嘘つき幼女と喫煙少女

 プリキュアも、アンパンマンもみんな嘘だなんて知っているのです。


 だって、あれはどこかの誰かが、想像で描いた物語。


 本当はどこにもいない、もしかしての、そんなお話。


 お父さんと、お母さんが、こっそり準備してくれるクリスマスプレゼントとおんなじで。


 本当は嘘だけど、優しい人がついてくれた、そんな嘘のお話なのです。


 そんなこと、私はずっと知っていたのです。


 ずっと知ってはいたけれど。


 そこに描かれている想いが、間違いだなんて、そんなことだけは、信じたくなかったのです。


 それを嘘にしてしまったら、あんまりにも悲しいから。


 だから、あの物語の中で、たくさんの人が叫んでいた言葉だけは。


 本当だと、そう信じていたのです。


 ずっと、そう信じていたいと、想っていたのです。









 ※





 「正義マンは、学校とかでも正義マンなの?」


 お姉さんにそう聞かれて、私ははてと首を傾げました。


 「ううん? 学校でそんなことしたら、変な子だって想われるよ? だからしてないよ?」


 そんな私の答えに、お姉さんは、何とも言えない顔で、困ったように笑っていました。






 ※




 小学校に入ってしばらくして、どうやらプリキュアもアンパンマンも、そろそろみんな見なくなるのだと言うことを知りました。


 あんなの子どもが見るものだよねー。そろそろ、私は違うのがいいかなー。


 そんな、一緒に居る女の子達の言葉を聴きながら、私はへーそうなんだーと想っていました。


 好きでもない話をされるのは嫌だと思うので、私はよく見ていたけれど、みんなの前では話さないように気を付けました。


 お母さんルールその六は、人によって好きなものは違うから、相手の好きなものをバカにしない、なのですから。私も好きなことをバカにされるのは嫌なので、無理にお話しする必要はありません。


 ちょっと、残念だなーと思いながらも、教室でわいわい別のことをお喋りします。


 ちょっと残念ではあるけれど、それはそれでいいのです。嫌な話を無理してまでしたくはありません。


 あんなのおこちゃまが見るものっていうか、きぼーとか、ゆうじょーとか、ちょっとこどもだましって言うかー。


 友達のそんな言葉に、少しだけ心の中でむっとしながらも、優しく蓋をしておきます。


 あんなの結局、本当はない、うそばなしなんだからねー。


 周りの子がそう笑う中、心の中でちょろっと出てきた「あなたの好きなドラマの話も。あれ全部ウソ話だよ?」というセリフは、そっとタンスにしまいました。これを言ったら、きっとケンカになってしまいます。


 友達と一緒に、迷路の本を見るのは楽しいです。


 星座占いの本を見るのも、休憩時間にごっこ遊びをするのも、鬼ごっこをするのも、きれいな筆箱を見せ合うのも楽しいです。


 でも、こういう話をしてる瞬間だけは、少しだけ嫌になります。


 そんなことを、たまにお母さんに報告します。お母さんは笑って、うんうんと聞いてくれるので、それで少しだけ気持ちがスッキリします。


 そういう風に、小学校ではずっと過ごしてきました。


 平穏無事、わちゃわちゃしてるけど、それでも楽しい、そんながっこうせいかつを私は送っていたのです。




 ある日、朝、登校すると、同じクラスの桧山くんが下駄箱で立ち止まっているのを見つけました。


 桧山くんはちょっとだけ変わった子でした。男の子だけどちっちゃくて、泣き虫で、それをよく阪口さんと宮田くんにからかわれている、そんな子でした。


 止めとけばいいのになあ、といつもいつも想っていました。でも、あまり桧山くんとも阪口さんたちとも仲が良くないので、うまく喋りかけることができていませんでした。


 私がよく一緒になる友達たちも、そういうからかいが起きると、嫌そうな顔をしてそれとなく離れていってしまいます。


 そんな桧山くんはその日、下駄箱で、どこか棒立ちのまま、じっと固まっていました。


 私と眼が合うと、なんでか顔を真っ赤にして、そのまま上履きも履かずに走って、学校の中へと向かってしまいました。


 私は少し不思議に想って、その背中を見届けてから、なんとなく桧山くんの下駄箱を覗き込んでみました。


 少しだけ視線を動かして、その時、あ、と思わず口から声が零れたのを覚えています。


 


 茶色い。




 茶色くて、ぐずぐずになった、そんな上履きがそこにありました。




 桧山くんは上履きを忘れたわけでも、なんでもなくて。




 ただ、履くことが出来なくて、だから、そのまま行ってしまったのです。




 誰がそうしたかなんて、考えるまでもありませんでした。




 下駄箱の端で、意地悪そうな顔をして、走り去っていく桧山くんをみつめる阪口さんと宮田くんの姿がそこにはあったから。




 その日、結局、桧山くんは上履きを履かないまま。




 担任の先生は上履きを忘れたならちゃんと言いなさいと、桧山くんを怒っていました。桧山くんは何も言い返せずに、ただ涙をためてじっと黙って座っていました。




 胸の奥が冷たくなって、震えて苦しくて、辛くなって。その日は、みんなとおしゃべりしていても、うまく言葉が話せなくて。ごっこ遊びも上手くいかなくて、ごめんねって何回も謝りました。




 そんなことが、大体、三週間くらい続きました。




 あなたはいったい、いつになったら上履きを持ってくるのと、担任の先生はかんかんで。


 


 桧山くんはずっと涙をためて、うつむいたまま。




 陰で何人かの子どもが、くすくすと笑っているだけの時間がずっとずっと、過ぎていました。




 そうして、ある日、私が放課後に忘れて帰った体操服をとりに戻ったそんな時。




 私はとうとう見てしまうことになりました。




 ずっと、ずっと知っていたこと。




 いつ? どこで? なんで? そんなことは何も知らないけれど。




 誰が? という問題だけは始まりの頃から、ずっとずっとしっていたわけですから。




 教室を出て、体操服を取りに帰って、そしたら昇降口の近くで何かちょろちょろと音が鳴っていました。最初は誰か、お花に水やりでもしているのかなとそう考えて。




 ふと覗き込んだ時、息がすくんで胸の奥が潰れそうになりました。




 踏みつけるように、土にぐしゃりぐしゃりと、潰すように、なすりつけるみたいに、ちぎるみたいに、なじるみたいに。




 上履きを水道で作った泥の中へと沈めている二人の姿を、私は見ました。




 思わず、声を上げかけて、もっと怖いものをたくさんみました。




 そこにいたのは、阪口さんと宮田くんの二人だけではなかったのです。




 いじめに、かかわっていないたくさんの子達がその周りで見ていました。



 うわあと嫌がるような顔をする子もいましたけど、大半がどこかおもしろおかしいものをみるような、まるで何かを楽しんでいるような顔で、その二人を見ていました。



 そしてその中には、私がいつもよくおしゃべりをしている友達の姿も何人か見られました。



 やめろよーなんて声は響くけど、そう言っている子も笑っていました。



 そうやって、その光景を見つめたまま、受け入れている沢山の人の姿が。



 あまりにも、私が信じていた物からは、遠くて、怖くて、気付けば息ができなくなっていきました。




 ――――私は。




 ―――――ずっと知っていたんです。物語は全部、嘘の話だって。綺麗な物語は、そのほうがみてて楽しいから、お話を決める人がそういうふうにつくっただけのものなんだって。




 諦めなければ、夢は絶対に叶うとか。



 辛いことがあっても、きっと楽しいことがやって来るとか。



 いやな奴は、最後の最後に酷い目にあっちゃうとか。



 苦しくて、辛くて、泣きそうな子の元には、きっと正義のヒーローがやってくるとか。



 ―――知ってます。そんなの誰かが書いたウソなんです。



 そんなことは、知っている、けど。



 それでも、そこに描かれたものは、その物語が伝えてくれた願いだけは。




 信じていいって、きっと大丈夫だって。最後にはみんなみんな上手くいくって。




 それでも、ずっと信じていたんです。



 そんなの嘘だと知っていたけど、ずっと信じていたんです。



 胸の奥がぐちゃぐちゃといたくなります。



 のどのおくがどろどろと辛くなります。



 眼の奥が、じわじわと滲み始めて。



 心の奥ががたがたと震えるままに。



 でも、物語の中の、正義の味方を思い浮かべて。



 私は一歩、踏み出しました。



 きっと、きっと。



 そうすれば、きっと上手くいくって。



 そんな、誰かが描いたウソを、必死に信じ込んだまま。



 笑うみんなの前に、たった一人で踏み出しました。




















 ※





 「そっか、学校では、正義マンしてないんだ」


 「うん、学校では、正義マンは負けちゃったのです」


 ホットケーキを食べながら、お姉さんに聞かれるままに、そんなことをぽつりと答えました。


 お母さんは今は、キッチンに引っ込んでいて、今なら言っても大丈夫な気がしたから。


 「……負けちゃったの?」


 「……はい、学校での正義マンはいじめを止めようとしたけれど、逆にいじめの犯人にされてしまったのです」


 あむ、と口にふくんだ甘さを感じながら、もみもみとホットケーキを飲み込みます。


 「え……?」


 「いじめを見ていた子たちが、バレるのが怖くて、みんなで私が犯人ってことにしたのです。いじめっ子から取り返したどろどろの上履きを私がその日、その子達からとり返して持ってたから、先生も信じました。もんどーむよーという奴ですね」


 ホットケーキは甘いのです。これさえ食べていれば、辛いことはきっとないのです。学校には行けなくなっちゃったとしても。


 「それ………………」


 「でも、私がいかなくなったことで、桧山くんへのいじめは止まったそうです。だっていじめたら、犯人が別にいるってバレちゃいますもんね。わっはっは、正義マンは最後に必ず勝つのです」


 また、私が学校に行けば、いじめは再開されるかもしれません。逆を言えば、私がいない間にいじめが起きれば、犯人が私じゃないって分かってしまうので、絶対にいじめは起こらないのです。


 「でも……正義マンは……それでいいの?」


 おねーさんが、少し心配そうに、私を覗き込んで聞きました。


 私はホットケーキを目一杯口に含んで、わっはっはと笑いました。


 「ほんとは……ちょっとだけ寂しいのです……学校に怖くていけなくなっちゃったので。……お友達とも話せないし、まあでも、正義はすいこーしたのです。きっときっと、いつか何もかもうまくいくのです」



 そんなことは嘘だって知っているけれど。



 だって、正義の味方がちゃんと悪い奴をやっつけるなんて、嘘の話です。



 辛い想いをしていた誰かが、最後にちゃんと笑えるなんて、嘘の話です。



 プリキュアも、アンパンマンも、ウルトラマンも、ポケモンも、ももたろうも、しらゆきひめも。



 ぜんぶ。ぜんぶ、ぜんぶ。ぜんぶぜんぶぜんぶぜんぶぜんぶ。



 嘘の話、なのです。



 ほんとは、そんなのどこにだって、いない、です。



 そんなこと、しって、いるのです。ずっとずっと昔から。



 だから、仕方ないのです。




「お母さんと、お父さんはそれ、知ってるの?」




 私はそっと首を横に振りました。




 「……ばれたら、桧山くんがまたいじめられてしまうのです。私がいじめの犯人になってないときっと、また同じことが起こるのです。だから、言ってはダメなのです」




 「そっか、独りで秘密を守ってるのか。えらいね、正義マンは」




 「でしょう、ふふん! もっとほめていいですよ!」




 「うん、えらすぎ。ちょー、えらいぞ」




 「でしょう! でしょう! ふふん! ふふん!」




 「えらすぎるから、抱きしめちゃお」




 「いえーい! おうちルールその六! 嬉しいことがあったらハグするのです!

ふにゃーーーー!!!」




 「うん、うん、えらすぎる。えらすぎるぞ、正義マン」




 「はい! はーい! えらいです! えらいんです! えっらいんでーす!」




 「うん、えらいよ――――。




 だからね、









 ―――――――。





















 ※




 言えないことが、世の中には一杯あるのです。



 小学生でもそれくらいはわかるのです。



 許してほしいのに、許してもらえないことが、きっといっぱいあるのです。



 笑って欲しいのに、笑うこともできないことが、きっといっぱいあるのです。



 いつか何もかも、うまくいくとか。



 信じていれば、きっと願いは叶うとか。



 正義は必ず勝つなんて、そんなの嘘だって、小学生でもそれくらいはわかるのです。



 ――――でも、信じていたいのです。



 いじめられている子に手を差し伸べたら、きっと喜んでくれるって。



 苦しんでいる人の助けになったら、きっと何もかもうまくいくって。



 公園で、泣きそうな顔をしている、おねーさんに声をかけたら、そこに正義マンがあらわれたら―――。





 きっと―――、きっと笑顔になってくれるって。





 そんな、ちっぽけな嘘を、ずっと、ずっと信じていたかったのです。



 おねーさんが、ありがとうって言って、私のことを抱きしめてくれました。



 だから私もいっぱいいっぱい、ありがとうって言いました。



 私の、こんなどうしようのない嘘を、正義マン―――なんて、どこにもいもしない、誰かを助けるヒーローを、信じてくれてありがとうって。



 きっとね、ホットケーキを食べてみても、おねーさんの弟さんは起きないのです。



 きっとね、いっぱい泣いても、私が学校に行けるようにはならないのです。



 そんなこと知ってるけど、それでも少しでも信じてくれて。



 それが、本当に、本当に、嬉しかったのです。



 私のちっちゃな嘘を信じてくれて。



 それがきっと、どんな救いの言葉より、私はずっとずっと嬉しかったから。



 おうちルール第一じょう、なきたいときはいっぱい泣くのです。



 おかーさんはキッチンからもどってきて、いっぱいいっぱい、泣いている私たちをみて、あらあらと困ったように笑っていました。



 ちっちゃな嘘を信じたまま、それを嘘にしたくないと信じたまま。



 だって、私は正義マンなのですから。きっとすべては最後の最後はうまくいくのです。



 そんな嘘を信じたまま、いっぱいいっぱい泣きました。





 おねーさんと、二人、いっしょに。

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