火と油と水と

 帆足が珍しく喧嘩をした。相手がいなくてはできない喧嘩だ。由比は掛ける言葉が見つからず、ただ彼女の傍にいる。

「なんなのかしら」

「なんだろうねえ」

 溜め息の数は増えて、帆足の話声すら奪っていく。由比は寂しいな、と思ったが口にはしなかった。怒る顔も可愛いが、笑っている顔のほうが良い。どちらかといえば無表情に近くて、いつもよりも人形めいた美しさがあった。要するに惚れている。

 待ったかいもあって、いつの間にか会話は再開された。

「灯理ったらなんであんなに頑固なのかしらね」

「音積くんのことでしょ」

「そうね。音積が悪いわよね。早く告白すればいいのに」

「うーん。告白はしてるかもね」

「あらそうなの」

「だってさあ、音積くんの目がね、灯理ちゃんに恋してるって書いてあるんだよ。油性マーカーだから落とすの大変そう」

 由比は気を使っておどけたふりをした。ハートマークの瞳を思い浮かべて、さすがに違うかもしれないとも感じたが、大して変わらないだろう。

「落ちたら書き直しそうね」

「だろうねえ」

 由比と帆足の間での音積の扱いはそんなところだ。

 灯理の心は彼女のもので、おいそれと手を出していいものではないけれど、さすがに応援したくもなる。頑なで頑固で曲げない信念もあって、それでいて臆病だ。

「音積くんかわいそうってぼくが言った時、灯理ちゃんは冷たい目をしててさあ」

「情が薄いんじゃないけど、認めないわよねえ」

「認めたらハッピーエンドなのにね。幸せになりました。おしまい。じゃ、きっと駄目なんだろうね。なんでだろう」

「なにが怖いかは知ってるけれど」

「帆足ちゃんにもあるの?」

「幸せになったら、今度は幸せがなくなることが怖くなるんじゃないかしら。灯理の考えそうなことってそれくらいだわ」

「でも自分で気が付いてないよねえ」

「そうね。困ったわねえ」

「ぼくは帆足ちゃんと話してると幸せだからいいけどね」

「由比は私を幸せにするのが上手ね」

「褒められちゃった」由比は照れた。

「もちろん褒めてるわよ」

「さっきまでの火は消えたみたいだね」

「火災報知器が鳴らなくて安心したわ」

「煙もでないなあ。そうだ! 今度みんなでキャンプファイアーでもしよう。音積くんも誘わないとねえ」

「素敵ね」

 由比のなかでは決定事項になって、帆足はその計画に何の文句もなさそうだ。

 物事にも化学反応はある。火がついて油が注がれることもある。水では消えない火もあるだろう。でも今日は、火種ごと失くして、なにも燃えていませんと胸を張って言おう。だって帆足が笑顔だから、それがいい。

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