第19話 生首博士の生存確認

「助けていただき、ありがとう、ございます……。わ、わたくしは曽我咲シノン、ですわ……」


 曽我咲インダストリの御令嬢。最上位探索者の一人。迷宮宝具のテスター。だが、銀に光る剣を携えた彼女は、かわいそうなくらい消耗していた。


 元は純白の装備だったのはずの探索者スーツは、血と泥で汚れてきっている。左手も力なく下がっていて、折れているのだろう。顔色からは精神的なダメージが大きいことがうかがえる。


「生き残ったのは、私たちだけ、なのですね……」


 彼女の前にあるのは芋虫の残骸だ。あるものは食い散らかされ、あるものは涎をたらし白目をむいた正気を失った姿。そこには元の面影はない。ツァトゥグアの餌、哀れな探索者。


「ああ、ああ、ああああああ」


 それらのひとつがうめき声をあげる。びくっと反応した。


 彼女は片腕で、ぎゅっと体を抱く。

 華やかなトップ迷宮配信者ラビリンチューバ―の姿はない。ただの救助者の一人だ。肩で息をして、いかにも辛そうだしな。


 一方、もう一人の救助者はというと――


「はっはっはっは!! いもむしいもむしいもむしぃぃいい! これは仕方ない、どうしようもない、手の施しようがない! 諦めねばな! 許せ、許せ、許せ! ほんの少し運命を違えただけのこと! 別の可能性では、私もそうなっていたゆえに! なー-っはっははは!!」


 哀れな犠牲者を前に爆笑していた。

 そして認めたくないことに、この生首は知り合いだった。


「……生きてたのか。くそドクター」

『彼にだけは再会したくなかったですね、アサヒ』


「いやハハハハハ!!! アサヒアサヒアサヒ! それに低能スコップアース君よ! 久々だね、念願だね、やっと来たね! 私のことは覚えているのかね! ハハハハハ!! 最高だよ!」


 いや、最悪だよ。

 考えうる限り、一番会いたくなかった知り合いだ。


 ―――――――――――――――――――――――

 -ナニコレ

 -ナニコレ珍百景

 -まじで何これ?

 -生首が爆笑しとる

 -こわ……ってかキモい……(クレチャ 1円)

 -深淵アビスの魔物より今日いち怖いんだが?

 -頭おかしなるで……

 ―――――――――――――――――――――――


「配信が入っているのかね! まだ自己紹介がすんでいなかったね無知蒙昧むちもうまいな愚民の諸君。私は役野えんのアンデルセン! 曽我咲の、日本の、地球の、全宇宙の頭脳だよ!」


 ドローンに向かって見栄を張る生首。

 リスナーも動画通話ごしのシィさんもドン引きだ。だめだな。みんなのSAN値がマッハで減少している。


「えっとな、これはツァトゥグアのせいだ。狂気に飲まれた人間の末路。正気度が直葬された姿だ。こうなったらもう手遅れだ。恐怖が伝染するとまずいからな。しょうがないしょうがない……」


 言い訳を並べ立て、俺は生首をむんずとつかむと、遠投の態勢に入る。


 髪を持ってぶんぶんと振り回し、どうか成仏してくれと念じて遠心力を高める。

 

「のぉぉぉおおおお!!!! アサヒアサヒアサヒ! 日の出ボウズ! 私をどこへやる、投げるのか? 回すのか! おおおい、なぜ投擲とうてきの構えを取る? やめやめやめ―――い!」


 もともと支離滅裂な言動がさらにおかしくなっているが知ったことか。


 俺は何も見なかった。知らなかった。会わなかった。そーれとんでけ――と振りかぶる。が、


「待ってください! 彼を離してあげて! そんな人でも私の師なのです!」


 止めたのは、息も絶え絶えなシノンちゃんだった。


 ◆◆◆



「ずいぶん背がのびましたな。あのはな垂れ坊主が。よほど頭脳に栄養が行ってないとみえる」

「ドクターは相変わらず人外やってんな。いい加減くたばれよ」


「ハハハ! 君ほどではないですな! バズった配信見ましたよ。黄衣きごろもを一蹴とはますます化け物じみてますな!」


 嬉しくもない同窓会だ。

 先を行くドクターがうるさい。


 ―――――――――――――――――――――

 -結局さー、その人だれなん?

 -ニキの知り合いかー

 -復帰前の仲間ってやつ?

 ―――――――――――――――――――――


「おお、私は、ドクター役野えんのアンデルセン! 今でこそ、曽我咲インダストリで研究員をやっているがね。もともとは、深淵アビス級探索者ですな!」


 ――――――――――――――――――――――

 -おー、すげぇ、アサヒニキ以外にも深淵級いたんだ

 -これCGじゃないんだよな。なんで首だけなん

 -その辺聞きたいわー

 -ニキの配信知ってからこっち何見ても驚かん

 -世の中不思議がいっぱいなんやなって

 ―――――――――――――――――――――


『私も知りたいですー。あなたはDDDMに登録されている探索者さんじゃないですよねー』


「しかり。私はもはや戸籍こせきもないゆえに。私の身体の秘密を知りたいですかな!? 私は肉の檻にはすでにあらず。生物という殻をついに脱却したのですな! 今の我は、意識生命体!! アサヒ、あなたも知っているでしょう。あの、!」


「何が意識生命体だ。ただただ体ぶっ壊されて呪われただけじゃねぇか」


「何を何を! 私には肉体など不要。この頭脳だけあればいいという証左であるのに!」


 ドクターは3年前、俺とともに中京断崖ちゅうきょうだんがいからの深淵層を旅する仲間だった。


 出会ったときはまだ普通の人間だった。だけどある朝、空から来た化け物に攫われた。この調子で大声でバカみたいに喋りまくってたからしょうがないよな。風に乗った化け物に連れ去られ、しばらくもどってこなかったんだ。あーあ、アイツ死んだな。ってみんな諦めてた。


 だけど、ドクターは帰ってきた。一夜明けて空から墜落してきたんだ。


 体はカチコチの氷になって砕けたけれど、頭だけ無事だった。そしてその頭だけで元気に活動し始めたんだ。


 ドクターは『唯一無二の人類の至宝である我が頭脳が残るのはこの世の摂理なのですな!』なんて言っていたが、なんのことはない。呪われて変質させられただけだ。


 ちなみに今は自分で動いている。すっごいきもいぜ。頭の横から虫みたいな足が生えてきて、蜘蛛みたいに動くんだからな。


「博士は、曽我咲の顧問なのですわ……、貴重な深淵の証人、ですの……」


 シノンちゃんが言うには、深淵帰りのドクターは持ち帰った知識と素材をもとに曽我咲で迷宮宝具の開発をしていたらしい。曽我咲が三大メーカーの中で頭ひとつ飛び抜けた成果を出せているのは彼のおかげなのだとか。


「頭がおかしい人ですが、わたしをトップ探索者にしてくれた恩人でもあるのです……」


 苦しそうなシノンちゃんは今、俺におんぶをされている。ざくざくと地底のジャングルを分け入る。

 

 彼女の重みはあるが、なかなかどうして柔らかい感触が悪くない。しばらくこのままでもいいくらいだ。


『アサヒさんー、それであなたたちは今どこに向かっているのですかー? あまり動かない方が良いかと思うのですがー。その、シノンさんの容体も……』


 シィさんの言うこともわかる。俺の背に揺られている彼女はどんどん具合を悪くしている。

 

 返事もたどたどしく、意識が途切れかかっている。見た目に致命的な怪我はないが、細胞レベルでやられている可能性がある。顔色は蒼白を通り越して土気色だった。


 このままでは、しばらくしたら死ぬだろう。

 視聴者のコメントも悲観的なもので溢れている。シノンちゃんを助けてあげて。なにか手はないのか? と。


 だが、残念。ここは深淵。新たに救助隊が来たとしても、二次遭難にあうだけだ。


 まぁ、見殺しにするつもりもないのだが。


「このあたり、湿地帯になってるだろ。こう言うところにはな、居るんだよ」


 『なになに。なにがいるんよ?』 『あ、私わかったかも。あの子たちなら……?』


 視聴者で答えに行き当たった奴がいるな。たぶんマツリカちゃんか。


「こういう時こそあいつを使うんだよ。出てこいよ、テケリ・リ!!」


 周囲の沼地に、玉虫色の光が次々と浮かぶ。

 よしよし、いたな。そして、さらに。


「そぉい!!」

「きゃ、きゃああああー!!?!」


 俺は一切の躊躇なく、ショゴスの巣に瀕死のシノンちゃんをぶん投げた。

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