第50話 本当に望むもの
全身が白い光に飲み込まれ、自分という存在が光に溶けたような気がした。
思考も、感覚も何もかも、手放し、気づけば気を失っていた。
次に目を開けたとき、目の前には目を潤ませレーナがいた。
いつも以上に、白い顔をして、目の下には彼女らしくない隈ができ、艶やかな髪は見る影もなかった。
「レーナ?」
「心配したのよ!」
そう言って、思いっきり抱きついてきたレーナを、リーネは驚きながらも、抱きしめ返す。珍しく感情を剥き出しにし、しゃくりあげるレーナに面食らいながら、その髪を撫でる。目覚めたばかりだからか、まだ薄い靄がかかったようで、頭が上手く働かない。
そのあと、やってきたマルクやルーカスから大まかな事情を聞き、なんとか飲み込んだが、どうやら魔王城から帰ってきて三日間眠り通しだったらしい。その間、レーナがほぼ寝ずの看病をしたと。
魔王城に乗り込んできた経緯もざっくりと説明してもらった。
妹が帰って来ないと取り乱したレーナに泣きつかれ、急いで周囲を捜索。その途中、酒場にいたエーヴァルトを見つけ連れ帰り、数日間は手探り状態で探し回った。けれど、目撃情報などが一切なく、お手上げ状態。そこへ、突如現れた吟遊詩人が情報提供してくれたそうだ。しかも、転移魔法という超高等魔法を使い、全員を魔王城に転移させるという手厚いサポート付き。そこからはリーネの知る通りだ。
一方リーネの方の事情は聞かれなかった。取り交わされた会話から何かと察してくれたらしい。
「えっと……その、ありがとうございます」
ぺこりと頭を下げると、マルクもルーカスもにっこり微笑んでくれた。
エーヴァルトがいないことが気にかかったが、正直どんな顔をすれば良いかまだわからず、敢えて訊ねなかった。
それから数日。
以前と同じような日々が始まった。つまり、マルクの館でのお客様生活だ。
確かに、すっかり看病疲れして倒れてしまったレーナを新たな旅に連れ出すのは困難だったし、血の誓約を果たす為の道のりを考えれば、容易に動くことなどできなかった。
魔王城から帰還して以来、エーヴァルトとはぎこちないままだ。
そんなある日の夕食後、自室に戻ったリーネは、灯りもともさず、細く開けた窓の傍に椅子を置き、ゆったり背凭れに体を預け、夜空を見上げていた。
誘拐という恐怖体験の後なので、バルコニーに出ることも、窓を全開に開けることも憚られた。
草むらの虫たちが鳴く声を音楽にして、散らばった星々をぼーっと眺める。
そのとき、バルコニーに気配を感じ、息をつめ、さっと窓の外に視線を走らせた。
明らかに人影がある。
以前、吟遊詩人と対面したときに、弱った蛾がいたあたりに。
影は、小柄だった。
本来、恐怖を感じずにはいられない状況下であるのに、なぜかリーネは落ち着いていた。
人影が、一歩踏み出す。
「息災か?」
少年の声がした。
「君に、これを渡さねばと思って」
少年は照れたように、おずおずと片手を差し出してきた。
その手は軽く握られている。
「クリスティーネ……いや、リーネと呼ぶべきだな」
クリスティーネと呼ばれ、リーネは相手が誰なのかわかった。
けれど、リーネの思い浮かべるその人は、自分よりもはるかに背の高い青年だったはず。
「ラインハルト?」
少年はこくりと頷くと、ゆっくりと歩いて来て、リーネのすぐ目の前で止まった。
リーネの胸のあたりまでしかない背丈だが、その黒髪も、漆黒の瞳も、美しい顔立ちも、ラインハルトそのものだ。ずいぶん幼いが。リーネは窓に手を掛け、隙間を広げる。
「どうやってここに?」
目を丸くして問うと、ラインハルトは大人びた微笑みを浮かべた。
「方法などいくらでも。それより、これを」
ラインハルトは小さな手を開いた。
そこには、掌いっぱいの蒼い雫型の石が乗っていた。深い青は、ラピスラズリを思わせる。
「まさか……」
思わず口に手を当て、ラインハルトを見ると、彼は漆黒の瞳をきらりと光らせた。
「そう、これが蒼きリントヴルムの涙だ。エラに手を借りた。心配いらない。傷は塞がっている。だが——」
ラインハルトは少しだけ顔を傾け、腕を広げて見せる。その顔には苦笑いが浮かんでいた。
「子供になった」
「じゃあ、石を切り離したから、幼く?」
「ああ、そうらしい。私も想像していなかった」
困ったように笑うラインハルトに、リーネは手を伸ばし、その頭を優しく撫でる。
「ごめんなさい、私のせいです」
しばらく黙って撫でられていたラインハルトは、おもむろに頭上のリーネの手首を掴み、強引に下ろさせる。そして、丁寧に掌を開かせると、その上に蒼い石を置いた。
「案ずることはない。いずれ成長する」
リーネは掌に収まった蒼きリントヴルムの涙に目を落とす。
ひんやりとしていて、見た目と反してずしりと重い。少しの間、黙って眺めていたが、はたと取引のことを思い出し、顔を上げる。
「あ、あの、これをもらったら、私——」
言い掛けると、細い腕が伸びてきて、リーネの唇の前に人差し指を押し付けた。
「ウルリヒの命を奪った。あの約束はなしだ」
「で、でも」
「だが、君はこの石に縛られているのだろう? エラに調べさせた。君は、蒼き勇者の末裔と血の誓約を交したらしいな。君を自由にしたい。あの男との繋がりを、そのままにしておきたくはない。だから、受け取ってほしい」
また大人びた笑みを浮かべ、ラインハルトは腕を下ろした。
「ただし」
「ただ……し?」
「私は君の傍にいさせてほしい。子供姿なら、ここに入り込んでいてもばれまい?」
「え、えっと……それはつまり?」
話の流れに戸惑い、目を瞬いていると、後方でがたりと音がして、反射的に振り返る。
「⁉」
寝台の下から何かが転がり出てきて、もぞもぞと立ち上がる。
窓から入る僅かな星明りで見えたのは、エーヴァルトだった。
「エーヴァルトさん⁉」
夕食時に姿が見えず、外出しているとばかり思っていたエーヴァルトが寝台の下から現れ、リーネは口をパクパクとさせ、エーヴァルトを凝視する。
埃を払うように衣服を払ったエーヴァルトは、つかつかと窓辺にやってきて、リーネの隣に立つ。
「却下!」
自分の背の半分もないラインハルトを見下ろして、エーヴァルトが言い放つ。
「君の許可は求めていないが?」
「お前は大人しく世界征服でもしていろ」
睨み合う二人に、リーネは戸惑う。どちらの味方をすればいいのか。
「え、えっと? エーヴァルトさん? 何を仰って——」
「世界征服? 君もずいぶん古風なのだな。悪いが、私にはその予定はない」
「え? ラインハルトにはそのつもりがない? わ、わあー? じゃ、じゃあ、復活の魔王には全く危険性がない⁉」
「では、何のために復活した」
深海色の冷ややかな眼差しを受けているのに、対する漆黒の瞳がふっと和らいだ。
「決まっている。永久に彼女を愛するためだ」
しんと静まり返った直後、また部屋の中からガサガサと音がする。
今度はクローゼットだ。
三人の視線が壁際のクローゼットに注がれる。
すると、ぱかりと扉が開き、中からドレスを被ったマルクのご登場で、リーネは絶句する。
「滞在許可を取るなら、私だと思うけれど? 復活の魔王ラインハルト……くん?」
夕食時、用事があるので先にお暇するよとにこやかに退出したマルクが、思わぬところから現れて、もう何を言うのが正解なのかわからない。
頭に乗ったドレスの皺をご丁寧に伸ばしてから元の位置に戻し、パタンと扉を閉めてから、優雅に窓辺にやって来る。そしてにこやかながら、どこか威圧感のある視線を、ラインハルトとエーヴァルトに向けた。
「仲間に入れてくれるかい?」
睨み合う三人に、リーネはおろおろしてしまう。
そこへ、大きな音と共に開かれたのは、部屋の扉だ。
「レーナ⁉ ルーカス様⁉」
ずかずかと踏み込んできた鬼の形相のレーナは、睨み合う三人からリーネを庇うように立ちはだかる。その後ろから、面白そうな顔をするルーカスがマイペースに歩いてきた。
「もう‼ どんどんいけ好かない男たちが集まって来る‼」
「こりゃあ、面白……大変なことになってきましたね⁉ どうします⁉ リーネさん‼」
一気に人の増えた薄がりの室内で、リーネに向けられるのは様々な視線。
それを受け止めきれず、掌を見せ、ぶんぶんと振る。
「えっと、わ、私——」
そのとき、つい視線を泳がせ、窓の外を向いたリーネの目に、蛍がふわりと横切るのが見えた。
————貴女は何を望んだのです?
ふいに吟遊詩人のそんな声が耳に届いた気がした。
まるで、頭の中で響くかのように。
リーネは改めて、みんなの顔を見回す。
興味津々と目を輝かせるルーカス。
怒りを抑えきれず、険しい顔をしたレーナ。
優雅に微笑むのに、目の奥に怪しい光を湛えるマルク。
魔王とは思えない優し気な微笑みを浮かべるラインハルト。
そして——眉を寄せ、不機嫌そうなエーヴァルト。
深呼吸してから、口を開く。
「あの、私は——」
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