荒唐無稽なパルプフィクション

第53話 夢幻病室のサクラ

 サクラはふたつ年下の妹だ。

 母さんに似て、控えめだけど笑顔がかわいい妹。


 彼女は子供のころからよく倒れていた。生まれつき心臓に欠陥があったからだ。


 完全に治すには心臓移植しかない身体。

 生きているだけで精いっぱいな不自由な身体。


 手術にはたくさんのお金がかかる。父親がいなくて、経済的にギリギリな俺の家では無理な話だった。といっても、手術なしでもすぐに死んでしまうほどじゃなかったから入退院を繰り返しながら生きていた。


 それが俺の家族。

 母さんサクラと俺の三人で静かに生きていた。


 転機は迷宮出現事変ダンジョンインパクトだ。

 アースと出会い、地底から生還し俺はチームアーカムに迎えられることになった。


 公認の特別探索者として普通のサラリーマンよりもかなり多い給料をもらえることになったし、サクラも大きな病院で治療を受けるようになった。提供者が現れ次第、手術も受けられるという特典付きだ。


 いま見せられている出来事があったのは、確かそんな時だ。


 数人の病院のスタッフがバタバタと動き回る。

 サクラの容態が悪化したんだ。数年は安定していたのに急に悪くなった。あまりに突然で医者も予測できなかった出来事だ。


 集中治療のために別室に移されたサクラの顔色は白を通り越して土気色をしている。心臓が弱って血がめぐらないんだ。血がめぐらなければ、全身の臓器が静かに止まっていく。その前に意識がなくなるだろう。脳が酸素と栄養を受け取れないから。


「アサヒ君」


 声をかけてきた主治医は、こっちが気の毒になるほど辛そうな顔をしていた。


 覚えている。次に出てくる言葉は――


「状態が悪い。最善は尽くしているけど、覚悟はしておいてほしい」


 昔の姿に戻った俺は静かに頷いた。昔と同じように。

「お願いします。先生を信じています」ってな。


 サクラの状態は致命的だった。原因不明の心臓機能低下。応急的な処置をしても改善が得られない。増えていく点滴。呼吸がままならないから酸素吸入が始まった。


 彼女の意識はもう無い。呼吸がままならないから人工呼吸に変わる。血液の循環も機械が担った。繋がれた大量の機械類と管の中で、サクラは横たわる。


 この時の俺は、不安で堪らなかったはずだ。

 たった一人の妹が死んでしまうかもしれないんだから。


「くだらないぜ……」


 だけど“いま”の俺の心は冷めている。

 いまさらこんなもの見せて、どうしようっていうんだ。


 この記憶は俺にとってつらいものだ。母さんは連絡が取れず到着が遅れていたし、まだガキだった俺はひとりっきりで不安を感じていた。その中で押し潰されそうだったのは強く覚えている。


 だがしょせん記憶だ。大丈夫だった過去だ。


 もうすぐミウ姉が来てくれる。そして「大丈夫だから」と抱きしめてくれる。

 助け出された縁で、このころからよく気にかけてくれていた。


 俺はミウ姉が来てくれた安心感で、泣いてしまったはずだ。

 それで一息ついている間に、病院に一報が入るんだ。


 心臓の提供者ドナーが現れたって。運が良い。多分、チームの後ろ盾の機関が手配してくれたんだろう。


 もちろん提供者は亡くなっている。他人の死の上に助かる命ってやつだ。

 でもサクラは助かる。人の心臓をもらって彼女は生きたんだ。



 ――――――

 ――――

 ――


 だが一報はない。ミウ姉は現れないし、母さんもやってこない。

 サクラの容態はどんどん悪くなっていき、病院のスタッフの顔にも諦めの表情が浮かんだ。


「おい、どうなってるんだ……?」


 俺は虚空に向けてつぶやく。

 話が違うじゃないか。

 妹は、サクラは助かったんだぞ。


 まだか、まだなのか? こんなに遅くはなかったぞ。

 やはり、一報はない。


「おい……、いい加減にしろよ」


 ついにサクラの心臓が止まった。

 病院のスタッフは懸命に蘇生処置をしてくれていたが、彼女の心臓が動き出すことはない、医者がやってきて、俺の肩を叩いた。すまない。と一言。


 スタッフが離れる。


 心電図は鼓動というにはなだらかすぎる広い曲線を描いていて、モニタの警告音は鳴りやまない。表情を失った妹の顔は安らかだが生命が宿らない作り物のようだ。


 まるで陶器のような、なんて形容句があるけれど、死人の肌はそれに近い。湿度は保っているし張りはあるけど、循環されていないから作りもののように見える。


「胸糞わりぃ……」


 妹の死を目の前で見せられて心底ウンザリした俺は吐き捨てる。

 こんな安っぽい揺さぶりで、どうにかなると思っているのか?

 

「アース、ぶち破るぞ。こんな精神攻撃クソくらえだ」


 俺の手には何もない。なじんだアースの重みは感じない。

 だが、相棒はいるはずだ。


 俺の精神は敵の攻撃に囚われていたとしても、現実の俺の手にはアースはいるはずなんだ。


「おい、答えろよ。……オイッ! くそ、この悪夢手が込んでやがるな」


 いっこうに感覚が戻って来ない。夢を見せてくるタイプの虚神ラヴクラフトは前にも戦った事はある。その時も見えないアースで叩きつぶした。


 何も握らない手で、構えた。

 そして思い切り振る。掘り抜ける意思を込めて。


 何も起こらない 


「なんだよこれ……」


 二度三度繰り返して、どうにもならないことを理解した俺は徐々に焦る。

 どうしたらこの世界から、夢から覚めるんだ?


「アサヒ……」


 声に振りかえると、ミウ姉がいた。

 いつの間にか到着していたらしい。


「大丈夫? さっきから一人でしゃべってるよ。サクラちゃんの事で動揺してるのは分かるよ。あとは大人に任せて君は少し休んだ方が良い……」


 ひどく同情した視線が俺に注がれる。

 やめろ、やめてくれ。これは現実じゃないんだからそんな目を向けるのはやめろ!


「……来るなよ。ミウ姉の姿で油断させようったって、もう効かない」

「アサヒ、混乱してるの?」


 ミウ姉の手が伸びる。俺は反射的にそれを振り払った。


「触るな!」


 そのまま俺は駆けだす。廊下を抜けて、病院を抜けて。途中で母さんがいた気がするが無視した。どうせ夢の世界だ。


 それよりもこの胸糞悪い世界から早く抜けださなくてはならない。アースがいないなら、アースを探せばいい。


 確かこの時、アースは国の研究所いるはずだ。病院にスコップを担いでいくのはおかしいし、人類が初めて手にした幻想器であるアイツは研究対象だったから預けていたんだ。


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