第58話 銀の鍵をもって

 とうさんは、ひどいヤツなんだろう。


  俺はそう思いながら育った。

 俺とサクラ、そして母さんという家族が居ながら、無責任にもいなくなったからだ。


 父が蒸発したのは、俺が5歳、サクラが3歳の時だ。

 それくらいの歳ならば、父親の顔も覚えていそうなものだが、不思議なことに少しも思い出せない。


 もしかすると最初から知らなかったのかもしれない。

 幼い記憶の中の父の顔はいつだって黒く塗りつぶされている。


 覚えていないのならばしょうがない。気づいたときにはいなかった父親だ。だが、たまには疑問に思う日もあった。僕のお父さんはどんな人? と。


 だから母さん聞いた。


「とうさんって、どんな人だったの?」


 母は困ったように小首をかしげて曖昧に言った。


「さぁ、どんな人だったかしら」


 それで察した。

 ろくでもない男なんだ。

 記憶に残したくないぐらいに。


 とはいえ、アイツは定期的に俺達のことは見に来ていたらしい。 


 8歳の夏の日だ。公園で遊んでいた俺とサクラに近づく男がいた。

 細身で、スーツを着て、どこにでも売っていそうな帽子をかぶった男だった。

 

「やぁ、調子はどうだい? うんうん、君は良い感じだね。よく育っている」


 そいつは最初から馴れ馴れしかった。


「妹くんの方は……、おやこれはいけないね。適合不良を起こしている。早めに対処しないと死んでしまうかも」


 へらへらと笑っていた。いや、嗤っていたのか。ほんとうに? その時のあいつの顔は、夏の太陽の逆光でよく見えなかった。


「君は■■の■禁則事項に、あにくんには、銀■■検閲済みに、■な■■宙現状での理解不可へ至るためにはどちらが死んでもいけない。時満ちるまでだ」


 そいつは、馴れ馴れしくも俺達の肩を抱き、近所のコンビニでアイスを買ってくれた。知らない大人にもらった物をたべちゃ駄目なんてわかっていたのに、気が付けば俺達兄妹はベンチに座ってアイスをなめていた。


「いいかい? それほど長くはならないよ。そのうちさ。いずれ星が重なる。その時にまた会おう」


 俺とサクラはこくりとうなづいた。


 とうさんはひどい奴だ。

 なんで覚えていなかったんだろう。

 俺達兄妹を見る時、アイツはいつも、をしていた。


  ◆◆◆


 大気が震える。

 俺の身体は発光する円柱が幾重にも折り重なった存在に変じている。

 いや、それは球体であったかもしれず、色も一定しない。七色のプリズムが乱反射する。色などというのものは、しょせん人間の網膜が感じるもので。であるならば人の姿をしていない今の俺の色は。


「アサヒ、アサ――ヒ!! なんなんですかそれはァア!」


 ドクターの声がする。どうしたなぜ頭だけなんだ? ああ、虚神ヨグ=ソトースと同一の存在になった今の俺にはわかる理解る判るワカル。ドクターは俺の世界のドクターか、イタカァの縁に縛られたドクターは、別次元、別因果のこの世界においても、イタカァの呪いからは逃れられなかった。平行異世界のドクターが同じ状態になる生る成る為ることでつながったのか。皮肉なことだあれほど求めた元の世界のドクターがやって来ただが俺はもう、人の姿をしていないのに俺をアサヒと呼んでくれるのか。


 アースはどこだ。ああ、俺の手にある。その機能は停止しているが。多次元宇宙境界線があいまいになっているアースは、アースは、アースは、どの次元でも存在するが不慮の事態に演算が停止、ショート、寸断、ダウン、したのだろう。狂気というものは不条理だ。不条理を不条理のまま処理できない思考生命体では適応はできない。


 次に


 クトゥルフは静かにたたずむ。お前の役目は終わった。俺にもはや敵対する意思はないだがお前はそうではないらしい。手を指を触手を影を。今ならなワカル。一元的な世界ではお前の呪殺は防げない。角度だ、幾星霜の平行レイヤーの影から来る呪殺。腐る滅びる減じる。


 死出の指


 それを


 返す


「――・――――・――――・」


 大海魔の断末魔は、声にもならず。

 一瞬で巨体が泡沫状に変じはじけ、消えた。

 同時に海底都市も泡と消える。奴の眷属も動揺に泡と消える。

 さながら魔法の解けた人魚姫。

 いあ くとぅるふ ふたぐん 海に帰れ まだ存在の残滓が残るうちに


 そうして、泡は崩れ海に戻った。


 想定以上だ


 ヨグ=ソトース、外なる副王たる俺であれば、この世界に敵はいない。

 我はすべて世界宇宙のすべてはそなたの父でもあるから。

 ありがとう深海の王よ。我が息子。すまなかった。巻き込んだ。


 だがこれでやっと帰れる。この手にある銀の鍵を使い


 ――どこへ帰る? 帰る? 帰りたいのに。

 俺は帰る場所が思い出せずにいた。


 5劾3京8億7000万のレイヤーに分かれた平行境界面世界は8京7兆2000万の交差軸と交わる。それがさらに円形の層を成し那由他へと至った。無量大数次元の過去・現在・未来。そのどこへ帰れというのか。


 俺の居た次元はどこだったか。

 どこに帰るべきか。

 手に持つ銀の鍵を、どこに差すべきか。


「アサヒ、アサヒぃ! どうしましたぁ!? なぜ返事をしないのですかぁ! お前はアサヒなのでしょう!?」


 ドクターの声が遠い。彼と俺。すなわち彼我には次元断裂が発生しつつある。

 手に持つ鍵がうなりを上げる。移動の時間だ。

 まだ俺には見るべきものが――。


「どく、ター。あんたを先に帰す、サクラを、ダンジョンに――」


 鍵を振るう。それでドクターが消えた。

 次元の壁を越え元いた場所に帰ったはずだ。


 すべての場所、すべての時間、すべての次元に同時にbeing存在するヨグ。

 この世界は、すでに片割れである■ュ■=■グ■スを失った。


 もはや■なる■宙へは至れない。この世界のニャルらとホテぷは何を思ったのか、彼もすでに役割を終え、存在は無く。世界は永遠に至れない。であるならば、虚神の存在理由はすでにない。ゆえにここはじきに終わる。


 


「――開封次元震、無窮、無量、覚者の祈り。時空転換、逆行、再起動」


 半分以上人外となった俺が見るのは、七色に光る空をあっけにとられてみているチームの面々。すなわちまだ生きているミウ姉たちだ。


 世界が終われば、みんなも存在しなくなる。それは、避けたいと思った。


 ずぶりと、


 銀の鍵を世界の根幹に刺した。

 

 周囲の景色がぎゅるりとゆがみ、鍵の中に巻き込まれる。

 七色のプリズムキューブとなった俺は、鍵を再起動し、世界を再構築する。


 分岐は太古。

 星の魔物が来なかった。

 追ってきた虚神も居ない世界。

 イスの民が繁栄しなかった世界。

 繁栄競争も起こらず、深淵アビスたる偏四角多面体トラペゾヘドロンも、幻想器を作らなかった世界


 虚神たちが、狂った作家の空想の中でしか存在しない世界。

 

 創造。新世界。


 その世界では、ダンジョンなども、ないのだろう。





鍵よ、次の場所へ鍵ヨ、次ノ場所ヘ


 新世界の誕生、成長を見届け俺はこの次元を去る事にする。

 この世界では、人間は人間らしく生きていける。




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