果てしない海
マーカス国の西端まで辿り着くと、夏の海はキラキラと光り、日傘を持った騎士が足を取られて呻き声を上げた。砂浜は馬車が走れないのだと知った。
「すごい!全部水ですか!?」
波は白く、水は青くエメラルドに輝いていた。
「靴なんていりませんね!」
砂は柔らかく、そして温い。初めての潮の匂いは爽やかで、そして風は肌にまとわりつくように水分を含みまとわりつく。この場にいるだけで楽しかったが、塩辛いという海を舐めてみたかった。
「聖女様!待ってください!」
現地の教会の神官や騎士達も同行していたが、王都から共に来た騎士達も初めての海に手こずり、そして興奮していた。
「ハハハハッ!本当にしょっぱい!」
ルーファスは盾を投げ捨て、腕をまくり、裾を捲ってブーツを脱いだ。ユリエルも降参したように真似して丁寧に裾を折っている。
「聖女様!日に焼けてしまいますよ!」
「そんなことを気にしていては何も楽しめません!」
波の音で掻き消えてしまうので、声も大きくなる。それがまた気分を高揚させた。
「ユリエル!見て!この石、本当に海みたい!石なのに本当に海だったわ!」
聖女様はネックレスを胸元から取り出して、ユリエルに見せた。
「本当ですね。街に行けばこの石のような海を描いた絵画もあるかもしれませんね」
「あったら買いましょう!寝室に飾って毎日寝る前に今日を思い出すの!いいと思わない?」
「それはいい考えです」
海に行くのにドレスを着ていくべきではないと言われ、聖女様はくるぶしの見える町娘のような姿だ。その姿で遠慮がちに裾を持ち上げ、足を水につける姿にユリエルの頬は少し赤く染まった。
「ユリエル、暑い?それとも日焼けかしら?少し休みますか?」
騎士達が楽しそうに水を掛け合う中、聖女様はユリエルの手を取った。
「そうですね。少し日陰で休みましょう」
連れてきた侍女達は砂浜に布を敷いてパラソルの下でお茶を楽しんでいるようだ。その隣には幌馬車が置かれていて、テーブルと椅子がセットかれていた。聖女様用の馬車はキャリッジタイプで砂浜には向かなかったが、川を渡ることもある幌馬車は砂浜にも入れたようだ。
「お茶も変わったものね。どこのものなのかしら?」
「ハッセンと呼ばれる地域のお茶でございます。マーカスの海岸沿いの地域で非常に好まれているようです」
「苦味がなくてすっきりしているけど、香りも控えめね」
「はい。こちらでは紅茶にフルーツを浸して飲む習慣があり、根付いたようです」
「お水にミントを入れるようなものなのかしら?」
天井の高い幌馬車で、侍女がお茶の準備を整えている。
「よろしければお好きなフルーツを一つカップに落としてみてくださいませ」
侍女は二人の前にティーフードを乗せたスタンドを置いた後、一皿ずつフルーツをお茶受けのようにカップの隣に置いた。
「私はマスカットにしようかしら」
「では…私はオレンジを」
ゆっくりとスプーンでカップに落とし、香りを嗅ぐと瑞々しい爽やかで甘い香りが鼻をくすぐった。
「ユリエル!!美味しいわ」
「シャーリー、オレンジは自信を持っておすすめできます」
「マスカットもとても美味しいわよ」
二人はとても気に入ったようで、皆の遊び声を聞きながら貸切の海を楽しんでいた。
「あ゛~見てくれよ!砂だらけだ」
穏やかなティータイムの邪魔をするように、ルーファスが馬車に乗り込んできた。
「足は水で流したらすぐ綺麗になりましたよ!」
「すぐに砂だらけになるから後で流すか…こりゃー後で見張も交代させないと文句が出そうだな」
「そうですね。交代させましょう。海に来たのは皆初めてでしょうから」
朝から夕方まで、ユリエルと聖女様は海にいた。夕日で一面が赤く染まり、波はオレンジ色に変わって、その色彩が移る様子を二人は肩を寄せながら見ていた。
「聖女様?疲れましたか?」
ユリエルの問いに聖女様は夢の中で答えた。ユリエルはそっと聖女様を抱え上げ、砂の上を歩いた。
「寝てしまったか」
「はい。今日は帰りましょう」
朝になれば孤児院で子供達と絵を描き、各教会の学校が適切に運用されているか確認している。貴族達の旅行とは恐らく全く異なるだろう。それでも、聖女様が笑ってくれるだけで海に来た甲斐があったと思う。
「ユリエル!見て!夕方のあの最初の海の絵です!これを買います!」
海の絵を買いに来る前は、青く澄んだ海を思い浮かべていたが、聖女様が手に取ったのは、オレンジ色の海だった。
絵の作者のアトリエでは、同じ海を描いているものが多かった。だから、ユリエルはそっと、青い海の絵も買った。寝室に飾るのは贈った石と同じ色の海の絵のはずだ。
二週間、海沿いの教会を三箇所回り、領主の館でもパーティがあった。聖女様の希望もあり、一日中ゆっくり出来たとは言い難かったが、二人で海に散歩に出かけ、非日常の中にいるのを楽しんだ。
「ユリエル、私からのプレゼントです」
聖女様から貰ったのは、夕焼け空を閉じ込めたような石のブローチだった。
「王都ではユリエルと夕陽を楽しむことは少ないので、ユリエルと過ごせてよかったです」
「だから、夕陽の絵画だったのですか?」
「はい。あれは私の部屋に飾ります。ユリエルが買ったものは寝室に飾ってくださいね」
「気付いていたのですか」
「もちろんです。あの絵も買おうと思っていたので、気付かないわけありません。王都に帰るのも楽しみですね。父と母とアンディに、たくさんのお土産を買いました。あとアン様と料理長達と、栞屋と孤児院と学校と、それからショーンとリューにもです。帰ってからもきっと楽しいですよ」
帰りの馬車に乗っている時間は、行きよりもずっと短く感じた。
「これからは、夕陽を楽しむ時間も作りましょう。たまには星空を楽しむ時間を作るのもいいかもしれません。シャーリーとなら、毎日が楽しいです」
「どこにいても、ユリエルとなら楽しいです」
二人は馬車の中で寄り添いながら、海の石を見比べて、海での思い出をずっと語り合った。
寝室には青い海が、聖女様の私室にはオレンジの海が飾られ、旅を終えた二人が聖宮に戻ると、聖宮の入り口には二人の結婚式の様子が描かれた壁画が完成していた。
「次は農村にでも行きましょうね、ユリエル!」
壁画の前で、聖女様はユリエルに飛びつき、ユリエルは軽々とそのまま持ち上げて私室へと戻っていった。
「こりゃあしばらく結婚ラッシュは終わらねーな…」
二人の結婚は、大陸の繁栄に繋がった。恋する若者たちにとって二人は、恋愛成就の神様のように映ったと語り継がれている。
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