第18話 誰だって芋虫になりたくない
「ああ、アアァァ……、うァァァ……」
「――テ、アシ、こ……ニィィ」
「ェ、ェェ、ぇぇぇニ」
ひどい光景だった。
洞窟を進んだ先にいたのは、巨大な芋虫だった。体長1メートルから2メートルほどか。丸々と肥えた土気色の体躯。土気色の体表からは、刺激臭のあるガスが漏れ出ている。緑の液体を吐いているものもいる。とにかく匂いがひどい。腐った卵――硫黄のような、糞尿のような、強烈な酸臭のような……。鼻が曲がりそうだ。
そんな汚泥の中に、それらは転がっていた。
「あは、あはは」
いちばん近くにいる男はまだヒトの形を保っている。いくぶん体が膨れているようだったが、まだ原型をとどめている。他のものはひどい。服がはち切れてボンレスハムのごとくになっている。そのくせ手足は見つからない。
唯一残った顔だけが彼らの素性を表していた。異形の先に、悪趣味な悪戯のようにつけられたヒトの顔。涙を流し目を剥き、笑っている。
「虫、虫だぁねぇ……み、な、芋虫にぃぃ――さ、ちまったぁ」
言葉を話す。それがかつてヒトだったことを証明する皮肉。
狂気に触れ、まともな身体も正気も失っていたが、それで彼はヒトだ。
何かに行き当たり、存在を
―――――――――――――――――――――
-いやいや、これはさすがに……
-(絶句)
-――すまん無理。ブラバする。バイバイ
-おえ……
-ガチすぎの放送事故……グロやめーや
-ええ、ええええ……
―――――――――――――――――――――
いつも騒がしいコメント欄も沈黙。しょうがないよな。なかなかお目にかかれない光景だもんだ。俺も久々に見たよ。
「シィさん、彼らの身元わかります?」
『は、はいー。ええと……、この顔……。あ、DDDMの探索者さん、ですねー……』
「そうですか」
やっぱり間に合わなかった。
土の洞窟で『形状の変化』 悪い予感はしていた。
芋虫の数は全部で7体。
救援者の数は9人。あと2人はどこに……。すでに胃袋の中だろうか。
「シィさん、どうしましょう。撤退でいいですか」
『て、撤退、ですか』
ドローンのカメラ越しに、シィさんの視線が、芋虫たちに向けられる。
画面を共有している視聴者たちからコメント欄で再度悲鳴が上がった。
『あの、彼らを連れて帰ることは……』
「難しいですね。それに意味がない」
『意味がない』
「治す
――――――――――――――――――
-マジかよ
-こいつらこのまま? かわいそくない
-アサヒニキ、これ深淵のなんかがやったの?
-怖すぎワロエナイ
-ひえええ、ひええええええ
――――――――――――――――――
「彼らが
ガマガエル? それって、あのゲコゲコ鳴くヤツ? ぴょんぴょん飛ぶやつか? なんて視聴者が想像してるのは、きっと手のひらくらいの可愛いヤツだろう。
だが俺が見たことがある
「ここの蝦蟇は違う。巨大だ。そして人語を話す。思念で獲物を操作し自身の領域である洞窟に誘導するんだ。そこで、体を作り替える」
そう、作り替えられるんだ。
何のために? 決まってる。
いあ いあ つぁとぅーぐあ
いあ いあ さどぐいい ん かい えぼるの ああぬむ
ほうら、聞こえてきた。ヤツをたたえる歌が。
あれを聞くと、気が触れる。気が触れれば、手足が萎縮する。
手足が萎縮すれば、たちまち芋虫で奴の餌の完成だ。
―――――――――――――――――――――
-ひええ、ひえええええ!!!
-なんか来たよアサヒニキぃぃぃいいい
-お師匠さん、お師匠さん!!!キタ、キタァアア(クレチャ10,000円)×5
――――――――――――――――――――――
やかましい。クレチャ投げなくても、わかってるっての。
マツリカちゃんにはマジでお金の使い方を教育しなきゃいけないよな。
暗闇から巨体が現れる。毛が生えた太い手が伸び、よく肥えた芋虫を鷲掴みにした。それをそのままむさぼり食う。哀れな調査隊はあっという間に胃袋の中だ。
「げえええええふっ」
なんてでかくて、臭くて、醜悪な顔だろう。
つぶれた饅頭みたいな輪郭に、濁った眼がぎょろりと光る。
『アサヒ。敵性
「ああ、わかってる。いきなり重量級が出てきたな」
『大丈夫ですか? 戦えますか?』
「当たり前だろ。それに、たとえ神そのものだとしても、同じ土属性に負けるとか言わねえよな? アース」
『愚問ですね、アサヒ。いつでもどうぞ』
「カアアアアァァァア――――ッツ――――――――ッ!!!!」
ツァトゥグアの咆哮がこだまする。
呼応し俺は、アースを大地に突き立て叫ぶ。
「フィールド掌握――、任意コントロールを要請!」
『掌握完了――土塊操作、スタート』
◆◆◆
「――何ですか。あれは……」
その時少女の心は傷ついていたし、折れかけてもいた。
歯の根が合わない。ガチガチと音が止まらない。
体は冷え指先の感覚はとうになかった。
仲間が狂い、姿を変えられ、食われたのだから当然といえる。
調査隊がこの洞窟に引き寄せられたのは、アサヒが到着するずいぶん前になる。
野営の準備をしてた時、DDDMの調査員が次々と血相を変えた。
うわごとのように不可解な言葉を発し、ひとりまたひとりと洞窟の奥に走っていく。
彼女は、調査隊の中では客人であったが、ほかの人間がすべておかしくなってしまっては追わずにはいられない。
だがそこで、出会ってしまった。
「なんなんですの。あの化け物……、怖い、怖いですわ」
腰に下げた白銀の剣。
彼女の実家が作り上げた、最新鋭の迷宮宝具。銀光まとう
だが、抜くことすらできずに、彼女は隠れた。
それが屈辱で、さらに心が折れた。
「あれは……、ア・ガルタであり、トラペゾヘドロンであるこの牢獄に封じられた神の一柱ですな。ツァトゥグアといいますな」
「ツァトゥ……グア?」
「ええ。地上を狙っている邪な神ですな」
「ドクター、あなたは知っているのですね? あれのことを……」
ドクター、そう呼ばれた相手は人間の形をしていなかった。
芋虫に変化したわけではない。それ以下だ。
軽薄そうな白髪交じりの初老の男。
その生首。生首のまま、男がしゃべる。
「ええ、ええ!! そうなのですな! 暗黒のン・カイより這い出した、蝦蟇ですな!! あああ、それにしても懐かしい。私はここに帰ってきたのですな!!」
「お、大声を出さないで! あの怪物に気づかれてしまいますっ」
少女は白銀だった。銀の髪、白い鎧にも似た探索者装備。
今や顔色すらも白い。名を
「これが、興奮せずにいられましょうや!! ああハレルヤ! ビバ迷宮――むぐ」
恍惚の表情を浮かべ、がなる生首を、シノンは懐に抱え込んだ。あの化け物に見つかりたくない。その一心だった。
「もがが……、大丈夫ですよお嬢。やつは討たれますな。ボウズが来ましたからな」
「ボウズ……、彼のことですか?」
岩陰からそっと見やると、スコップを振りかざし、凄惨な表情を浮かべた青年が、化け物の腕を切り飛ばしたところだった。腕から、吹き上がる緑の体液がぶちまけられる。それが放つ腐臭のため、強烈な吐き気を覚えた。
「アサヒアサヒアサヒ!! アーカム・アサイラムの新入りボウズ! 君ならいつか必ずやると思っていましたよぉぉおおお!!」
ドクターはどうしたの? シノンは困惑する。
もともと人外の類であると認識していたけれど、ある程度は理性的な人物なはずだ。なのにスコップの彼を見たとたん、狂ったように叫びだした。
曽我咲インダストリの誇る開発局局長、Dr.
「あの女の呪い、どうやって解いたのでしょうねぇ……、まぁまずは――」
スコップの彼が飛ぶ。轟音とともに、化け物の身体に巨大な穴が開いた。
化け物は悔しそうな声を上げると、そのまま地に溶けて消えた。
「3年ぶりの再会と行きましょうかねぇ!!」
洞窟内に静寂が戻っていた。
どうやら自分は助かったようだと、シノンは理解した。
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