第24話 泣き落とし

「エーヴァルトさん、ちょっとお話が」

 

 朝食を終え、レーナが部屋に戻ったのを確認してから、庭園へと繋がる扉に手を掛けたエーヴァルトに、走ってきたリーネは、呼吸を整えながら声を掛けた。エーヴァルトはさして驚いた様子もなく、肩越しに振り返る。


「話?」


「はい。ここでは何なので、お庭ではどうですか?」


 おずおずと言うと、エーヴァルトはわずかに眉を寄せたものの、扉を開けて脇に寄り、リーネを先に通した。


 真四角の生垣に囲われた庭には、青、白、黄色の花々が規則正しく植えられ、中央には円形状の噴水が白い飛沫を上げている。全体的に、落ち着いた雰囲気に見えるのは、花々の色合いのせいかもれない。赤や桃色などの華やかな色彩の花が一切見えないのだ。エーヴァルトより先に歩き出したリーネは、顔を巡らし、小首を傾げる。


(彩に乏しいお庭)


 どうせならば、色とりどりの花を植えたら良いのに。

 耳に心地よい噴水の音を聞きながらそんなことを考えていると、いつの間にか隣に立っていたエーヴァルトがぼそりと言った。


「バーゼル侯爵家の旗の色だ」


「旗の……?」


「青、白、黄だったろう?」


 そう言われれば、ルーカスに城に案内されたとき、高々と掲げられ、風にはためいていた旗は、両側が青、真ん中が白。その中央に黄色で太陽を模した形が描かれていた。

 なるほど、それでと納得しているところに、エーヴァルトがまた口を開く。


「で、話っていうのは?」


 いきなり本題に入られ、リーネはまごついた。

 リーネがエーヴァルトに話さなくてはならないことは二つある。

 ひとつは、蒼きリントヴルムの涙の在処。

 もうひとつは、レーナの今後についてだ。

 でも、今は取り急ぎレーナのことついて話そうと思ってエーヴァルトを追いかけたのだ。


 蒼きリントヴルムの涙については、エーヴァルトの機嫌を損ねることになりかねないので、時期を見て話そうと思っていた。そうはいっても、そう先延ばしにできないことはリーネ自身よくわかってはいるのだが、まずはエーヴァルトに大幅な譲歩をしてもらわなくてはならないレーナのことを話すべきだ。

 マルクの館を出ればすぐにでも、浮上する問題なのだから。

 けれど、レーナのことで交渉するのは気が重かった。


 リーネには何一つとして交渉できる材料がないからだ。ただ、素直な気持ちを話して、情に訴えるしかない。

 リーネは、エーヴァルトに向き直り、背筋を伸ばす。エーヴァルトはやや面食らい気味ながらも、リーネの真正面に立つ。

 顔を上げ、まっすぐエーヴァルトを見つめる。


「あ、あの、レーナの……姉のことなんですけど。エーゲルに、レーナをひとり置いていくことはできないです。私たち生まれてからずっと一緒で、レーナを残していくのは、私……平静でいられないと思うんです。だ、だから——」


「病弱な片割れも、過酷な旅に連れて行きたい。そう言いたいんだな?」


 すっと細められた深海色の瞳に、リーネは息を呑んだ。

 決して射るような瞳ではない。けれど、彼の発する威圧感が怖かった。

 思わず、俯き、返事ができないでいるリーネの頬に、エーヴァルトの手が伸びてきて、上向かされる。またも彼の瞳をまともに見てしまったリーネは、身も凍るような気がした。


(怒ってるっ……私が勝手だから)


 二人の交わした取引は、エーヴァルトが姉妹を逃がす代わりに、リーネが蒼きリントヴルムの涙の在処を教えること。

 エーヴァルトは、既に姉妹を聖女の園から、生贄の儀式から逃がしてくれた。

 だが、レーナはまだ蒼きリントヴルムの涙の在処について何一つ伝えていない。本来であれば、もう教えていてもおかしくはないのに。在処がわからなければ、この先の道筋が立たないのだ。


(でも、レーナをひとり置き去りになんてできないよ。私たちはたったふたりの家族だもの)


 現実問題、過酷な旅にレーナを連れて行くのは悪手なのかもしれない。


(離れ離れなんてダメだよ……でも、どうしたら)


 どう言えばエーヴァルトを説得できるだろうと必死で考えているうちに、いつの間にか視界が滲んでいた。答えの出ない問題に、思っていた以上に追い詰められていたようだ。


(ああ、ダメ……泣いちゃ、ダメ)


 涙を止めたくて、目をぎゅっと瞑った時、頬に触れていたエーヴァルトの手がすっと離れた。でも、すぐ目元に、温かい指がぎこちない仕草で押し付けられる。

 驚いて目を開けると、そこには困ったように視線を外す、エーヴァルトの顔があった。


「わかった。馬車でもなんでも使えばいい。だから……泣かないでくれ」

 

 エーヴァルトは軽く息を吐くと、リーネの目元を親指で拭い、ぱっと手を放した。

 それから、これ以上顔を見られまいとするように、くるりと背を向ける。


「あいつらが、晩餐会やら祭りやらあるからそれまでどうかと。断れないよう先手を打たれた。出発はそれ以降だ。それまで、十分体を休めておいてくれ」


 淡々とした口調で、それだけ言い置くと、エーヴァルトは庭園の奥へとずんずん歩いて行ってしまった。

 リーネはぽかんとしたままその姿を見送った。

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