第10話 幻想、顕現

『では、アサヒ。探索者人生の再開です。ここに集いしギャラリーたちとともに、英雄の帰還を高らかに告げるとしましょう』


 アースをとともに、岩戸の前に立つ。

 ホールは奇妙な静寂に包まれていた。ちなみに通知も切った。庭さんがまたクレチャの連投を始めないか心配だったが、今からは真剣マジなシーンだからな。かまってはいられない。いつの間にやら視聴者は30万を超えているが。


「ここまで目立つつもりはなかったんだけどな。どうしてこうなったのやら」


『仕事を辞めたアサヒはこれから探索者で食べていくのでしょう。であれば、視聴者は多い方がよいです。マツリカさんのおかげでお膳立ても完璧。アースは満足です』


「そう。まぁいいけどな」


 配信用随伴ドローン【いつでも見てる君】のほうを向く。このカメラの向こう側には30万人がいるのか……。そう思うとキリキリと胃が痛んだ。


 いや、俺は探索者だ。それも、今の時代の迷宮配信者ラビリンチューバ―。この感覚にいやでも慣れないといけない。


 ブラック企業といえど、仕事をぶっちした俺は今や無職だ。今後の収入は探索者の稼ぎ一本。どうせ探索者をやるならば安定した生活をしたい。


 だからこれは必要なこと――



「――えーと、改めて名乗りますね」


 張りすぎて、微妙に裏返った声が洞窟に広がっていく。


「俺の名前は斎藤アサヒ。歳は21。探索者歴は5年前に2年間ほど。復帰勢です。特技は穴掘り、迷宮宝具はこれ【土塊かえしアーススター】。えーと、今日はこのダンジョン【東京大洞穴】の【岩戸】を開けようと思います」


 加速する。コメント欄が加速する。

 岩戸? 開けられるの? 今何層にいるんだ? ビギナーじゃなくて?

 なんて文字がちらほらと見えた。まだ初見さんが入ってきているらしい。


「5年前――迷宮出現事変ダンジョンインパクト当時、岩戸は開いてました。そこには迷宮核ダンジョンコアがあるんですけど、実はその先もあるんです。深層よりもなお深層。その名も深淵アビス層と言います。なぜかわからないけど、今はあまり知られていないみたいですが……」


 カメラ越しにも、皆のいぶかし気な気配を感じるようだった。


「――このフロアは岩戸の前。通称【前室】と呼ばれてます。ちょっと広い空間になってますよね。岩戸を開けるにはここでやらないといけない事があります。だから広い空間になってるんです。そして見えますか? あれが【岩戸】です」


【いつでも見てる君】がカメラを向ける。

 俺が指し示す先に、巨大な扉がある。それは石で出来ているけれど、明らかに自然にできたものじゃない。今は不活性状態だから分からないが、表面には沢山の象形文字と文様が入っているはずだ。


 俺は扉に近づく。見上げるほどに巨大。


「岩戸を開けられる鍵は限られています。ある特殊なジ・オード結晶を使う事で、扉を活性化させ、開くことができるんです。――アース」


『はい。アサヒ』


 アースのスコップの刃の部分が翠光に輝く。ジ・オード超高濃度ちょうこうのうど高硬度こうこうど結晶体。アースのスコップの刃の部分はそれで出来ている。アースは、ジ・オード結晶を燃料とする迷宮宝具でありながら同時にジ・オード結晶体でもある。


 俺は扉の正面に立つ。

 本当に巨大な扉。いったい誰が作ったのだろうか。


 アースの刃で、壁を軽くたたく。

 コーンと透き通った音が、響く。


『解析-対象:東京大洞穴。第六幻想器ファンタズマ・グリモ土塊返しアーススター】が要請します。起動、並びに開門』


 コーン――

   コーン――

     コーン――


 と、透明な音は連続で反響して、暗闇の【前室】全体に波及していった。壁面に薄ぼんやりと光が灯っていく。アースと同じ翠の光だ。


「5年前の【迷宮出現事変】ダンジョン・インパクト。沢山の死者が出ました。突然世界中の都市の直下に巨大構造物が出現したんですから、混乱は大きかった。人間が作り上げていた地下構造がほとんど上書きされました。当時の人々は、大いに悩みました。この迷宮は一体どこから来たのか? どうやって一瞬で出現したのか? 科学者や各国の政府は、必死で調べて、調べて調べたけど、結局何も分からなかった。当たり前です。彼らは科学的にしか調べていなかったんだ」


【岩戸】の活性化が完了する。


 腹の底から響くような鳴動の後、岩石に覆われていた岩戸から光が漏れる。剥がれ落ちる土塊の後から現れたのは、幾何学的な模様が明滅する門だ。


 門の脈動が波及する。

 洞窟全体が、息を吹き返す。

 まるでこの場が巨大な何かの腹の中のように。


迷宮ここは元々、この世界の存在じゃないんです。別の世界から浮かび上がって、重なって。俺たちの世界を上書きするように、浸食しているんです。だから、抑え込まないといけない。これ以上、日常が侵されないように。俺たちの世界が書き換わらないように」


 扉が開く。さて、何が出てくるだろうか……。

 そう思っていると、あたりに身体が凍り付くような寒気が満ちた。


 風だ。瘴気と冷気がないまぜになった、どろりとした風が吹き始めた。

 極北の生命が死滅した大地のような。あるいは、底なし沼の奥深くのような。あたりが無慈悲に冷えていく。物理的な温度変化。手がかじかむ。皮膚の表面が凍りついていくのが分かった。

 

 これほどの悪風を垂れ流すのはだれか?



 ――カラカラ、カラカラ



 遠くから乾いた音が聞こえる。岩戸の奥は真っ暗闇。その奥からしゃれこうべが、いくつものぞいた。一つ、二つ、三つ――、無数に現れる白骨。落ちくぼんだ眼窩がんかに青白い鬼火が灯る。硬質な身体を歪に動かしながら哄笑こうしょうする奴ら。


 骸亡者スケルトンだ。


「……出戻りには適当な相手かな」

『御冗談を。骨などアサヒの相手ではありませんよ。たとえそれ以上でも』



 『■■■■――――――――■■―――――■■!!!』


 絶叫、咆哮ほうこう、歪な威嚇。

 耳をつんざく音の波があたりにぶちまけられた。

 人の可聴域かちょういきを超えたその音は、もはやまともに聞こえやしないが、衝撃破として俺の身体を打つ。


 だが、俺たちはひるまない。静かにただ、待つ。

 そして現れたのは、襤褸ぼろの衣をまとい無数の亡者を従えた死者の王リッチーだった。



 死者の王リッチー……迷宮魔物の中でもそこそこの大物である。だが、このダンジョンの深淵アビス層の門番としては役者不足だ。コイツは外見こそ死者の王だが、本質はそんな可愛いモノじゃない。死者の王の皮をかぶっただけの別もの。骸骨どもの親玉は依り代になっているだけだ。


 その証拠に、揺れる襤褸ぼろは人の怨嗟えんさを煮しめたようなけがれしの黄衣きごろも。フードの下のに見えるは、無貌むぼうの白面。

 そして懐には、うつろに浮かぶ黄の印イエローサイン


「――よぉ久しぶり、。命亡きゆえに時知らぬものイーティル


『■■ッ――、■ィィ―――――――ッ!!』


 声なき声が答える。

 一丁前に返事をするか。前にアースにやられた事を覚えてるのかもな。


 死者の王リッチーの姿を取るのは【黄衣きごろもの王】

 迷宮の深淵に潜む、浸食する神の一柱。俺の敵。こんなにも早く再会することになるとは思わなかったが、今回のアタックはソロだから気楽でもある。


 黄衣の王は腐敗と腐食を振りまく。範囲攻撃が強力だから、一人で戦う方が楽なんだ。前に戦闘った時は、何人か死んだ。


『さぁさ、視聴者の皆さん。ここからがアサヒの力の見どころですよ。本家本元の深淵アビス級探索者の雄姿。見逃す理由はありません。ああ、ご安心を。アーカイブも残しますから何度でもお楽しみできますよっ』


 アースがまた勝手な事を言ってら。戦闘になるとテンションが上がるのが彼女の特徴だ。意外と配信向きのキャラクターかもしれない。


 その口上に、コメント欄が沸く。

 なんだあの魔物は? 怖い、見たことない、なんかすごいことに……


 配信ごしならば、精神に影響はないようだ。恐怖、興味、興奮、いろんな感情を持った書き込みが乱舞する。どうやら十分に場は温まったようだ。


 俺は翠光纏うアースの刃先を、骸どもに向け言った。

 親しい旧友に語り掛けるように、あくまで軽くだ。


「さて黄衣の。再会早々なんだけどな。今後の俺の探索者人生と、視聴者の為に、派手にぶっ飛ばされてってくれねぇかなっ」


 その返事はもちろん――――

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