聖女、初めての旅へ

「シャーリー、旅に出ませんか?」



 結婚して一年後、全てのことが落ち着いてきたタイミングで、今しかないとユリエルは聖女様に提案した。



「旅?」


「はい。海を見に行きましょう」



 聖宮騎士団の団長にはもちろんルーファスが付き、護衛体制は強化されている。旅では危惧するべきことは多く、聖女様には王都で過ごしてもらうのが一番だが、それだけでは籠の中の鳥。理性的ではあるが、聖母様に似て聖女様は自由を求めるタイプだ。

 警備計画に三ヶ月をかけ、ようやく旅の目処がついた。



「海が見られるのですか!?」


「はい。貴族は夏は避暑地に行ったりしますが、シャーリーはまだどこにもお出かけになったことはありませんし、他の地を見るのも楽しいと思います」


「じゃあ、料理長はお留守番にしましょう!」


「え゛っとそれは…」



 もちろん、料理長は行く気満々で、材料の調達場所や持っていく調理器具の選定をしていた。しかし、聖母様とまだ幼い聖人様の食事を担当するということで、聖女様が帝教王としての権限を行使して留守番となった。



「聖女様~!うぅっ…無事に帰ってきてくれよ~!」


「いってきまーす!」



 四頭立ての聖女様用の馬車は、予備も含めて旅の列に加わり、聖宮の機能の一部を連れての旅となった。



「聖女様、領主の城に宿泊を勧められても必ず断ってくださいよ。宿泊する教会は予め安全の確保が出来るようにしてありますんで」



 ルーファスは帯剣し、大きな盾を装備して身軽に動けるようになっている。その代わり馬は重装備だ。各所の教会で休憩をとり、ゆっくりと王道と呼ばれるメイン通りでの旅となった。海へ辿り着くまでに二週間。初めての旅で初めての長距離旅だ。神殿の紋章の入ったキャリッジと呼ばれる馬車は、普段乗っていたものを改良してスプリングがよく効いていて、より長距離向きになったらしい。



 ユリエルと聖女様は外を眺めたり、訪れる街の話や仕事の話をしたり、時には広い座面で昼寝をしたりして馬車の旅を楽しんだ。




 初めて見る光景、初めての街の匂い、だが、初日から二人は喧嘩していた。王子と一緒に平民街で食事をしていたことがバレてしまったのだ。



「もう今はしていないのに怒る理由がわかりません」


「現に今、あの屋台に行こうとしていたじゃないですか!」


「私に毒は効きません」


「ですが、衛生面での問題があるかもしれません。譲歩するとしても貴族街のレストランまでです。大体、騎士団長も一緒にいてどうしたらそんなことになるのですか」


「いや…俺は秘密にするという約束でだな…」


「秘密とか秘密じゃないとかの問題じゃありません!」



 焼きトウモロコシの屋台を見つけて、つい馬車を止めて買いに行こうとしたら、バレてしまったのだ。小言を言われることはあっても、こんなに怒られたのは初めてのことだった。



「おいおい聖女様、ポロッと口から滑らしちゃダメじゃないか」


「ごめんなさい…でも…ちょっと買ってきますね」



 聖女様はくるっと踵を返して走り出した。



「シャーリーッ!」


「聖女様!」



 こんなこともあろうかと銀貨と銅貨を忍ばせておいていた。



ーー何のために料理長を置いてきたと思っているのだ。こんなチャンスは二度とないのだから、色々なものを食べたい。



「おじさん!トウモロコシください!」



 もちろん、大勢外に出ていた騎士が一人も追いつかないはずがない。安全は確保されている。



「聖女様が怒られてまで買ってくれるとは嬉しい限りですぜ」


「焼けるだけください。騎士も従者もたくさんいるので。今日のお仕事はこれで終わりかもしれませんよ?」


「それは気合いを入れて焼かせていただきます!」



 ルーファスとユリエルは呆れ返っていた。



「とりあえず二人の分買えました。私の奢りです!どうぞ!」


「これはどのようにして食べるのですか?毒味は?」



 二人にトウモロコシを渡すと、ユリエルの質問には齧り付くことで応えた。



「こうやって食べるんですよ!とっても美味しいです!」


「ユリエル様と俺の分は毒味が必要です。万が一があっては困ります」



 毒の耐性がある騎士が二人のトウモロコシに齧り付いてからしか食べられない。これも、貴族向けで売られていない理由の一つだろう。



「シャーリーに毒が効かないというのは本当ですか?神殿に帰って神に問いたいのですが…」


「父の言葉を信じても私の言葉は信じられないと?」


「私ですらこんなものは食べたことはありません。心配するのは当然です。あまり無茶をすると目的地にも着けないかもしれませんよ!安全のために全員が計画通りに動けるように情報を共有しているのです」


「ユリエル、ギチギチな計画通りもいいですけど、臨機応変という言葉も覚えてください。まずはそのトウモロコシが冷める前に食べるのです!」



 聖女様は教会前のベンチに誘導されて再びトウモロコシに齧り付いた。騎士達もトウモロコシだけではなく、その隣の屋台を買い占める勢いで注文している。



「全て私の私財から出してあげてください」


「私財を出すほどの金額ではありませんよ」


「いいえ、私が食べて欲しいと思ったのですから、私が出します」


「では、私もいただきます」



 ユリエルは周りを気にしつつもトウモロコシに齧り付いた。



「美味しい…」



 平民も貴族も、好みの差はあれど、美味しいと思うものは変わらない。ユリエルが行儀悪く齧り付くのを見ながら、聖女様は満足気に笑った。



「次からは必ず声をかけて、先に材料の確認や毒味が済んでから食べてください。全員が同じものを食べるのは危険なので食事の時間はズラしているのです」



 馬車の中に戻ると再びユリエルの小言が始まったが、結局は完全に止めることは不可能だと判断された。護衛を振り切ってまで買いに行かれては困る。



「ユリエル、美味しいものをたくさん食べて、珍しいものを買って、楽しい旅行にしましょう」



 そう言われると、ユリエルはそれ以上何も言えなかった。



「今日はもうすでに五つの教会で祈っています。ユリエルの膝枕で少し休みたいです」


「シャーリー、あまり心配を掛けないでくださいね」



 膝の上に頭を乗せたまま腰に腕を回している聖女様の髪を解かすように指を入れながら、自分の知らない聖女様に嫉妬した自分を恥じた。


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