ユリエルのお休み

 朝起きれば、ユリエルが侍女と共に朝の挨拶をしに来て、夜ベッドに横になったあと、蝋燭を消してくれるのがユリエルでした。



「聖女様、本日は午後からお休みをいただいております。昼食後は失礼させていただきますが、何かあればお呼びください」



 朝、いつものように葡萄ジュースを飲んでいると、ユリエルから聞きなれない言葉が出てきた。



ーーユリエルって休むんだ。



 衝撃的な事実に、葡萄ジュースは私の服を鮮やかに染めた。



「聖女様、これで失礼いたします。近くにおりますのでお呼びいただければいつでも駆けつけます」


「いってらっしゃい…」



ーー本当に休む気だ。



 初めてのユリエルの休みなので、私も午後はお休みとなっていました。いつもの休みの日もユリエルは隣にいたのでまだ信じられない気持ちです。



「母、遊びにきたよ」



 母の家に遊びに行ったけど、母は寝ていて起きる気配はなかった。孤児院へ行ってみたけど、今日は川へ遊びに行っていて誰もいない。



「父…はうるさいし…」



 私はやることがありませんでした。ユリエルが予定を調整してくれなければ、私はどこに行けばいいのか分からないのです。

 仕方ないので、部屋に戻ってずっと本を読んで過ごしました。部屋にいれば、新しく神官長になった人が部屋にずっと一緒にいることはありません。



「聖女様、美味しいか?」


「うん。美味しい」


「元気がないな。どうしたんだ?」



 料理長の料理は美味しいけど、ユリエルがいればもっと美味しい。今日は、新しく神官長になった人が一緒に料理長の夕食を食べている。



「ユリエルは夜ご飯は食べに来た?」


「んー。多分来てないんじゃないか?おい、ユリエル様を見たか?」


「教王補佐ですか?出かけるって言ってたし、今日は来ないかもしれませんね」



 私のお休みは寂しく終わりました。お休みはユリエルもいた方が楽しいです。



「聖女様、もうおやすみになりますか?」


「はい…もう寝ます」


「では蝋燭をお消しして失礼しますね。おやすみなさいませ」


「おやすみなさい」



 いつも蝋燭を消してくれるのはユリエルだったのに、今日は侍女が消していきました。侍女は二年ほどで辞めてしまいます。結婚すると辞めなければいけないのだそうです。侍女の仕事をしていない侍女に会いに行くことは出来ないので、侍女が結婚するのはとても寂しいことでした。結婚することは幸せになることなので、幸せを祈ってお別れをしています。でもこれはユリエルも知らない内緒のことなのです。



 私はなかなか眠りにつくことができませんでした。侍女はユリエルは日が沈んでも帰ってきていないと言っていました。でも、もしかしたらもう帰っているかもしれません。



 私はそっとベッドから抜け出しました。ゆっくりとドアを開けると、目の前にユリエルが立っていて、こっそり部屋を出ようとしていた私はとてもびっくりしました。ユリエルもびっくりして目を大きく見開いていました。



「いつもそんな風に隠れて部屋を出るのですか?」


「夜は静かにしないといけないので。今はお仕事ですか?」



 ユリエルは私と一緒にいる時はお仕事をしています。だからあまり邪魔をしてはいけません。



「もう夜ですので、あとは寝るだけです」


「なら今は休み…ユリエルはどこに行っていたのですか?寂しかったです」



ユリエルを暗い部屋に引っ張り込むと、ユリエルは蝋燭に火をつけてくれました。



「私も初めてのお休みで、聖女様の事ばかり考えていました」


「それで、どこに行っていたのですか?孤児院ですか?教会ですか?まさか街ですか?」



 街は馬車から見たことしかありません。母が好きな街なので、とても興味があります。靴屋に帽子屋に鍛冶屋に果物屋に八百屋に肉屋に酒屋…多くの店があるのが街です。酒屋の前ではフラフラした真っ赤な男の人がよく笑っているし、鍛冶屋の前では剣を振っている人がいます。ユリエルは何のお店に行くのか気になるのです。



「……聖女様へプレゼントを選びに行きました。お似合いになると思います」



 ユリエルは手に持っていた箱を私の掌の上に乗せました。



「今日は私の誕生日でありませんよ?」


「誕生日でなくとも、大切な人にはプレゼントをあげるものです」


「開けてもいいですか?」


「もちろんです。気に入っていただけるといいのですが」



 誕生日以外にプレゼントをもらうのは初めてでした。誕生日は信者の人がたくさんのお花や野菜や果物をくれますし、侍女や騎士達もプレゼントをくれます。だから、私も教会に来る商人からプレゼントを選びますが、誕生日以外にもプレゼントをしてもいいと知りませんでした。



 リボンを解いて箱を開けると、不思議な青い石の周りを王冠に囲まれたネックレスが入っていました。



「綺麗です。とても綺麗です!」



 透明なようで全く透明ではなく、ダイヤやエメラルドのようなキラキラと光る石でもありませんし、色にもムラがありますが、そのムラが日に光る湖のような川のような水を感じさせる不思議な石でした。



「喜んでいただけて光栄です。ラリマーと呼ばれる石だそうです。美しい海を切り取ったような石なのだそうです。海は見たことがありますか?」


「ありません。海とはこんなに綺麗なのですか?」


「残念ながら私も見たことはありませんが、海を描いた絵画を見たことがあります。その絵もとても美しいものでしたが、この石を見て、聖女様にも海を感じていただきたかったのです」



 海は教王領となったこの地を越えて、二つの国を渡るとあると聞いたことがあります。視界いっぱいに輝く水しか見えないくらい大きくて、舐めるとしょっぱく、そのしょっぱい海から塩が作られているけど、ずっと変わらずしょっぱいままだという海。いつか見てみたいと思っていた海が、私の手の中にありました。



「ユリエルありがとうございます。すごく大事にしますね!」


「はい。それではそろそろおやすみにならないと…寝れなかったのですか?」



 私はもっとユリエルの話が聞きたいと思っていました。とても長い時間の話を何一つ聞いていません。



「とても寂しくつまらなかったので、今日はユリエルと寝ます。まだお話を聞いていません」


「今日は嵐でもありませんよ?それに私は今から湯浴みをしますので、先におやすみください」


「ダメです。湯浴みをするなら私はドアの前で待っています」



 ユリエルが困惑しているのは手に取るようにわかりました。ユリエルは困ったことがあると髪を触る癖があります。それでも、ユリエルは仕事中ではなくお休み中で、私もお仕事が終わっている。初めてユリエルにわがままを言える日なのですから、わがままを貫き通すことにしました。私はユリエルが許してくれることを知っているのです。



「……では、私の湯浴みが終わるまで、聖女様はベッドで横になって待っているというのはどうでしょうか?それならば私もゆっくりと疲れを取りながら湯浴みができます」


「譲歩しましょう」



 私の部屋にも、ユリエルの部屋にも清めの間が用意されています。私の湯浴みは必ず侍女が来ますが、ユリエルは一人で湯浴みをするようです。一人で清めの間に入る姿を見ながら、私はベッドに横になりました。



 神殿に来る商人は、ネックレスも持ってきますが、街には石屋か宝石屋があるのでしょう。ユリエルから初めてお酒の匂いを感じました。ユリエルは少し前に二十ニ歳になったはずなので、お酒を飲むことも不思議ではありません。私はあまり好きではありませんが、成人をしたらみんなお酒を飲んでいます。私の知らないユリエルを想像しながら、私は眠りについていました。



「ユリエル!起きてください!私の海の石がありません」



 暗い部屋の中で、手の中にあったはずのネックレスを探しますが見当たりません。もうそろそろ起きる時間になるはずなので、ユリエルの枕の下やユリエルの体の下を探すために起こしにかかりました。



「聖女様、こちらに…ありますよ。お眠りください」



 ユリエルは眠りながら私の頭を撫でて私の腰を横にすると抱き寄せて動かなくなりました。ユリエルはお酒を飲んで夜更かしをしたから眠たいのです。仕方なく私はそのままユリエルの寝顔を見ていることにしました。太陽が空を白く染め始める位までは、寝ることが許されるはずです。



 暗い部屋の中では近いくらいがちょうどいいのです。スヤスヤと寝るユリエルはお仕事をしていない貴重なユリエルです。今日は何を祈ろうかと考えていると、私の首にネックレスを見つけました。私ももう少しだけ、ユリエルにくっついて寝ることにするのです。

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