喫煙少女と正義幼女
キノハタ
喫煙少女と正義幼女
「わたしの名前は、正義マン!」
ある秋の暮れの頃、公園で煙草を独りでくゆらせていたら、突如正義マンがあらわれた。そして正義マンは幼女だった。
「女の場合は正義ウーマンだよ、正義マン」
「じゃあ、正義ウマン!」
私が訂正すると、正義マン、は即座に訂正してきた。間違いをただせるえらい子や。ただ、どっちかというとイントネーションが馬になっちゃってるよ、正義マン。
「おねーさん! タバコはきつえんじょで吸わなくちゃいけないんだよ!」
そして正義マンは私のことをびしっと指さすと、とてつもない正論をぶつけてきた。さすがは正義マン、正しさに容赦がないぜ。
「まあ、確かに」
「むふん」
まだ膨らむ気配すらない胸をむふんと張る正義マン。顔も満足げで、正義の遂行が出来てご満悦だ。しかし、世に悪が蔓延っているのは伊達や酔狂ではないのだよ、正義マン。悪の怪人も反撃はするものだ。
「でも、この公園、喫煙所がそもそもないよ? 正義マン」
というわけで、私がそういうと、正義マンはちょっと片目を開けて私を見ると、うーんと唸りはじめてしまった。あと正義ウマンはやっぱりちょっと語呂が悪いね。
「…………むむむ、困るマン」
そう言って、正義マンは困っていた。いかん、幼女に対して投げる疑問ではなかったかもしれない。ふつーに私が喫煙所あるとこ探せばいいだけだしな、ま、私まともな喫煙所で煙草、吸えんけど。
「というかね、正義マン。そもそも指摘しないといけないのはそこじゃないのだ」
私がそういうと、正義マンははてと不思議そうに首を傾げた。人間って疑問を感じると、そんなにきれいに首って傾くのかってくらいに綺麗に傾げた。
「そもそも、私は高校生なので、煙草を吸ってはいけない人間なのだ!」
せっかくなので、ばばーんと背景音が付きそうなくらい大見得を切ってやった。具体的には、歌舞伎の役者かってくらい見得を切る。ま、私、歌舞伎とか見たこともないけどね。
「な、な、なんだってーーー!!??」
そして正義マンは大層立派なリアクションをしてくれた。まあ、これだけリアクションしてくれれば、こっちも見栄のきりがいがあるってもんだね。
「一生の不覚マン…………」
「難しい言葉しってんね……」
正義マンは意外と語彙が豊富だ。実は育ちがいいのかもしれない。
そして正義マンこと、謎の幼女はとことこと私の隣まで足を進めると、ぽてんと腰を下ろしてきた。いや、なんでそうなる。
「正義マンの、正義失敗」
そう言って、私の隣でぼけーっと黄昏た顔をし始めた。何故、正義執行をしようとした相手の隣で黄昏るのか。そして、あんたは別に負けたわけではないんだよ。ただそこを突っ込むと、結局最後はこの煙草を消される羽目になるので、深くは突っ込まないほうがいいんだろう。
そう想って、同じように遠くをみつめてやり過ごそうとしていたら、程なくして正義マンの視線がじーっとこちらを見始めた。
「煙草おいしい?」
素直でまっすぐな瞳だった。いかにも子どもって感じのそんな瞳。
「さあ、よくわかんない」
別に嘘をついてもよかったけど、めんどくさいので、感じてることをそのまま口にする。幼女相手に嘘をつくほど、立派な体裁の持ち合わせもないしねえ。
そんな私の答えに、正義マンはまた綺麗に首を傾げる。
「おいしくないのにすってるの? なんで?」
一瞬だけ、煙を吸う息が止まった。
じりじりと口の先で小さな炎が燃える匂いがする。
焦げて、焼けて、灰になって消えていくそんな音がただ、していた。
少しだけ、その火の向こうに弟の影がちらついた。
「…………弟がぐれちゃったのだ。なんで、こうやって真似したら、弟の気持ちがわかるかなって」
ま、実際に解かったのは、煙草はうまくもまずくもない、ということだけなんだけど。当方、初の喫煙である。ついでに言うと、学校をさぼったのも初なのだ。自分でいうのもあれだけど、真面目ちゃんだったからねえ。
「おとーとさんがいるのか!」
弟という単語に、正義マンの瞳がなぜかきらきらと輝きだした。輝く要素あるか? そこ。
「正義マン、弟居ないの?」
「ひとりっこ!」
ああ、そうかいって気分と。まあ、そうかもな、という気分が同居して、なんとも奇妙な気分だった。まあ、この性格で、姉とかは少し無理そうだ。と、お姉ちゃん歴十三年の私は想うのだよ。
「ちなみに、年下の子にはやさしくするのが、おかーさんの教え第5じょうです」
そういって、正義マンは胸を張る。まるで、自分に弟でもできたかのようである。しかし残念ながら、私の弟は正義マンより遥かに年上だがな。
しかし変わった子だなあ、と思いながらふむと鼻を鳴らす。そうすると、鼻の穴から煙が出るのが、少しだけ面白い。
「なるほど、ところで、正義マン」
「なんでしょー」
「さっきから何やってんの? 君は」
このやり取りの数秒前から、正義マンは私の隣でベンチの上に立ちあがっていた。そして、私の頭の上でひくひくと鼻を鳴らしている。
「…………たばこっておいしいのかなーって、おすそわけを」
「正義マンなのに? タバコ吸っちゃダメじゃね?」
「……ときにはルールを破る楽しさも味わうものなのだ……これはお父さんるーる第2じょうです」
「随分とフレキシブルだね、正義マン……」
正義マンとか生み出している家庭の割には随分とファンキーな教えだ。お父さんとお母さんで教えの質が全く違うという説もあるが。
「むむ……」
「で、ルールを破った感想は? 正義マン」
「煙い……です」
「だろーね。ちなみに、今君が吸ってるのは副流煙って言って、私が吸ってるのの倍は身体に悪いからね」
「まじでか」
そういうと、正義マンはこほこほと咳をしながら、私の隣に腰を下ろし直した。相変わらず素直というか、なんというか。
「正義マン、吸引中止」
「えらいえらい」
相変わらず難しい言い方知ってんなと思いながら、ノリで頭を撫でてみた。正義マンはご満悦に胸を張っていた。
「で、おねーさんはなんで、たばこすってるの?」
「答えなかったっけ、弟の真似をしてるんだよ」
「おとーとさんも、たばこすってたのか」
その問いに、私は思わずうーんと唸る。
「どうだっけ……」
大概、悪いことしてたからなあ、たばことか当たり前に吸ってるもんだと思ったけれど、実際の所はよく知らない。
「すってないのか……」
「いや、すってはいたけどね」 もっとやばいものを。
私の返答に、正義マンはぐににと首を傾げる。説明が難しいなあ。
「あ―……うちのお父さんとお母さんはね厳しかったの」
「ほう」
「めっちゃ厳しくて、あれしろこれしろ、何かにつけて口出して。もっと賢くなれ、勉強しろ、努力しろ。部活でもいい成績のこせ。まー、とりあえず何かといわれたのさ」
「こえーおやごさんだ」
「そーそー、こえーおやごさんだったんだよ。で、私はなんとか言われた通り、必死こいてそこそこいい学校いったり、勉強したりできてたわけだけど。弟のほうは、そううまくできなかったのだ」
煙の向こうに、バカな弟の顔が少しだけちらついた。
「あたまよくなかったのか。わたしもよくない」
「充分、頭いいよ正義マンは。ていうか、私の弟も頭は悪くなかったよ、むしろ私よりはよっぽど出来が良かった。…………良かったから、親が言ってることがどんだけ馬鹿げてるか気づいちゃったんだろなあ」
なあ、姉ちゃんは、あんな奴らのいいなりに生きててさ、苦しくないの?
そんなことをいつか、言われたっけ。私からしたら、両親のいうことに従うのは当たり前だったから、うまく答えを返せなかった。
「だから弟は親に徹底的に反発した。いわゆるグレちゃってさ、親が折角たかい金を払って入れた学校休んだり、まー、色々としていたのだ」
「ふーん、おかーさんルール3じょうは、しんどい時はやすんでよし! だよ?
」
「いいね、それ。しかしうちのルールじゃ休んじゃダメだった。それにお父さんたちが怒って。で、このまえとうとうね、飲んじゃいけないものを一杯飲んで、おとーとは起きなくなっちゃったのだ。病院のベッドでぐーすかねてて、朝だよってねーちゃんが起こしに行っても目を覚ましてくれないのだ」
口にしながら、少しだけ喉の多くがじわじわと痛むような気がしてた。ほんの少しだけだけど。
「大変マン?」
「うん、大変マン。で、弟が起きなくてさびしーねーちゃんは、おとーとの気持ちが知りたくてたばこを吸っていたのだよ」
ま、弟がこうやって煙草を吸っていたかどうかは結局知らんわけだけどな。
ちと幼女に話すには重かったかと、反省して正義マンを見てみたら。何やらむむむと考え込んでいた。
いや、君が悩むようなことではないのだと、そう言いかけてたら、正義マンはびしっと再びベンチの上で立ち上がった。
それから、ふたたび私の頭の上に顔を持ってくる。
「だから、正義マン、そこ副流煙っていって―――」
そう言いかけたら、ふっと柔らかい物に、頭全体が包み込まれていた。
「おうちルール第1じょう」
?
「なきたいときは、いっぱいなくのです」
…………。
「でないと、ながせなかったなみだがね、こころのなかにずっとのこっちゃうんだって。へばりついたなみだはね、へんなふうになって、まわりのひとをいっぱいきずつけちゃうの。だから、なきたいときは、ちゃんとしっかりなくのです」
……つまり、あれか、これは。
「…………優しいね、正義マン」
慰めされてんのか、幼女に。はは、なんじゃこりゃ。
つまりまあ、あって間もない幼女に慰められる喫煙サボり魔が私なわけだ。
「だーいじょうぶ、べつになきたいわけじゃないからさ」
「おとーとおきてこないのに?」
――――――。
そんな資格もないんだよ「私はわるーいおねえちゃんだからさ」
立派な君とはね、違うんだよ。正義マン。
「おねーちゃんはとししたを護らないといけないのに―――私は護れなかったのだ」
だから、慰められる資格もないのだよ。
だから、今、喉の奥が痛いのも嘘なのだ。
だから、今、声が震えそうになるのも嘘なのだ。
だから、今、息が荒れてるとか、嘘に決まっているんだよ。
「だからね、わたしはね、ないてたりしちゃいけないんだよ」
弟が追い詰められているのは知っていた。
私を引き合いに出して、両親が弟を糾弾しているのも知っていた。
家に帰ってから、ドアの向こうで響く怒号をやり過ごしていたのは、一度や二度じゃなかったんだから。
心のどこかで、糾弾されるのが自分じゃなくてよかったと、胸をなでおろした夜が一体何回あったかもわからない。
「ねえ、正義マンやっぱり、私―――悪役だよ?」
罰せられるのは、どう考えても私の方で。
結局のところ、家族という枠組みの中の、ストレスとか鬱憤とかの歪みの元が、弟って言う一番弱い人間に集約しただけの話なわけで。
それを傍で見ていながら、何もしてこなかった私の方が許されなくて。
手から零れ落ちた煙草は、びっくりするくらいに美味しくなくて。
こんなものを水で溶かしたら、毒になるって、どこで知ったんだかね、そんなこと。やっぱ、私なんかより、頭いいんだよ、あいつは。
私なんかより、ずっと、ずっと。
「おねーちゃん」
「……なに、正義マン」
「ないてるよ?」
「………………」
「ないてる子に悪役もいい役もないんだよ?」
「………………」
「おうちルールその四はね、ないてるこにはやさしくしようなんだよ。自分がないてるとき、やさしくしてほしいから」
「はは……いがいとげんきんじゃん」
「そーなのだ。正義マンは、みんなにやさしくしてほしいから、自分からやさしくするのだ。げんきんなのだ」
「……はは、なに……それ」
「というーわけで、正義マン、正義すいこー」
「ちょ、どこ……いくの」
「ないてるこには、うちのおかーさんのホットケーキがきくのです」
「いや知らん人、かってに家にいれたら……だめでしょ。……学校でならったでしょ」
「ふふふ」
上手く顔が見れない私に、正義マンは、小さな女の子はどこか不敵に笑ってた。
こんな状況で、年上の人間が、意味わかんないくらい取り乱して、泣いちゃってるその横で。なんでそんな顔ができるのか、私にはさっぱりわかんないんだけど。
「ふふふ、お父さんるーる第二じょうを、おわすれれかな? 時にはるーるを破るのも楽しいものなのです。それに泣いてる子を放っておくのは、正義マンてきにはなっしんぐなのです!」
そう言って、正義マンは笑って私の手を引っ張り始めた。
その後、まじで、見知らぬ幼女の家にお邪魔して、まじでホットケーキつくってもらうことになるんだけど。それはまあ、また今度の話だね。
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