第29話 祝祭の日

「うわぁ……素敵ですね!」


 街に一歩踏み込んだリーネは、感嘆の声を上げた。

 雲一つない青い空の下、商業都市エーゲンは大いに賑わっていた。

 青、白、黄の旗が通りを彩り、往来する誰も彼もが浮かれたように笑い、言葉を交わす。

 街全体が祝祭一色に染め上げられている。


「今日から七日間は、ずっとこんな調子です」


 左隣に立つルーカスがげんなりした様子で説明する。


「僕は賑やかなのって苦手なんですよね……本当なら、来たくはなかった」


 後半はぼそっと聞こえないくらい小さな声だったが、リーネの耳にはしっかり届いている。


「それなら、研究室で待機していれば良かっただろう?」


 右隣には、輝くような微笑みを湛えたマルクがおり、当たり前のようにリーネの腰に手を回している。さりげなく距離を取ろうとしても、すぐに引き寄せられてしまうので、リーネは逃れるのを諦めていた。


「そう言いますがね、兄上。リーネさんを最初に我が領地にお連れしたのはこの僕ですよ? 街の案内だって、僕がすべきです。兄上こそ、こんなところにいて良いんですかぁ? パレードが始まるのでは?」


「リーネは私の客人としてこの地に留まってもらっているんだけどな。パレードまだだ。それに、パレードにはルーカス、君も参列するんだよ? まさか、また雲隠れしようなんて思っていないよね?」


「いっやだなぁ、兄上。まさか、僕がそんな真似するわけないじゃないですかぁ。あ、こんなところで立ち話しているわけにはいきませんよ。パレード前に、リーネさんをご案内差し上げなくては!」


 ごまかすように言うと、リーネの手を取り、歩き出そうとする。

 突然手を取られたリーネは、前のめりになるが、それをマルクの腕が抱き寄せるようにして体勢を整えさせる。

 左手をルーカスに引っ張られ、体をマルクにがっちりつかまれ、リーネは目を白黒させた。

 まるで子供が人形を取り合うようではないか。


「あ、あのぉ! む、無理です! 裂けてしまいますっ‼ どちらか、放してくださいませんか⁉」


 半泣きで懇願するように言うと、すかさず、第三の腕が伸びてきて、リーネを連れて行こうとしたルーカスの手首と、腰に回っていたマルクの腕をがしっと掴む。びっくりして腕を辿ると、そこには不機嫌そうに眉を寄せたエーヴァルトがいた。


「彼女は俺の連れですが?」


 凍るような声音で言い放つと、ふたりの腕を強引にリーネから引きはがした。


「あり——」


 礼を言い掛けて、口を噤む。

 マルクやルーカスの手前、ここでエーヴァルトに礼を言うのはあまりに失礼だ。

 見下ろしてきたエーヴァルトの深海色の瞳を見つめ、リーネは彼にだけにわかるようかすかに目礼した。



 吟遊詩人との邂逅から二日後、マルクからエーゲンで祝祭が開かれると聞いた。

 既にエーヴァルトからは聞いていたが。

 千年前、勇者のひとりであったアルミン・バーゼルは、魔王を討伐した後、王から、貴族の称号と、この豊かな領地を得た。彼の名を取り、この地にはバーゼルという名がつき、今も彼の子孫であるバーゼル侯爵家がこの地を治めている。


 この領地に名がついた日を祝い、千年もの昔から、脈々と続いているのが、勇者アルミンの祝祭だ。英雄であり、領主の祖であるアルミンと、この豊かな土地に感謝を捧げる祝祭である。栄華を極める商業都市エーゲンでの祭りとあって、この祝祭は大規模で、近隣諸国にもその名が知られている。

 七日間続く祭りには、海港や山を越えた国からも多くの人が詰めかける。


『せっかく、バーゼルにいるのだから、祝祭を是非楽しんでほしい』


 マルクにそう言われ、リーネの胸は躍った。だが、レーナは陰りのある瞳でこう言ったのだ。


『私は遠慮しておくわ。人ごみを考えただけで、眩暈がするもの』


 リーネは期待で膨らんでいた心が、急激にしぼむのを感じた。

 どうして、レーナはまたとない機会を大切にしないのだろう。この地にいるのは今だけかもしれないのに。


(みんなでいる方が楽しいのに)



 そうして、祝祭の初日の朝。

 リーネ達は普段以上に賑わうエーゲンの街にいた。

 初日の正午頃には、バーゼル侯爵家の面々が、馬車に乗ってパレードすることになっているらしく、それまでリーネを案内してくれるらしい。


 主要な通りには天幕を張った露店が並び、店主たちの呼び込みがあちらこちらから聞こえてくる。籠に山のように積まれた果物の数々に、吊るされた珍しい干し肉やソーセージ、甘い香りを漂わせる焼き菓子、色とりどりの石の腕輪に、様々な動物を模した木彫りの像、繊細な紋様を縫い込んだ布等々、目移りしながら歩いて行く。


「ねぇ、レーナ、これ!」


 薄い布に包まれた宝石のような飴玉を見つけ、レーナに教えようとして、横を見れば、そこには目を瞬かせるルーカスがいる。


「え? レーナさんはお留守番では?」


 きょとんとして問われ、リーネは苦笑して、頷く。


(あ、そうだった……)


 姉の好きそうな甘いお菓子を見て、リーネは目を伏せる。

 浮ついていた気分が、一気に萎えてしまう。


「お土産に買って行ったらどうかな? これを十個もらえるかな」

 

 リーネの肩越しにマルクが顔をのぞかせ、店主に声を掛けた。

 呆気にとられ、すぐ目の前にある端正な横顔を見上げる。

 初老の店主は、マルクの顔を知らないのか、「お客さん、太っ腹だねぇ」と応えながら、飴玉の包みを十個、受け渡してくれる。この街の人間ではないのかもしれない。

 マルクは魅力的に微笑み、懐から出した貨幣を払い、礼を言った。

 それから、リーネに優しく笑みを向ける。


「これは館に運ばせるよ」


 背後に控えていた従者がすかさず現れ、飴玉の包みを受け取った。

 あまりの手際の良さに、ただ成り行きを見つめていたリーネは、はっとして、改めてマルクを見る。

 マルクはレーナの土産を購入してくれたのだ。しかも十個も。


「お、お金! お支払いします! おいくらでしょう⁉」


 マルクの用意してくれた簡素ながら、上品な緑のドレスには不釣り合いだが、リーネは肩から自分の革鞄を掛けていた。その中に手を入れ、慌てて財布を取り出そうとするも、その手をやんわり止める手がある。マルクは、リーネの手に触れ、優しく握った。


「私が勝手にやったことだよ。気にしなくていい。それより、もっと見て回ろう。残念なことに、時間が限られているからね」


 片目を瞑って見せるマルクに、リーネは息を呑んだ。

 その仕草がとても魅惑的だったからだ。

 マルクに握られた感触を、急激に意識し、とたんに頭に血がのぼる。


「わー……兄上って、油断も隙も無いですよね。そうやって、リーネさんの株を上げようとなさっているんですよね、わかります。小賢しい兄上のやりそうなことだ」


マルクとリーネの間をこじあけるようにして、にゅっと割り込んできたのは半眼のルーカスだ。


「人聞きが悪いな、ルーカス。他意などあるわけがないじゃないか」


 きらきらと微笑まれ、リーネは言葉を失う。

 時々、マルクの微笑みが怖く感じるのは気のせいだろうか。

 マルクとルーカスが睨み合う中、背後からエーヴァルトの盛大なため息が聞こえた。




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