第26話 追憶:アサヒとミウと人誘花

「この異界に、予知の示す世界の終末を起こす原因があるのである……。吾らはこの先の場所深く知らなくては……。まずは足がかりを。終末を、終末を止めなくては……」


 抗うものたちの家アーカムアサイラムのリーダー、エボン・リー神父は暗い人だった。長身で、大柄で、いつも鬱々うつうつとした顔をしていた。手に持った聖書に目を落としたまま、どんな時でも顔を上げない。低くくぐもった声で、ぼそぼそと喋るような人だ。はっきり言ってコミュ障だなと思ってたよ。


「ハァイ、皆さん、エボン神父はこう言っておられマス! まずはこの異界を攻略する拠点を作りまショウ! 何がいるか分からないから慎重にネ!」


 かわりに、シスター・ナイアが活発な人だった。褐色の肌に、鮮やかな金髪。服の上からでもわかるすごいプロポーション。シスターなんかやらずに、女優にでもなったらいいのにと思うほどの美人さんだったな。チームの中にも彼女のファンは多かった。


 中京断崖から降りた先は、見渡す限りの海岸線だった。

 よせてはかえす、紺碧の海。ぬるりとした水質だ。逆側は森になっていて、見通しが利かなかった。


 地底に海が?? 全員の目は点になったね。

 さらに隊が混乱したのは、今まさに降りてきたはずの階段がどこにもなくなっていたことだ。迷宮に戻れない。退路が断たれた。


 当時の迷宮宝具。探索から1年経ってたから、そろそろ初期のモデルが開発されてた。俺以外のみんなは銃器型で武装していたけど、まだ弾倉マガジンが必要なモデルが多かった。それに食料も必要だ。地上へ戻れないんじゃ、じり貧だ。


「先へ……進もう。神もそう言っている……」


 エボン神父の指示の元、俺たちは海沿いに進むことにした。


 深淵アビス――この名前は、エボン神父がつけた。この世の果て。異界の地獄だとあの人は定義した。ここに出てくる迷宮魔物ダンジョンクリーチャーは外の物とは一味も二味も違った。


 迷宮魔物ダンジョンクリーチャーの特徴として、現実世界に生きる動物に近ければ近いほど、弱い。逆に、見たこともない形状をしているモノ、生理的な嫌悪を強く感じるモノはヤバい奴だ。


 空を飛ぶ異形の鳥は、爬虫類と鳥の間の様な姿をしているくせに、人間の手が生えていた。生えているのが翼の根本とか、先とかならまだ何とか理解できる。だが、そいつは足から映えていた。二本の脚の先から、爪の代わりに人間の手が5本ずつ。それぞれが意思をもって、投石したり、こちらの身体をつかんでくる。


 あるいは、海から来るモノ。

 こいつは比較的人間にちかかった。だが顔が平べったく、目が離れている。ダボハゼって呼ばれる魚を知ってるか? 口が横に広いんだ。なんでも食う馬鹿面。やつらはそれに似ていた。強い力で海の中に引きずりこもうとする。嫌悪感が強いタイプ。


 環境も過酷だった。

 クリーム色の空は、見上げるだけで不安が想起される。チームには軍人も多かったから、過去の戦場の記憶が呼び起フラッシュバックされPTSDを発症する人もいた。だがそれも適応する。みんなプロフェッショナルだったからな。


「これを飲むのでーすよ! そこらへんの草の汁がてきめんに効くのですな!!」


 マジで今でも信じられないんだけど、ドクター・アンデルセンは自分の身体を実験体に、深淵アビスの植物や水、肉なんかを食べられるかどうか試していた。


「うおおおおお!!!??? 下痢が、下痢と吐き気が止まりませんですなぁああ」


 三日に一回は体調を崩していた。周りにやめろと言われてもドクターは誰の言うことも聞かなかった。自己犠牲? 狂った知的探求心? なんにしても、その人体実験のおかげで、食べられるものと食べられないものの選別が進んでいった。おかげで、食料問題を解決することができたんだ。


 ◆◆◆


 深淵における戦闘で頼もしかったのは、アースだった。

 彼女が言うには、幻想器はこの世界の存在だという。


 この世界に閉じ込められている魔物のボス――俺たちはその強大な力を持つ奴らの事を【虚神】ラヴクラフトと呼んだけど、ヤツラの力の一端を再現、使用できる武器らしいのだ。


 俺はチームの突撃隊長だった。いつでも先頭に立って戦った。

 土を操り、時に防御壁を作り、時に土の津波で敵を飲み込む。


 一騎当千の戦いだったと自分でも思う。深淵で俺は無敵だと思っていた。

 けれど、それは間違いだった。深淵は底が知れない。


 森を進んだ抜けた先に、灰色の花が咲き誇る花園があった。

 そこで出会ったのは、1柱の【虚神】ラヴクラフトと1匹の【異獣】ダーレスだった。


 ◆◆◆



「アサヒ、まずいよ! 数人捕まった! エンカウンター! 【虚神】ラヴクラフトだよ! それに【異獣】ダーレスも!」


 ミウ姉の警告が飛ぶ。

 花園に入ってすぐにとんでもなく甘い匂いがした。

 俺たちは深淵に入ってもう2カ月がたっていたし、甘味に餓えていた。花の蜜でも食べられるなら……とふらふらと近づいた。それが駄目だった。


 灰色の花園の中心にいたのは、直径5メートル以上の巨大な花弁を持った花。ただの花じゃない。深淵の食人花だった。


 花の中心。雌しべやおしべがある場所に、裸の女がいた。とんでもなく妖艶な女がうっとりとした表情で笑いかける。手で隠した胸や股間に目を奪われる。


「敵は、精神操作をしてくる。気をしっかり持って――ってアサヒ大丈夫!?」


 シスターナイアやミウ姉もきれいだったけど、あれはそんなレベルじゃない。身体全体が淡く光っていて、純白の肌は見ているだけで吸い込まれそうだ。自分の意思とは無関係に身体が熱くなる。駆け寄って抱きしめたくなる。知らない間に、股間がたぎっていた。俺はふらふらと、花に向かって歩き出し――


「アサヒ坊! これを噛むのですな! しっかりするのですな!」


 ドクターが投げて渡したのは、深淵産のとんでもなく苦い草だった。

 俺たちがよく気付けに使うやつ。奥歯でかみしめたらあまりの不味さと青臭さのせいで一瞬で目が覚めた。


 正気に戻った俺の目の前に、ブンブンと羽音を響かせた人間大の飛行生物がかすめていった。後一歩踏み出していれば、ヤツの腹から出た針で頭を貫かれていた。


 見れば、花に吸い寄せられた仲間の頭の上にも一匹ずつ乗っている。後頭部から、脊椎にかけて、虫の腹部から伸びた針が突き刺さって。上転した眼球。カクカクと動く四肢。脳を直接操作されている。


「気付けが間に合わなかった数人が犠牲になった……! 我ら神の仔たちが……、何とかしてくれアサヒ……!」


 一番後ろにいたエボン神父が憂鬱な顔で叫んでいた。

 あの人は、いつでも後ろで命令するばかりで、俺は少し気に入らなかった。


「お願いアサヒ。無事帰ってキタら、良いコトしてあげちゃいますカモですから、みんなを助けて!」


 彼の隣で、必死な顔でお願いするシスターナイアがいなければ従ってなかったかもしれないな。


「わかった。何とかしてみるよ。アース!」

『了解ですアサヒ。敵性【虚神】ラヴクラフトヴルトゥームならびに、【異獣】ミ=ゴを討伐します』


『「フィールド展開! 土塊操作――開始!」』


 植物の敵だろ? 土を司るアースなら負けるわけない。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る