木は森の中

 イヤホンを片方忘れてしまった。よくあることだったが大抵すぐに見つかる。どこで忘れても戻ってくるもの、くらいの認識だ。ただ今日は見つからなかった。そんな感じだ。

 そのうち忘れたことも忘れて、新しいイヤホンを買うことになる。バッテリーの持ちも悪くなっていたし、買い替え時だ。そうやって自分を納得させる。

 そんな片方になったイヤホンたちが、学校の事務室にはたくさん集まっている。ゴミではないが使えない。落とした人には忘れられてしまった。

 そうやって積み重なった、なんとも言いがたいイヤホンの思念が渦巻いているのを通りすがりに見た生徒が一人いる。

 名前を神戸帆足といった。半分かそれ以上が縁結びの神の血でできている。この学校ではとくに変なことではない。

 イヤホンにも縁があるのかと首を傾げた。縁結びをすることを嫌だと思っていた自分を棚に上げて、帆足はイヤホンを心配した。

 機械だし、自力では移動できない。さすがに気の毒になった。

 そのくらいの情はあったし、たまたま暇だった。迎えの車は都合がつかず、まだ来ないのだ。

 事務室の扉を叩き、忘れものの持ち主を探す手伝いを申し出た。事務員は学校の創始者である神戸の名前を知っているし、帆足への教師陣の信頼は厚い。とくに断られることもなく、大量の片方だけになったイヤホンを預かった。ゴミになるよりは良いだろう。

 ひとつずつ糸をほぐして辿る。絡まる糸はあったし、切れている糸もあった。縁なのだから当然だ。人間のものと大差ない。ただし、人間は嘘をつけるけれど、機械はそれができない。

 機械同士の縁ならば結んでも悪い気分にはならない。そんな気がする。

 電波が悪くて繋がらなかったり、故障してしまって修理に出ていたり、不要だからと捨てられたりする。

 人間の一方的な扱いに、それでも不満を言うことはない。イヤホンは両方揃って働きたいと言っている。思念の大半はそんな具合で、片方だけでいることを残念に思っていた。

 イヤホンが語れる言葉は少ないが縁の糸ははっきりしている。情報量は充分で、浮かぶ人間の名前を片端から付箋で貼っていく。大半が学校の名簿に載っているはずだ。

 名前が浮かばないイヤホンは縁の糸が切れていた。役目を全うできないのは気の毒だが、分別して捨てるしかない。心苦しく思った。

 同じことをひたすら繰り返すと、イヤホンの行き先が決まった。あとは事務員に任せれば良いはずだ。

 ひとつだけ、由比雅臣の名前があったので自分で渡すことを事務員に伝えた。

 会いたい気がしたので、半分以上口実だ。

 今日は美術部の活動があるはずで、校外に写生に出ている。確か近くの美術館だった。近隣の地図を思い出しながら、待っていた車を帰す。運転手には悪いが、譲れないこともある。

 自分の縁は残念ながら見えないが、これを縁だと言えない縁結びの神もいないだろう。

「雅臣、忘れものよ」

「帆足ちゃん?」

「あら、私がいては駄目かしら」

「ううん。びっくりしたから」

「イヤホンが帰りたがっていたの」

「そっかあ。忘れるなんて、悪いことしたなあ」

 由比は鞄の中身を確認した。

「ほんとだ。帆足ちゃん、ありがとう」

 由比は笑った。頬には木炭が付いていて、手はもっと真っ黒だ。目立たないが鞄にもついてしまっただろう。でもその手でイヤホンを受け取った。由比のもので、由比の手だ。帆足の手にも僅かに黒い色がついた。おそろいだ。

 もしまた片方を失くしたら、探し出して渡しに行こう。どんなにたくさんあっても見つけられる気がした。

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