第46話 金色の勇者

 言い合いを始めたマルクとルーカスに、今まで黙って成り行きを眺めていたラインハルトが形の良い眉を寄せ、すっと目を細める。


「バーゼル——金色こんじきの勇者か」


 ぴたりと言い合いを止めた二人が、神妙な顔でラインハルトに目を向ける。

 エーヴァルトが蒼き勇者の末裔であるのと同じく、バーゼル侯爵家は、金色の勇者と呼ばれた千年前に魔王討伐に参加した勇者の末裔なのだ。

 

 そう思えば、この対峙はかなり危険なものに違いない。

 かつて魔王を倒した勇者の末裔と、その魔王の息子ともいうべき復活の魔王が顔を合わせているのだ。

 リーネは後ずさる。

 そして、さっと背中を向け、ラインハルトの元へ走り出した。

 隙を突かれた三人は咄嗟に動けず、それより先にリーネを迎えるために動いたラインハルトが、ドレスを翻しながら駆けてくるリーネを抱き留めた。

 

 戦わせてはいけない。誰の血も見たくないから。

 みんな大事な人だから。


リーネはラインハルトの腕の中で向きを変え、エーヴァルトたちに向き直る。自分でも、何をしているのかわからなかった。


「お前、何を考えて……」


「その青髪の男は、さしずめ、蒼き勇者といったところか。クリスティーネの所有権を主張しているところから見ても、その容貌からしても、そうとしか思えない」


 リーネを腕の中に収め余裕ができたのか、どこか楽し気なラインハルトに、エーヴァルトは眼光を閃かせる。


「クリスティーネだと? どこにクリスティーネがいる?」


 苛立たし気な声音に、ラインハルトは軽く笑う。


「ここにいるが?」


 ラインハルトはリーネの体に回す腕に力を入れ、強引に抱き寄せた

 薔薇の香りが舞い上がる。

 リーネは身を強張らせ、ちらりとラインハルトを見上げる。いつもと違うラインハルトに、わずかに恐怖を抱いた。


 エーヴァルトがさっと殺気をたぎらせ、腰を落とすと、マントの下に手を入れ、腰に佩いた剣の柄に手を掛ける。


「そいつは、リーネだ。クリスティーネじゃない」


「いや、彼女はクリスティーネだ。私にはわかる」


「それってつまり、生まれ変わりってことですかぁ⁉」


 すっとんきょうな声が上がり、ラインハルトは眉を不快げに寄せ、エーヴァルトは苛立たし気に、自分の脇にいるルーカスをギロリ睨みつける。だが、ルーカスはどこ吹く風で、目を丸くして、きょろきょろと顔を動かし、そこにいる全員に目を向けている。


「とどのつまり、リーネさんがクリスティーネの生まれ変わり‼ って、ことですよね⁉ こりゃあ、すごいっ‼ すごいですよ、兄上‼ 何で、彼はそれがわかったのでしょう⁉ 僕も、クリスティーネみたいだなぁ! なんて考えていましたけど、生まれ変わりだとは考えませんでしたっ‼ いやぁ、僕の直感も捨てたものじゃないなぁ! そう思いません⁉ 兄上‼」


 と、興奮気味に捲し立て、エーヴァルトの正面に、ひょっこりと身を乗り出し、マルクを窺い見た。マルクは苦笑しながら、弟の頭に手を伸ばし、ぐしゃぐしゃと掻き混ぜる。もとから癖のあった灰色の髪が鳥の巣状態になった。


「いい子だな、ルーカス。でも、今は少し黙っていようか?」


 マルクの瞳は笑っておらず、その声音も聞く者をひやりとさせる剣呑な響きを孕んでいた。ルーカスはマルクの目を見て、一瞬動きを止めてから、こくりと頷いたが、そのあとも懲りずにひとりぶつぶつとまだ独白を続けている。そのうち、しゃがみ込んで一人の世界に入り込んでしまった。ルーカスが完全に会話から離脱したのを見届けてから、マルクは静かな眼差しをラインハルトに向けた。


「君は——千年前に存在した魔王だと、考えて良いのかな?」


「そうだとも言えるし、そうではないとも言える」


 淡々とした答えに、「そうか」と頷きながら、マルクはエーヴァルトをちらりと見、それから再びラインハルトに視線を戻す。


「彼女を、クリスティーネだと?」


「そうだ。クリスティーネの香りならわかる」


「へぇ……香りねぇ」


 およそ彼らしくない小馬鹿にしたような相槌に、リーネは驚いた。

 いつも高潔で、礼儀正しい彼とは思えない態度だ。

 マルクは、その端正な顔に不釣り合いなほどの歪んだ笑みを浮かべた。


「君は勘違いしているようだから、一応教えてあげるけれど。エーヴァルトが言いたいのは、聖女の生まれ変わりの真偽についてじゃないよ?」


「では、何だと?」


「前世がどうであろうと、今ここにいる可憐な女性は、リーネだ。クリスティーネという名ではないんだよ。過去の名で呼ぶなど、失礼だと思わないかい?」


 ラインハルトははっとしたように息をつめ、まじまじとリーネを見下ろした。

 リーネ自身、その言葉に軽い衝撃を受けていた。

 出会った日から今日まで、ラインハルトに「リーネ」と呼ばれたことはない。それはわかっていたし、受け入れていた。けれど、そのことに不快感を一度たりとも抱かなった自分に驚く。他人である、エーヴァルトやマルクが違和感を指摘しているというのに。


「そんな失礼な態度をとり続けていること自体が不愉快なのだけれど、それ以上に、彼女の気持ちを全く汲んでいない婚姻に及んでいるということが何より許せない」

 

 マルクはわざとらしくため息をつくと、エーヴァルトの隣り合う位置までゆっくりと歩みを進めた。

 そして、隣に並び立つと、顎に手を当て、小首を傾げるようにする。


「それから、クリスティーネとリーネを混同するな。私も、かつてクリスティーネを愛していた。けれど、今はリーネとして好ましく想っている」


 顔は微笑みを湛えるような柔和な表情だが、その口調は刺々しく、冷たい。

 リーネは驚いて、片方の口角だけを上げて皮肉気な笑みを浮かべるマルクを見つめる。

 目の前のマルクは、リーネの思っていたマルクという人物とは印象を異にするように見えた。貴族然としているのに、身分などに囚われず、分け隔てなく温かな態度で接する彼は、こんな皮肉気な笑みを浮かべるはずがない。いつだって、高貴さを纏い、気高くあろうとする人だ。


(それに——今なんて?)


 今マルクは、予想だにしない言葉を口にしなかったか。


(かつて、クリスティーネを愛して、いた?)


 マルクやルーカスが、千年前に生きた伝説の聖女クリスティーネに子供心に憧れていたという話は、以前耳にしたことがある。だから、単純に、聖女クリスティーネを愛していたという風にもとれる。

 だが、前世今世と込み入った話をしている今、マルクまでもが前世の話をしているように感じてしまう。

 そのとき、しゃがみ込みひっそりと独り言ちていたルーカスが、すっくと立ち上がった。

 その目は、大きく見開かれ、らんらんと輝いている。


「まさか! 兄上までもが、伝説の聖女クリスティーネと同時代を生きていたなんて言い出しませんよね⁉ そうなら、すっごく興味深いですが‼ でも、血を分けた、気心を知り尽くしたこの弟に、一度だってそんな話をしてくれたことがない‼ もしや、リーネさんの気を引くために、あることないこと作ってるじゃないですよね⁉ 兄上ともあろう人がっ⁉」


 張り詰めたような空気が、ルーカスが口を開くと、とたんに和んだものに変わるから不思議だ。深刻に考えこんでいたリーネでさえ、気が抜けたようになる。

 それはマルクも同じなのか、先程までの彼らしくない表情はさっと消え失せ、今や苦笑いを浮かべ、額に手を当てて、俯いている。


 エーヴァルトも、柄から手を放し、迷惑そうな顔を背け、深いため息をついた。

 眉を顰めたラインハルトだけは、まだ緊張を解いていない。


「ルーカス、ちょっと黙っていてくれないか?」


 マルクが半ば懇願するように言うも、ルーカスは「兄上、ちゃんと説明して下さい!」とマルクの正面に立ち、彼の肩に両手を置くと、前後に揺さぶって、その顔を覗き込もうとしている。


「愛など戯れにすぎぬと言い放ったのは、どこの誰だったか。私はよく覚えている。金色の勇者、お前は確かにそう言った」


 二人の様子に冷たい眼差しを向けながら、ラインハルトはリーネの腰に回した腕に更に力を込めた。

 肩に乗るルーカスの手を解きつつ、マルクはラインハルトを見つめ、口元だけ緩める。


「そのお前が、クリスティーネを愛していた? 笑わせてくれる。彼女が命を落としたと聞いても、眉一つ動かさなかった男が」


「既に知っていたからだ。彼女さえ傍に居れば、大規模な虐殺など始めなかっただろう?」


 視線を絡め、睨み合うふたりは、復活の魔王とマルクという立場ではなく、魔王と金色の勇者として対峙しているように見えた。


「昔からお前は好かない」


 子供の獣が威嚇するかのように、ラインハルトは唸る。

 一方、マルクは優位に立ったような、余裕の笑みを浮かべ、ラインハルトと視線を戦わせている。


「あ、兄上……」


 戸惑いと、怯えの浮かぶ瞳で、ルーカスは兄であるマルクに声を掛けた。


「いつからなんです? いつ、過去の記憶を?」


 さっきまでの捲し立てるような話し方ではなく、囁くような声音が響く。

 マルクは弟に目を向け、安心させるよう優しく肩を叩いた。


「リーネが来てからだよ。私は、バーゼル侯爵家の祖である、金色の勇者だった者だ」

 

 ルーカスは息を呑んで、自分たちの祖先である、伝説の勇者だと名乗った兄の姿を、どこか眩しそうに見つめた。



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