第30話 決裂

 そうこうしているうちに、従者が時間を告げ、マルクとルーカスは名残惜しそうな顔をしながら、城へと引き返して行った。

 比較的人通りの少ない小さめの広場にぽつんと残されたのは、リーネとエーヴァルトの二人。

 

 マルクに従者を一人置いて行こうかと提案されたのだが、断った。

 貴人にとっては、従者を連れているのは当たり前なのだろうが、平民であるリーネにとってはそうではない。それに、誰かを連れ回していると思えば、気軽に祭りを楽しめない。


「えーと……エーヴァルトさんは見たいものなどありますか?」


 リーネが仰ぎ見れば、エーヴァルトは無表情で通りを眺めている。


(エーヴァルトさんと二人きりになるのって、裏庭以来……?)


 あのとき、つい泣いてしまったリーネの涙を、エーヴァルトはぎこちないながらも拭ってくれた。その時のことを思い出し、リーネはかっと顔を赤らめる。


「お前は?」


突然問われ、リーネは肩をびくりと揺らす。


「わ、私……?」


 ぐるりと通りを見渡す。

 広場から伸びるのは、歩きながら食せるような物を売る食品通りと、各地から集められた刺繍を施した布地の並ぶ通り、意匠を凝らしたランプなどが置かれている通りが見える。

 リーネの目は自然と食品通りに固定される。

 通りの入り口付近に幕を張るのは、炙ってこんがり焼き色を付けた骨付き肉を売る店だ。

 遠くからでも、煙と、何とも言えない香ばしい香りが漂ってくる。

 

 返事をするのも忘れ、焼けた肉に釘付けになっていたリーネは、ふいに視線を感じ、隣を見る。呆れたような表情を浮かべるエーヴァルトと目が合った。


「空腹のようだな」


 恥ずかしくなって視線を逸らすと、さっと手を引かれる。

 驚いて顔を上げれば、エーヴァルトの手ががっしりリーネの腕を掴んでいた。

 問うように視線を向けると、エーヴァルトは視線を逸らし、ぎこちない仕草で握り締める。

 呆気にとられ、その手に目を落とす。

 節くれだった大きな手が、一回り小さなリーネの手をすっぽり包み込んでいる。

 湿り気を帯びた熱い体温が、指先などからじわりと伝わって来る。


(えっと、なぜ、手を……?)

 

 手を繋いでいると思い当たった瞬間、リーネはかっと顔に血が上るのを感じた。

 心臓が早鐘を打ち始める。

 とっさに手を引こうとしたが、その前に、腕を引っ張られた。

 エーヴァルトが食品通りに向かって歩き始めたのだ。

 たたらを踏みつつ、どうにか体勢を立て直し、エーヴァルトの背を見ながら足を動かす。


(これは、どういう……)

 

 なぜ、エーヴァルトは突然手を取ったのだろう。

 今まで、彼と手を握って歩いたことなどない。それどころか、レーナとだって、近年手を繋ぐことなんてなかった。ましてや、男性と手を繋いだ経験など皆無だ。

 戸惑いと動揺とで、頭が混乱してしまう。


「エーヴァルトさん」

 

 ずんずん進んでいくエーヴァルトに、必死に歩調を合わせながら、どうにか背に声を掛ける。けれど、聞こえているはずのエーヴァルトは振り向きもしない。いくら祝祭でどこもかしこも賑やかだといっても、傍に居る人間の声が聞こえないほどではない。


「エーヴァルトさん!」


「迷子になられたら困る」

 

 ぼそりと落とされた声に、リーネは目を丸くした。

 はぐれないように、手を繋いだというのか。それではまるきり子ども扱いではないか。

 複雑な感情が湧き、自然と眉が寄る。

 これは不服を表明しなくてはと口を開きかけたとき、エーヴァルトが前触れなく立ち止まったせいで、彼の背中にしたたか顔を打ちつける。


「っ……!」

 

 一番被害のあった鼻頭がじんと痛む。

 空いている方の手で擦っていると、エーヴァルトが肩越しに振り向く。


「これでいいんだな?」


「?」


「この肉だ」

 

 エーヴァルトが顎でしゃくる先を、顔をずらして見れば、リーネが先程見ていた骨付きの炙り肉だった。食欲を刺激する香りがすぐ目の前から立ち上って、リーネは自然と目を輝かせていた。





「さすが、バーゼル侯爵家のパレードは華やかでしたね」


 賑わう祝祭から少し離れた小さな噴水広場の、木製の長椅子にリーネは腰を下ろし、すぐ脇にある木の幹に背を預け、腕を組むエーヴァルトの方へ顔を向ける。

 少し前に、マルクたち侯爵家の面々を乗せた馬車が大通りをゆったり進んでいく姿を、遠目から眺めた二人は今、街の隅に設けられた噴水と木立のある広場に移動していた。

 

 近隣の住民は皆、祝祭で盛り上がる大通りに繰り出しているらしく、祭りと思えないほど静かだった。遠くから、楽器の演奏や人々のさざめきはかすかに聞こえてはくるが、ひどく遠い。


「貴族というのは、派手なのが好きだからな」

 

 うんざりしたように答えるエーヴァルトに、リーネは押し黙る。

 初代バーゼル侯爵は、魔王と戦った功績により、国王から爵位を授かった。

元は、平民だったという。

 エーヴァルトの先祖であるリッター侯爵家も同じだ。魔王との戦いを認められ、爵位を授かり、貴族になった。


(同じように爵位をもらったのに、バーゼル家は今も栄え、エーヴァルトさんのリッター家は没落した……もしかしたら、複雑な思いがあるのかも)


 千年前、魔王討伐の為に立ち上がった勇者の末裔。

 その意味では、マルクやルーカスと、エーヴァルトは並ぶ存在だ。

 けれど、今では——

 

 何も言わないのを不審に思ったのか、エーヴァルトがリーネに目を向ける。


「何だ?」


「いいえ! なんでもないです」

 

 笑ってごまかし、リーネは膝の上の手に視線を落とす。


(一族の宝を取り戻したいということは、一族に誇りを持っているということ)

 

 胸にさっと影が差す。

 蒼きリントヴルムの涙は、千年前にユリウス・リッターが魔王討伐の際、力を授けてくれた蒼きリントヴルムからもらったものだという。魔王との戦いが終わった後も、リッター家はそれを家宝のようにして大切にしていたらしい。


(そろそろ、本当のことを言わなくちゃ……)

 

 すっと先延ばしにしてきたが、いつまでも話さないわけにはいかない。

 リーネは目を瞑ると、背筋を伸ばし、呼吸を整える。

 緊張のあまり、噴き出した汗で手先が冷え、小刻みに震えてしまうが、ぎゅっと握り合わせる。


(全部が嘘じゃない。大丈夫。エーヴァルトさんはこんなことじゃ、怒らない)

 

 自らにそう言い聞かせ、リーネは決意を込めて瞼を持ち上げた。

 そして、隣に立つエーヴァルトに神妙な顔を向ける。


「あの、エーヴァルトさん」

 

 堅い声音に、エーヴァルトが頭上で歌う小鳥に向けていた視線を、リーネに落とす。

 目が合うと、心臓がどくどくどくと早くなり、喉が張り付いてしまう。

 どうにか唾を飲み込み、再び口を開いた。


「あの、蒼きリントヴルムの涙の在処のことなのですが……」

 

 エーヴァルトは組んでいた腕を解き、わずかにふいを突かれたというように眉を上げてから、リーネに体ごと向き直った。


「あの、ですね。実は……今すぐに手に入るものじゃないんです」

 

 急に静かになった気がした。

 エーヴァルトは感情の読み取れない表情を浮かべ、じっとリーネを見下ろしてくる。

 自然、握り締める指先に力が入る。


「魔王が……魔王が復活して、その魔王と倒したときに手に入るものなんです」

 

 ためらうように言って、リーネは目を伏せる。


「魔王……だと?」

 

 くぐもった声が吐き出される。

 リーネは息を呑み、俯いた。エーヴァルトの表情を見るのが怖かった。


「魔王は千年前に滅んだ。その魔王が復活するだと?」

 

 低い声で問われ、リーネは身を強張らせる。エーヴァルトは明らかに気が立っている。


「今、各地の魔物たちは活発化していると聞きますよね。それは、魔王が復活する兆しなんです。だから、もう間もなく、魔王は復活する。その魔王を討伐するとき、蒼きリントヴルムの涙は落とされます。だから、私たちは……復活の魔王を倒さないといけないんです」

 

 取引を持ち掛けたとき、「すぐ手に入る」と嘘をついた。そうでも言わないと、取引に乗ってもらえないと思ったからだ。

 

 確かに、どこにあるかも、どうすれば手に入るかも知っていた。

けれどそれは、簡単なことではなかったのだ。

 多大な犠牲を払わなくてはならない、魔王討伐という試練を乗り越えなければ、得られない宝なのだ。

 

 世界のあちらこちらで魔物の活発化は噂されていた。

 けれど、それと魔王復活という途方もない話を繋げて考える者など、ほとんどいない。それは、この千年間、ずっと平和が保たれていたからだ。未来永劫、現在のような平穏な時間が続くと、誰もが疑いを抱いていない。


「まるで、お伽噺だな」

 

 吐き捨てるように言って、エーヴァルトはリーネに背を向ける。

 そのまま行ってしまう気がして、リーネは跳ねるように立ち上がり、引き留めようとエーヴァルトの手を掴む。


「待ってください、嘘じゃ……」


 エーヴァルトは荒い仕草でリーネの手を振り払うと、きっと睨みつけるように振り向いた。深海色の瞳は怒りで燃えている。リーネはひゅっと息を呑む。言い掛けた言葉を失い、乱暴に振り払われた手はそのまま宙に留まる。

 だが、その手をエーヴァルトが素早く掴み、勢いよく引くと、近くの木の幹にリーネの体を打ちつけた。

 背をしたたか打ちつけたリーネだったが、その痛みよりも、エーヴァルトのひどい剣幕が怖ろしく、目が離せず、震えていた。片手を頭の上でねじり上げられるように固定され、もう片方の腕も動かないよう掴まれている。

 至近距離から睨みつけられ、リーネは震えるのを抑えられなかった。


(こわい——)


 エーヴァルトと過ごしてきた期間は、決して長くはないが、短いとも言えなかった。

 でも、その中で、彼がこれほどまで感情をむき出しにした姿は見たことがない。


「これ以上、俺に馬鹿げた法螺話など聞かせるな!」


 エーヴァルトの顔が間近に迫り、リーネは目を見張る。

 彼の顔は、リーネのすぐ真横にきて、その耳元に威嚇するような声で唸る。

 ぞくりとするほど、怖ろしい響きに、リーネは身が凍るような気がした。


「お前は愚かだ……血の誓約は、必ずお前の命を奪うだろう」

 

 吐き捨てるように言って、エーヴァルトは投げ出すようにリーネの腕を放す。

 とたんに、拘束が解け、ほっとするも、リーネは恐怖の支配する心をぐっと押し込め、去って行こうとするエーヴァルトに手を伸ばす。


「まっ——」


 黒いマントが翻り、広場から伸びる細い通路に向かっていく。

 声が出なかった。足も動かない。


(動いて! 追い掛けないと)


 自分の手足が思うように動かず、もどかしい。

 でも、それ以上に、胸が切り裂かれたように痛い。

 じわりと涙が浮かんだ。

 視界が滲み、黒い点となったエーヴァルトは、頭上に青、白、黄色の旗の掛かる通路の先に消えた。

 足の力が抜け、リーネは崩れ落ちるように地面に座り込む。

 震える手をどうにか動かし、顔を覆う。

 熱い涙が頬を伝い、次から次へ掌に落ちる。


「ごめ……ん、なさい。ごめんなさい」


 しゃくりあげながら、無意味な謝罪を繰り返す。

 そのとき、背後で何かの気配がした。

 リーネは緩慢な動作で振り向いた。

 刹那、視界が闇に覆われる。

 吐き気を催すような強烈な獣のにおいと、それに交じり合う眩暈を起こすほどの甘い香り。そして、荒々しい息遣い。急に息苦しくなり、意識が霞んでいく。

 あっと思ったときには遅かった。リーネは何者かに抱き上げられ、地面から足が離れた。

 現状を把握する間もなく、リーネは意識を手放した。



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