第56話 海神クトゥルフ

 その半魚人たちの名は深き者どもディープワンズという。海の奥深くに生息する巨大な虚神ラヴクラフトの配下たちだ。


 半魚人と呼ばれる通りやつらの容姿は異形だ。目玉が飛び出ているせいでまぶたが下がらない。そのせいで、いつでもぎょろりと濁った眼をしている。水面からちゃぷちゃぷと浮かぶ無数の頭たちから、俺へ視線が向けられる。


 ヤツラの皮膚はカサゴじみたガサガサのものだ。だが、表面にはねっとりとした粘膜があって、てらてらと光っている。


 大きく開いた口には何を食べたらそんなになるんだというギザ歯が並んでいて、叫びながら海を泳ぐんだ。そんな気味の悪いヤツラが数千、こちらに向かってこようとしていた。


『アサヒ、来ました』

「ああ。岩礁を隆起させて足止め。両側から挟んでまとめて潰せ」

『了解です』


 俺は洋上に立つ巨大な岩の巨人の肩の上で指示を飛ばしていた。


 岩塊で作った巨人は海に潜む大虚神ラヴクラフトを討つために作り上げたものだ。これを用意するだけに数週間かかった大作だ。動かない人形を作るだけなら簡単だったんだ、自由にコントロールできるものを作るには、時間がかかった。


『オオオオオオオオオオオオン』と。


 腹の底に響く咆哮と共に、ゴーレムが両腕を浅瀬の海に突き立てる。ゴーレムを通して、深淵の海底に土塊操作の力が伝わる。


 轟音を響かせ隆起した海底岩礁が半魚人の一群を飲み込みだした。周囲を囲まれ、岩に押しつぶされていく深き者どもの叫びが聞こえた。


 岩礁底が完全に閉じると、そこには奇妙に隆起する、合掌したような岩の柱が残るのみだ。


『また地形が変わりましたね。もはや環境破壊』

「深淵には怒り出す保護団体もいないだろ」

『そうですか。そうですね』


 アースの軽口に、心がざわついた。

 イラついている。最近の俺は、心がささくれ立っていた。


 シスターナイアを殺しチームから出奔して1年が経過していた。


 ダンジョンの奥から深淵に降りた俺は、単独でナイアルラトホテップを追った。元の世界に戻るためだ。俺には帰る場所があるのだから。


 だがヤツは居なかった。

 この世界には追うべき黒き泥の主は何処にもなかった。大地を駆けずり回り、海を割り空を切り裂いて「何処にいるのか。卑怯者め姿をあらわせ」と叫び姿を探し求めた。だがいない。


 どこだ。どこにいるのだ。


 黒い球体であるはずのヤツの姿が恋しい。

 帰るために、ヤツを探さなければ。


 あれを見つけることができなければ俺は帰れない。


 あるいは、見つけたとしても帰れないのかもしれない。

 だが、どうしても帰りたい俺は、それにすがった。


 シスターナイアの姿で現れたならば、良く現れてくれたと、救ってくれてありがとう。殺してすまないと足元にひざまずくかもしれない。


 お願いだ俺を返してくれと懇願するかもしれない。

 

 だが、いない。いないのだ。殺したいが、殺す相手がいない。

 振り上げたこぶしの打ち降ろす相手がいない。


 このままでは、俺は何のためにシスターを殺したのだろうか。やはり間違っていたのだろうか。取り返しがつかない選択肢があったのだろうか。


 焦燥感は精神を蝕む。

 何か、何か解法は無いのか。この閉塞を打破するためには何か。


 そして俺は、他の虚神たちに目を向けた。

 ヤツラを滅ぼせば、何か変わらないだろうか。

 

「クトゥルフはだんまり、か」

海底神殿都市ルルイエ・ノヴァに動きはありません。散発的に奉仕種族ディープワンズがやってくるだけです』


 海神クトゥルフ。


 火のクトゥグア、土のツァトゥグア、風のハスターと並ぶ虚神たちの4大首領の一角。奴の支配地域は広大で、その棲家は海の奥底にある。


 過去クトゥルフの棲家が地球上にあった時は定期的に浮上していたらしいが、今の居城である海底神殿都市ルルイエ・ノヴァは深淵の海溝で動きを見せない。


 元の世界でもクトゥルフは異質だった。

 深き者どもディープワンズや、クトゥルフの従者たちとは交戦したことがある。だが本丸であるクトゥルフとはついぞ一度もかかわる事が無かった。


 チームにとどろきラウダという男がいた。

 この世界でもいるだろう。筋骨たくましい元漁師の探索者。人一倍海に詳しく、深淵の海を行く時には頼りになる男だった。


 彼は、海辺で野営をしている時に夢を見た。大いなる海中に沈む夢だ。

 そこでクトゥルフと会った。そしてクトゥルフの幻想器を手に入れ、虚神の名や情報がチームにもたらされた。


 だがそれだけだ。

 クトゥルフは幻想器を寄こしただけ。

 後は何もせず、海中にてただひそむ。


「出てこないならば、出すだけだ」


 だが俺はそれを許さない。

 この世界が何なのか。超常的な存在であるヤツラであれば何かを知っているかもしれない。説明が必要なのだ。俺の精神の為にも。


 深き者どもは、生意気にも文化を持っている。奴らの信奉する海神の神殿を取り囲むように、街を形成していた。


 エイボンの主であるツァトゥグアは人間に恩恵を与え信奉されていたというが、この神は、信奉者を権能によって自作したらしい。


 社会がある、生活がある。


 だがそれが無くなったらどうだ? 主であるクトゥルフも現れるのではないか。


 もはや俺は悪徳的な破壊者に他ならない。


 だがいい。


 すべてを敵に回しても、俺は元の世界に帰りたい。


「アース。虚無孔落タイタンフォール

『はい。アサヒ』


 俺の手の平に、超圧縮した特異点が出現する。

 それを、海溝部に向けて、撃ち放つ。

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