第45話 帰る場所
信じられないものを見るような顔をした三人の姿を眺める。改めて見れば、衣服もマントもずぶぬれで、更には薄汚れ、切り傷だらけだ。
彼らはどうやってここまで来たんだろう。
どうして来てくれたんだろう。
リーネは、彼らに助けに来てもらうような関係性にない。その価値も。
次々と生まれる疑問をそのまま泳がせながら、リーネはエーヴァルトの顔を見た。
ふいに、視線が交わる。彼の目に、戸惑いが見えた。
(何で来てくれたんですか? もう怒っていませんか?)
最後に見たのは、リーネを拒絶し、怒りで燃える後ろ姿だった。
あれからわずかだが時は経った。けれど、二人の間にできた亀裂を修復するような事柄は何一つとして起こらなかった。あのまま、リーネの元を去ってしまうかに見えた彼が、どうして今、ここにいるのだろう。リーネを行かせまいとするのだろう。
エーヴァルトの心が見えない。どんなに見つめても、その心がわからない。
リーネの目線を避けるように目を逸らし、エーヴァルトはラインハルトを睨み据える。
(蒼きリントヴルムの涙のため……?)
きっと、そうだ。
エーヴァルトは、リーネの話を信じ切れなかったものの、一縷の望みに掛けることにしたのだ。
それならば、リーネの取る道はひとつしかない。
ウルリヒの裏切りという突拍子もないことが起きたから目的を見失ってしまったけれど。
だが、その道はラインハルトに苦痛を強いるものだ。
時間があればどうだろう。ラインハルトに相談し、苦痛のないやり方で取り出す方法が見つかるかもしれない。
しばし、逡巡したのち、リーネはエーヴァルトを見つめた。
軽く目を見張るエーヴァルトと、その背後で意味深に目配せし合うマルクとルーカスがいる。リーネは息を吸い込んでから、口を開いた。
「私、これからラインハルトと結婚するんです」
わずかに震える声が、礼拝堂に響き渡る。
足が竦み、怖気づきそうになりながらも、言葉を続ける。
「婚姻の贈り物として、蒼きリントヴルムの涙をいただくことになっています」
いち早く、このことをエーヴァルトに伝えたかった。
自分がここに残る理由を。
ラインハルトに妙に思われようと、この事実を知ってもらって、安心してほしかった。
そうすれば、彼の心は軽くなるはずだ。
エーヴァルトが息を呑み、目を見開くのが見えた。
(良かった、伝わった)
今度は困惑顔で顔を見合わせるバーゼル家のうるわしの兄弟たちに目を向ける。
リーネは申し訳なさが募った。彼らには何ら関わりのない話だ。自分の屋敷から人が攫われたからという理由で、責任感から捜索してくれていたに違いない。
「マルク様、ルーカス様、ここまで来てくださったのに、すみません。でも、私は大丈夫ですから」
リーネは、口角を上げて微笑んだ。
けれど、上手く笑えず、顔が強張って、引き攣った笑みになっている気がした。
沈黙が訪れ、屋根や壁に激しく打ちつける雨音が聞こえる。
「笑わせるな‼」
だが、答えたのは、鋭い眼差しでリーネを見つめる、エーヴァルトだった。
苛烈な眼光を向けられ、冷たい刃物を心臓に突き付けられたような心地がした。
顔が歪みそうになり、必死で堪える。
鼻の奥がつんとして、目頭が熱くなる。
彼の視線を受け止めきれず、俯いて、涙を堪えていると、ややして、静かな声音が耳に届く。
「お前は、俺のものだろう?」
怒気を含んだ空気が和らいだのを感じ、リーネは自然と顔を上げる。
エーヴァルトは困ったように眉を寄せ、窺うようにこちらを見ていた。
「最初にそう言ったはずだ」
リーネは目を瞬かせる。
「婚姻が許されるとでも? それに——これ以上、犠牲など払う気はない」
エーヴァルトがリーネの前に手を伸ばした。
「帰るぞ」
「帰る……?」
「来い」
「どこへ?」
エーヴァルトの顔と、伸ばされた厚い手を交互に見、リーネはふと疑問を口にする。
「どこへって……」
エーヴァルトの顔がみるみるうちに不機嫌そのものに変わる。
なぜ、そんなことを聞くのかという気持ちが顔面に張り付いている。
伸ばした手を下ろし、黙りこくったエーヴァルトに助け舟を出すように、彼の脇からひょっこりとルーカスが顔を出した。
「どこって、我らがバーゼル領ですよ、リーネさん‼」
「そうだよ、君の部屋はまだそのままだ。君のお姉さんも帰りを待っている。僕のところに帰ってきてほしいな」
ルーカスの反対側から進み出て、エーヴァルトの隣に並びながら、マルクが魅力的な微笑みを浮かべる。
「兄上、僕のところとか、不埒な発言ですよ‼ エーヴァルトさんも大概ですけど!」
「ルーカス、いちいち水を注すな」
「兄上こそ、ことあるごとに、リーネさんに色目を使うのは止めて下さい! 穢れます!」
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