第57話 海神の怒り

 虚無孔落タイタンフォールは超高圧縮した存在を投擲し、存在崩壊を促す技だ。そこから、生まれるマイクロブラックホールですべてを滅ぼす。


 俺とアースが使える技の中で最も強力な技だ。

 自信があった。どんな虚神であろうと、滅ぼしきれると。


 だがそうはならなかった。

 黒球が着弾する直前、海底から巨大な翠光が吹き上がる。


 その光は目を焼くほどの煌めきは無く、深い翠をたたえていた。柱の直径は数キロに及ぶ。怪し気に揺らめく光は垂直に伸び空に消えていく。


 その後には不自然なほどの凪が訪れる。俺の放った虚無孔落タイタンフォールは無効化された。予定された縮退は起きず、不可逆の破壊は顕現しなかった。


「ここまでやってか」


 轟轟ごうごうと滝となって流れる海水の向こうに、ナニかが浮上する気配がある。深き者どもディープワンズが歓喜の声を上げた。


 いあ いあ くとるう ふたぐん


 ヤツラお得意の名状しがたい言祝ことほぎ。


 歓声を上げているところ悪いが、ひどく生臭いぜ。

 大口開けてはしゃぎやがるから、こっちまで匂ってきそうだ。


 巻き上がる海水のせいで湿度が高い。それも不快感を助長する。出来ることならば、あの魚もどきたちをすぐさま奈落に送ってやりたい気分だった。


 だが、海底から徐々に近づきつつあるものの気配がそれをさせない。

 びりびりと肉体にまで影響が出るほどのプレッシャー。


 上がってくるのは、街だ。異形の街。奴らの街。



 不規則に捻じれたまま屹立きつりつした尖塔は、深き者どもディープワンズの住居だろうか。荒地に立つアリ塚のような集積された家だ。


 無数に穿たれた穴から、半魚人たちの警戒した視線を感じる。街の中央に伸びる道は均等さなどとは無縁とばかりに曲がりくねっており、その先には、小高い丘がある。


 荘厳な海神の神殿を真逆に反転させたような、汚泥とフジツボとだらしなく垂れさがる海藻に塗れた神殿だ。


 軟体動物をかたどったレリーフが各所に掘られている。今の地球に居るタコやイカは、やつの遠い子孫だという。海の神、軟体の神、六眼の神。


 海の大虚神ラヴクラフト、クトゥルフ。


 神殿の中央から今まさに出現したのは、翼のある巨人だった。


 クトゥルフ討伐は一筋縄ではいかない。

 これまで何度も挑んだが、ヤツの神殿に到達する事すらできなかった。


 最終的に選択したのは、クトゥルフの神殿ごと海から引きずり出す戦法だった。


 そのために、まず海の四方に土塊を隆起させ巨大な囲いを形成、海水をせき止める堤を作った。海底土塊の運動を利用し海水を外へ押し出す。


 結果、海域の水位は下がりきり、海底都市は白昼の下にさらされた。


「アース、虚無孔落タイタンフォール。十連だ」

『わかりました、アサヒ』


 俺の命令によって、ゴーレムの両手の指先が分離する。離れた岩塊にそれぞれに理外の存在圧縮がかかる。


「ォォォォオオオオオオオオオオオオオオオオッ!!」


 それをそのまま振り上げ、投げつける。

 10個のマイクロブラックホールによる爆撃。単発ではかき消されたが、十連ではどうだ。


 クトゥルフの巨体が動く。翼を開け、空に舞う。


『クゥアアアアアアアアアアアアアアアアアアッツ!!!』


 飛び上がりながらの咆哮一閃。円形に広がる衝撃波。ゴーレムまでもグラグラと揺れる。そして、まさかまさかだ。その一声で虚無孔落タイタンフォールがすべてかき消されたのだ。


「はっ……、やるな」


 俺たちよりもさらに上空からこちらを睥睨へいげいするクトゥルフ。クトゥグアともツァトゥグアとも違う。圧倒的な強者の姿がそこにある。


『■■■■%$■&’#■』


 耳鳴りがした。ぼそぼそと何事かをつぶやいたクトゥルフが、こちらを指さした。

 ただそれだけだ。ただそれだけで。


「――あが、あぐぐぐあああ、い、痛いぃぃ」


 心臓が、胸が、血管が、全身が。焼けるように痛い。隙間なく針まみれになったように、とんでもない苦痛と不快感が全身を包む。


『大丈夫ですか、アサヒ』


「だいじょう……ぶ、じゃない。ぐっ、おえ、ぐぇ、ゲホっ。はははっ、指をさされただけでこれかぁ」


 嘔気が止まらない俺は、ゴーレムの上で這いつくばる。何も食ってなくてよかった。吐き出すのは、胃液だけで済むから。


 吐物が、黒く変色し、泡立ち煙になって消えていった。吐物すらも奴の前では存在を許されない。俺の身体も、どんどん蝕まれているのだろう。


『%’($4■■■%%”■■ 称■よ 大い■る ■%海』


 でかい体のくせして、攻撃はシンプルかつコンパクトだ。

 単体指定の呪殺。ピンポイントの生命破壊。

 最小単位の攻撃。だがそれゆえに防げない。


「ガッ、あ”あ”あ”、ア”ア”ア”ッ!!!」


 命に王手がかかる感覚。なすすべもなく俺は膝をつく。

 それに連動しゴーレムも崩れはじめた。俺の命が砕けつつある。


「――ああああ、いい。いいなぁ、クトゥルフ。そうこなきゃなぁ。四大虚神の一柱だもんなぁ……。これくらいはするよ、なぁ」


 痛みと苦しみ。絶え間ない責め苦の中で俺は嗤った。

 この痛みが。苦しみが。逆境が。必要だったのだ。


 限界を突破させる


 死に瀕した魂は、さらなる位階を駆け上がる


 閉塞したこの世界から逃げ出すためには、俺は人間を辞める必要がある


 すべては推定だ。一年間の放浪の末に俺の精神が異常をきたしているというのは疑いようはない。だが、そこが鍵だった。

 痛みの中で、死の間際で、直感が冴えわたる。


 狂った精神でなければたどり着けない領域というものがある。

 鍵は威神顕現。アースはツァトゥグアの力が秘められた幻想器だ。


 だがアースとどれだけ修行をしても、虚神の力を最大限に引き出す、威神顕現には至らなかった。四大虚神の力であれば、このあってはならない世界をなかった事にできるはずだ。


 力さえ、手にできるならば。


 サクラ、行きているはずだ。俺の家族。アース、元の世界で戦った戦友。この世界のアースには悪いことをしていると思う。だが俺は戻りたい。シィさん、正直好みなんだ。あの糸目がいい。戻ったらデートに誘いたいものだ。視聴者たち、今となっては懐かしい。なんだよアサヒニキって。マツリカちゃん、シィさんと迷う。彼女の想いにもいい加減答えないといけない。こんな師匠ですまない。ドクター。ここへ来る前にチームの様子を見に行った。相変わらず深淵の植物をみんなに食べさせていた。シノンちゃん。あまり俺の事はよく思っていないのかもな。マツリカちゃんと仲良くしてほしいものだ。


 その他の俺にかかわった人たち。彼らに会いたい。あの世界に戻りたい。

 そのための方法。答えが舞い降りる。


 俺は死に瀕している。

 死に瀕した魂を燃やせ。そうすれば、次元の壁を超えることができるはずだ。

 元の場所に戻ることができるはずだ。


「くくく、ふふふ、はははははは」


 虚神を殺しまわってやっとだった。

 俺を殺しきる力を有し、位階を踏み越えるに値する敵。クトゥルフ


「もうすこし、そう、もうすこしなんだ。予感。予感だ。

『――アサヒ、アサヒ、アサヒ!』


 臓腑ぞうふがぐずぐずと崩れていく。皮膚が変色し、紫煙を上げ始めた。ずるりと頭皮が剥がれ落ち岩盤に落ちた。視界が斜めになる。もう立っているのか、崩れた身体の上に目が乗っているのかすら判然としない。


『アサヒ、駄目ですこれ以上は』


「くはっ――――何を言うんだアース。やっとじゃないか」


 血反吐とともに吐き出したのは最後の笑いだ。

 ついにたどり着いたのだ。死の淵にあって、ついに、ついに。


「あー-、は、あははははははははははああはははああああああああhhhhhhhっははっはhhhhhhhhhhhhhhhhっはああああああああああああああああjはああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああはhhhhhhhhhhhhhhhhhhhhhhhhhh1!!!!!!」


 来た。予感的中。俺の中の何かが産声を上げる。


 威神顕現いしんけんげん

 使えなかったのは、俺が適合していなかったからだ。


 ツァトゥグアじゃあなかった。

 俺の中には、別の神が先にいたからだ。


 アースに出会う前、電車から投げ出され、中京断崖を落下した俺はなぜ生きていた?

 暗黒の地中に埋まり、なぜアースと出会えた?

 普通の人間にそんな事が出来るはずがない。


 母さんは、俺達の父親は分からないと言った。

 それは人間じゃなかったからなんだ。


 俺達は、闇の落とし仔。

 失われし 鍵と門


 だから今こそ、その力に手を伸ばす


 聞け 魂

 響け 命

 原始の力――


 検閲されしベールがはがれる


 ■■%$■■0439■■ 0■

 ヨグ■&■ソト■%#ース■

 の■模■■庭%$■■■、■


 来たれ■■&’レり■■神$■

 ■■千の森■■ッ来たり■■

 封じ#■%Q■れた■力を■


 思考の端から、認識できない情報の洪水が押し寄せる

 無意味な言葉の羅列の中で、燦然と輝く、暗黒の大帝の名


 俺の魂に封じられし、もう一つの虚神。その名は









 ヨグ=ソトース









威神顕現いしんけんげんヨグ=ソトース。今こそ目覚めろよ『銀の鍵』」

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