その時少し暴れたのが悪かったな。イライラしていたんだ。考えなしに突っ走ってしまった。
一晩隔離されて、その後ドクターは、俺の精神が不安定になっていると判断した。肉親が死んだ直後だから混乱していたのだ。という事になっている。
「アサヒ、ほんとうに大丈夫? 試験できるかな?」
マイク越しのミウ姉の声が降ってくる。見上げればガラス張りの制御室から彼女がみている。ここは研究所内の実験場で、俺はアースの戦力試験をしている最中だからだ。
「はい。大丈夫です。出してください」
返答の後、ゲージに入った
俺はそれをさっさと叩き潰した。制御室から「おおー」と歓声があがる。
「すごいでぇすね。身のこなしが中学生とは思えませんね……。それはアース・スターの影響なのですか?」
「はいドクター。幻想器の身体ブーストです。他のオード作用機よりも強い効果があると思います」
「わかりました。次でぇすね。どんどんデータをくださぁいよ」
うなづき、放たれる食屍鬼を削り飛ばした。
この時代のドクターは身体がある。喋り方もかなり大人しいな。普通の科学者って感じだ。確かに最初はこうだったな。
『さきほどの話ですが、本当に信じていますよ。私を振るう戦い方を見ればわかります。アサヒは未来から来たアサヒです』
「ありがとなアース。とりあえず、今は大人しくする。だがな……」
俺はもう一度、制御室を見上げる。
そこには、しかめっ面の男と、ヘラヘラと笑う妙齢の女がいる。
男はエイボンだ。いや、今はエボン神父としての記憶しか持っていないからエボンだな。今のアイツはどうでもいい。
問題は女のほうだ――
「すごいデスね! 本当にすごいデスよ! アサヒさん!」
無邪気に飛びはねて笑っている。褐色の肌を持つシスターナイア。
俺の知る未来の世界では、ナイアルラトホテップの化けた姿で、裏切りものだった女だ。
「あいつは許さない。今夜シスターを襲う。協力しろアース」
◆◆◆
時間が遅くなったから、今日は研究所に止まって行けと言われた。シスターナイアも施設内にいるらしい。好都合だ。
その夜、俺は闇に紛れて行動を開始した。
まずはアースを回収する。ドクターの研究室にあるのは分かっていた。
アースと合流した俺はその身体能力でもって、別棟にいるシスターナイアの元に行く。月の無い夜。静かな夜だ。
「状況はあらゆる点で不確定だ。この世界で何をしたら、何が起こるか全くわからない。タイムリープだとしたら未来が変わるかもしれないし、元の時代に帰れるかどうかも確証がない。実際、へたに動くとヤバいト思う。――だがそれが、奴の狙いだとも考えられる」
『足止めという事ですか?』
アースの返事に頷く。
「俺に何もさせない。それが目的である可能性もある。本当に何も分からない。確証なんてない。行動の指針になるものも無い。だけど俺はそういう時、直感に従う事にしている。土壇場の生きるか死ぬかの選択は、いつだって直感が正解だ」
『この時代のアサヒには無い思考方法ですね』
「これから起こる5年間で手に入れたんだ」
直感が告げている。
シスターナイアがナイアルラトホテップとの接点であることは変わらない。奴さえ殺せば何か変わるかもしれない。
俺は屋上からシスターの私室に忍び込む。
窓の鍵はかかっていたが関係ない。アースの刃をこつんとあて、極小出力で存在消滅の力を使う。瞬間ガラスが円形にくりぬかれ消滅した。
彼女の部屋はかわいらしい部屋だった。
ぬいぐるみや、ファンシーなキャラクターグッズが棚に置かれている。シスターというからには聖職者なのだろうが、昔から彼女は俗っぽかった。
視線をベッドに向ける。
月明りの中、寝息を立てるシスターがいた。
小麦色の肌と鮮やかな金髪。一目でわかる美人だ。薄着のまま横になっている。普通の人間の女性にしか見えない彼女。「もう食べられまセンよォ」なんて寝言が聞こえる。彼女を殺すなんて、チームの誰もが止めるだろう。だが敵だ。
「シスター、悪いな。死んでくれ」
俺は冷徹にアースを振り上げた。だがそこで声をかけたのはアースだった。
『アサヒ。最終確認です。本当に良いのですね』
「いい」
『間違っていたら、アサヒは人殺しですよ?』
「かまわない。間違わないから」
『ミウともチームの皆とも、お母さまとも一緒に居られなくなりますよ』
「俺の中では、みんな死んでる」
『未来のアサヒは異常です』
「かもしれないな。問答はもういいか? シスターが起きちまう」
『――わかりました』
アースは了解した。俺は握る柄に力を籠める。
一撃で終わらせるのがいいだろう。狙うは心臓だ。
俺は彼女の豊かな胸のあいだ、脈打つ心臓のあたりを目指し、振りかぶり、そして打ち下ろした。
◆◆◆
「――――何も変わらないな」
アースを振り下ろしてからたっぷり30分はたっている。
ベッドには胸を抉られたシスターの死体が横たわっている。打ち下ろした衝撃で跳ねた手足がいびつに曲がっていた。薄く開けた瞼の中から何も見ていない瞳が見える。口の端からは一筋の血がこぼれている。そして胴体にはぽっかりと大穴が開いていた。
『アサヒ。確認はしましたよ』
「わかってる。とりあえず逃亡する」
『まさか、主人が犯罪者になるとは……』
「しょうがねぇだろ。俺は直感に従った。それで外したのならもうしょうがねぇ」
間違わない、なんてさっき言ったが、俺はどちらでもよかったのかもしれない。サクラが死んだ時点で、俺にとってこの世界に価値は無い。
「次は深淵に行く。東京でも中京でも京都でもどこからでもいい。岩戸から深淵にいって、直接ナイアルラトホテップを殺す」
『単独でですか?』
「俺なら出来る」
俺はアースを担いで闇夜に飛んだ。
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