第48話 裂かれる想い

 そのとき、がしりと腕が取られ、そのままぐいっと強く引かれた。

 だが、リーネはラインハルトの腕の中だ。ラインハルトの手ではない。

 薄く目を開けるも、先が見通せない。光の壁を、その腕だけが突き出されているように見える。ラインハルトの腕は、リーネの腰に回され、もう片方は光から目元を守るように顔の前に置かれている。

 相手の姿は見えない。けれど、ひりつくほど熱く感じる温かな手に、その力強さに覚えがある。

 徐々に目が慣れると、思った通り、エーヴァルトの姿があった。

 心を射抜くような強烈な眼差しが、リーネをまっすぐ注がれている。


「行くぞ」


 心に差し込んでくる深海色の瞳の放つ光に、ぐらっと傾きそうになる。

 けれど、迷いを振り切るように、リーネは首をぶんぶん振った。

 行くわけにはいかない。

 だって、リーネは決めたのだ。ラインハルトと契りを結び、蒼きリントヴルムの涙を手に入れると。そして、それをエーヴァルトに渡して、心に重荷を下ろすのだと。それに、ラインハルトを悲しませたくない。

 

 だから、エーヴァルトを拒絶しようと思うのに、涙がじわりと込み上げてくる。

 この体温に寄り添って、水の流れに身を任せるように、どこまでも流れていけたらどんなに良いだろう。


(でもっ——)


 ラインハルトが、エーヴァルトの姿を認め、目を見開く。

 エーヴァルトの手が、リーネの腕に伸ばされているのを見ると、愕然としたように息を呑んだ。けれど、それも一瞬のこと。すぐにリーネの体を引き寄せ、エーヴァルトから引きはがそうとした。


「連れて行かせはしないっ、絶対に」


 ラインハルトは目を眇め、エーヴァルトを見ている。

 どこか痛みを堪えるような表情に、見上げていたリーネは目を伏せる。


(彼を傷つけるの?)


 ラインハルトの申し出を受けたのは自分だ。

 今ここでエーヴァルトの手を取れば、ラインハルトを傷つけることになる。

 千年前、彼は十分傷ついた。否、千年間ずっと。

 いくら復活の魔王といえど、彼の記憶は千年前に君臨した魔王と同じだ。


(私がクリスティーネなら、もう二度とこの人を傷つけられない)

 

 きっと、クリスティーネなら、魔王と共にいる道を選んだはずだ。

 リーネは空いた方の手で、エーヴァルトの伸ばされた手に自分の手を重ねる。

 その仕草に、ラインハルトはぎょっとし、エーヴァルトは軽く見張った。

 だが、リーネがその手を引きはがそうとしていると悟ると、エーヴァルトの顔は険しくなっていく。


「ごめんなさい、私——」


「手放すくらいなら、誇りなど捨てる!」


「……?」


「過去などどうだっていい。俺に未来を歩かせろ」


 深海色の瞳に、今まで以上に強い光が宿り、リーネの心を大きく揺さぶった。

 エーヴァルトの放つ言葉の意味が、全く呑み込めないのに、なぜか自分にとって重要な意味があるような気がして、彼の言葉を何度も胸の内で反芻する。

 そのとき、ふいにラインハルトの腕が弛んだ。

 不思議に思って顔を上げると、顔面蒼白で、冷や汗を浮かべている。


「ラインハルト……?」


 彼はもう一度、腰に回した手に力を入れようとするが、脱力したように下に落ちる。

 そして、背中を丸め、一歩、二歩と下がると、よろけるように膝をついた。

 俯いて、苦し気に肩で息をしている。

 明らかに様子がおかしい。


「大丈夫ですかっ⁉」


 リーネはすかさず駆け寄ろうとするが、背後からエーヴァルトの腕がリーネの腰に回り、がっしりと囲った。すぐ顔を上げ、エーヴァルトを見る。


「放してくださいっ! ラインハルトが‼」


「心配には及びませんよ! 聖なる光も混ぜたので、その影響だと思います! なんたって、彼は闇を統べる者ですもんね!」


 そんな声がすぐ近くから聞こえた。

 横を見ると、いつの間に来たのか、ルーカスが得意げに鼻の下を指で掻いている。


「光から離れて、しばらく安静にしていれば、一刻もしないうちに回復しますから問題なしです。さあさあ、早く早く! 時間には限りがありますよ」


そう言うか早いか、ルーカスは踵を返し、背後にある光の壁に駆け込んだ。


「だ、そうだ」


 エーヴァルトの声が降って来る。

 意味が分からず、戸惑いながらも、どうにか腕を振り切って、蹲るラインハルトの元に走り寄ろうとしたが、エーヴァルトは今まで以上にリーネを強く抱きしめる。彼の頬が、リーネの頭に押し付けられたのを感じ、息が苦しくなる。


「掴まれ」


 瞬間、エーヴァルトが後ろに跳躍した。

 足が石床を離れ、体が宙に浮く。

 背後に光が迫る。

 いきなりの強行に、リーネは抗議する間もない。

 けれど、視線だけは、力なく顔を上げるラインハルトを捉えた。


「——」


 口元が動くが、聞き取れない。

 リーネもとっさに何か言おうとしたが、すぐさま視界が真っ白になり、全身が光に溶けた。


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