栞屋の覚悟

 「お前ら騎士だったくせになんだその馬の扱いは!」



 元バッセフ侯爵家の騎士だったと言う男たちの面倒を見始めた頃、その殆どが彼らの看病だったが、春になって王都に来ればのんびりとした栞屋生活が終わったのだと遅い自覚することになった。



「馬のクソの世話なんてしたこたぁねぇんだよ!」



 朝日が昇る前に家を出て、少し距離のある孤児院に薪を置いてくるのもキツくなるほど働き尽くめの毎日だ。男たちも隙があればすぐに倒れる。加護がないというのはそういうことだ。



「それやったら…なんだったか…ブラッシングか。ブラッシングするぞ」



 二ヶ月という短い期間隣国で看病で過ごして気付いたことは、加護から外れていたはずの自分は、既に神の加護の中に戻ってきていたということ。


 目の前で見たこともない真っ赤な顔をして倒れる男達に、呼吸をすることもままならない女、自分もこうやって倒れることになると思いながら時間が過ぎ、バッセフの小さな教会に感謝の祈りを捧げるに至った。



 看病が初めてだろうが、馬の世話が初めてだろうがやるしかなかった。これは自分の重ねた罪の結果だ。



「エリアス、もう昼だぞ!昼飯が無くなっちまう」



 厩舎と備蓄倉庫と仮宿しかない場所なので、大通りに出て昼食を取らなければならない。これまで適当な自炊をしていたエリアスも男たちと一緒に昼食を取るしかない。食材を調達する時間もなければ、調理する時間もほとんどない。夕食だって買いに出る始末だ。



「お嬢様の食事は今日は何がいいか…」



 基本的に男たちの食事はフェゼリーテに何を持っていくかで行き先が決まる。フェゼリーテが熱を出すたびに、当主であったルイが仮宿で面倒を見ながら聖書の写本をさせている。その写本を売れば生活費の足しになる算段だ。



「ルイ、昼休みだ。今日は野菜スープとパンとゆで卵。出来るだけ食べさせてやれ。食べないと治るわけがない」



 フェゼリーテは少しずつ回復してきているが、長い間歩くことはまだ出来ないし、王都に来てからも頻繁に寝込んでしまう。痩せすぎた身体は食事をする体力すらも無いのかと最初は目を疑う食事だったが、食事の改善と寝たまま足を動かして筋力をつけたことで部屋の中を一人で歩けるようになった。もちろん足を折り曲げたり伸ばしたりしたのは父親であるルイだ。



「あぁ、ありがとう」



 二人分の食事を手配すると、男たちの給金はすぐに底をついてしまう。男たちはよく食べるし、フェゼリーテとルイは体力がなくすぐに体調を壊す。貴族であった二人の生活は従僕の騎士だった男たちに任せるしかなかった。



「礼をいう相手は俺ではなく、彼らにだろう」



 夕方、日のあるうちに、森の中では少しずつ家を建てていかなければならない。もちろん職人を雇う金はないので、素人の手作業だ。



「おっちゃーーーん!」



 聞き慣れた声に振り向き、リューとショーンに向けて手を上げた。



「これ母ちゃんがお裾分けだって!乗馬はすっごく楽しいよ」



 リューとショーンは馬術訓練場というまだ草の多く残るロープを張っただけの地でポニーを卒業しようとしていた。子供達の吸収は早い。彼らは日中、他の子供を誘いながら乗馬を習い始めた。騎士になりたい者や御者の仕事を得たい者、森の入り口には騎士と領民の出入りが以前とは段違いに増えた。厩舎の隣では教会に雇われた人が常駐する騎士や神官見習いのための宿泊所が建築中だ。毎日子供達の成長と建物の進捗具合が月日が経つのが目に見えて分かる。それがとても辛いことだった。



 今までエリアスは季節くらいしか気にせずに生きてきた。目の前のことだけに集中して、マイペースに歳をとって、風邪をひいても一人で過ごしてきて十一年だ。

 今思えば最初七歳と五歳だったリューとショーンは十一歳と九歳に成長していた。彼らの年齢を数えたこともなかったし、いまだに誕生日も知らない。そんなことに気付くきっかけが他人との生活だということに酷く驚いたものだ。



 春の半ばに王都に戻り、もう夏になる。草むしりから始めたのに、もうそこら中に草が生い茂った昼間見た訓練場が目に浮かんだ。



「助かるよ。ありがとう」


「おっちゃんがブーツも乗馬服もプレゼントしてくれたんだ。暫くおっちゃんの夕食は心配するなって」


「黙っとけって言ったのに」



 二人の会ったこともない親とは、間接的に交流がある。義理深い彼らの両親は必ずお礼を届ける。顔も知らない男のために世界一美味しい料理を。だが、今日はそれが胸に沁みた。今は彼らに肉を分け与えることも出来ない。



「狩りが出来るようになったらまた肉を持たせるよ。その日が来るように頑張らないとな」


「肉!?ヤッホーイ!」


「さぁ、暗くなる前に帰らないと、親が心配するぞ!」



 そろそろ木を切りに行った男たちを呼びに行かないといけない。放っておいたらアイツらは暗くなっても戻ってこない。彼らの主人達の食事を買いに行かせるのも仕事の一つだ。



 二人を帰した後、手に残ったのはまだ暖かいスープとパンだった。これを温かいまま食べれる日の為に、小さな剣と弓を持って森へ入った。



「フレーーーッグ!オーーーフェン!スティーーーブ!!」



 森へきたのは騎士が三人。他の罪人は置いてきた。田舎に移らなくても体力があり、改心する可能性があると滞在を許された者だ。ここに来たのはご主人に忠実で、罪の意識のない使い物にならない者。手が掛かる。


 

「なんだ、まだ明るいぞ?心配性はお迎えに来たのか?ハハッ」


「お前ら、主人達の夕食を手配するんじゃなかったのか?飢え死にさせたいなら別だが?」


「確かに、あまり遅くなるとお嬢がお腹を空かすかもしれないな。おーいお前ら!この木にロープを括り付けろ!今日はこれを運んで終わりだ!」



 それ以上は口を出さない。倒した大きな木を運び出す頃には森は真っ暗だ。その代わりランプを置いて帰った。何事も経験しなければ身に付かない。

 


 彼らを見ると虫唾が走る。シャーロットは無事に帰りユリエルと婚約した。彼女が誘拐されるに至ったのは自分のせいだ。本当に虫唾が走る。ここに戻りたいと思っていたが、彼らを連れてくる気はさらさら無かった。聖女を害して聖女の庇護下にいる。神に見捨てられて神の子に助けられている。聖女というのは命知らずらしい。




 優しいスープとパンを温かいうちに食べたいと願ったことすら烏滸がましい。それでも、スープは美味しいし、二人の成長が嬉しい。そして、馬車の来る音がすると何をしていても手が止まる。苦しい。でももっと苦しみを与えてほしいと思う。



 二度と彼女を傷つけさせやしない。彼らからも、俺自身からも。




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