第20話 口は禍の元

「なるほどな……礼をしたかったと」


 豪勢な食事の並ぶ、ゆうに二十人は座れる卓にリーネ達は座っていた。

 ヤンが歓迎の晩餐会を開くというので、用意されたドレスに着替え来てみれば、思ってもみない豪勢な食事で、リーネ達ではおよそ食べきれそうにない量だった。緻密な彫刻を施された銀食器に、見るからに高そうな大皿。山のように積み上げられた果物の数々に、肉の丸焼き、穴空きチーズ等々、見ているだけで涎が垂れそうなほどの、祝祭に並ぶような食事だ。


 それを前にして、ヤンがエーヴァルトを護衛に雇った真の理由を語ったのだ。


「だまし討ちの様になってしまい申し訳ない。けれど、お礼をしたいと申し上げたところで、あなた方が来てくださるとは思えなかった。だから、苦肉の策というわけです」


 にっこり微笑むのは、綺麗な衣に身を包んだヤンだ。白色の騎士服は、金の刺繍で煌びやかで、髪は道中と違い、つややかに輝き、光の加減では灰色の髪が銀髪のようにも見える。


「それでは改めて。僕は、ルーカス・フォン・バーゼル。バーゼル侯爵の不肖の三男坊です」


 優雅に立ち上がり、胸に手を当て、頭を下げる姿は流れるようで美しい。

 つい見とれていたリーネだったが、彼の名を聞き、はっとして、思わず大声を出し、白いテーブルクロスの上に手をついて立ち上がる。


「ヤンさんじゃない、のですか⁉」

 

 彼はヤンと名乗ったはずだ。

 顔を上げたヤン——ルーカスは、眉を上げてから、悪戯っ子のような目をリーネに向ける。


「お忍びで外出するときは、ヤンと名乗ると決めているんですよ」


「偽名だったんですね……」

 

 ヤンと認識して十日あまり。まさか、偽名だったとは。リーネは認識を改めねばと、自分に言い聞かせながら、すとんと腰を下ろす。


「はい。僕の敬愛すべき、大魔導士殿から拝借した名前なんですよ。良い名前でしょう?」


「で、その侯爵令息さまがどうしてあんな森に?」

 

 胡散臭いものを見るような目をするエーヴァルトに、ヤンは笑みを消した。


「昨今、魔物が活発になっていると耳にしましてね。これは闇の大暗黒時代の幕開けではないか‼ と……ワクワク……いえ、心配になりまして。エルベ村付近の森に、魔物が現れるとの噂を聞きつけ、喜び……でなくて、これは一大事だ! と出向いたわけです」


「……。それで、やられたわけか」


「ははは。お恥ずかしいかぎりですよ! 全く、ははは!」

 

 腰を下ろしたルーカスはわざとらしく眉を寄せ、目を伏せるも、全く悪びれた様子がない。


「だが、なぜ王子が碌に護衛もつけず、魔物退治なんかに? お抱えの騎士団にでも行かせればよかっただろう」


 エールの並々と継がれた杯に口をつけ、エーヴァルトが問うと、ルーカスはぱっと顔を上げ、鉛色の瞳を輝かせる。


「いやぁ! それはですね‼ 魔物がなぜ活発になったのかの調査に出向いたんですよぉ! 決して、討伐しにいったのではないんです。何が彼らを駆り立てるのか——強大な黒魔法の力か、もしくは新種の魔石の影響か——そういったものの気配が森にないか調べるつもりでした。なにせ、魔物がこんなに暴れるのは、この千年間なかったことですからね! 僕はこの目で見たかったっ! 歴史を目の当たりにしたかったんですよっ。だって、大暗黒時代には古き魔法が——」


 まだ続けようとするルーカスの声を遮るように、エーヴァルトは相槌を打った。


「わかった。そうだったな……バーゼル侯爵不肖の息子〈魔術士ルーカス〉。……噂に違わぬ魔術かぶれだ」


 最後の方は聞き取れないくらい小さかったのだが、リーネの耳には届いた。


「まあ、そういうわけでして、ね。そんな折、あなたがたに命を救っていただいたわけです。だから、城にお招きして、最大級の礼を尽くすべきだと思いまして。ここは、僕の住む別館ですし、お急ぎでなければしばらくご滞在ください」

ルーカスはなぜかリーネを見て首を傾げるようにして微笑んだ。


 そのとき、今まで黙って一口サイズの果物を口にしていたレーナが、がしゃんとフォークを皿に落とした。その音に、扉の前で彫像のように直立不動で立っていた衛兵も驚いたようにレーナを見た。給仕は既に退出している。みんなの視線を一身に集めたレーナは、氷のように冷たい碧玉の瞳をルーカスに向けた。


「ルーカス様、リーネに色目を使うのはおよしください」


 一瞬、言葉の意味が呑み込めず、その場にいる全員が止まる。

 が、姉が不敬を働いたと気づいたリーネは隣のレーナの口をがばっと塞いだ。

 今まで、姉の口を塞いだことなど一度としてなかったのだが、とっさに手が動いたのだ。


「も、申し訳ございませんっ‼ 姉はちょっと疲れているようでして!」

 

 領主様に対する礼儀などわからない。けれど、失礼にあたることを口に出せば、首を切られてもおかしくはない。


「そうですよね。か弱いレディには骨の折れる長旅でしたからね」

 

 気にしたふうもなく、ルーカスが頷く。

 ほっとして、姉の口から手を放すが——


「疲れてなどおりませんわ。私はただ、忠告差し上げているのです。リーネに近づくな、と」


「レーナ⁉」


「リーネによからぬよこしまな想いを抱くようであれば、姉の私が黙っておりませんから。リーネは私の大切な妹なのです。どこの馬の骨とも知れぬ男に、手を出されてたまるものですか」

 

 そこにいる誰もが絶句し、上品で可憐な可愛らしい顔がにこりともせず、辛辣な言葉を捲し立てるのを聞いていた。

 止めなくてはならないリーネでさえ、馬鹿みたいに口を開けて、姉の言いたい放題の暴言に呆然としていた。今まで、レーナがこれほど失礼な物言いをしたことがあっただろうか。どうしたのだろう。本当に疲れてどうにかなってしまったのか。


 しかも、どこの馬の骨とはおおよそ、血筋の明らかな侯爵家にとうていそぐわない悪口である。

 ようやく口を閉じたレーナはかすかに勝ち誇ったような色を瞳に浮かべ、上気した頬に手を当てた。


「あら、少し話しすぎましたわね」

 

 気恥ずかしそうな声音に、リーネはやっと意識を取り戻し、周囲を見回す。

 無関係を決め込み、杯に口をつけるエーヴァルトに、目を瞬かせるルーカス。きょとんとした表情の衛兵二人。


「き、貴様……! ルーカス様になんて無礼な口をっ‼」

 

 一番早く立ち直ったらしい衛兵の一人が、レーナに駆け寄ろうとするのを、ルーカスは手で制す。


「し、しかし、ルーカス様っ‼」


「下がってください」

 

 衛兵はレーナを睨みつけながら、渋々引き下がる。

 ルーカスは優し気な面立ちに、魅惑的な微笑みを浮かべた。


「あなたはリーネさんの騎士ナイトなのですね? ずいぶん美しい騎士だ。申し訳ない。でも、色目を使っている気などさらさらなかったのですよ! どうも、僕にはリーネさんが伝説の聖女クリスティーネのように見えてしまって。ついつい目が行ってしまうんですよ、不可抗力ってやつです。ただ見つめるだけなら、許していただけないでしょうか?」


「却下いたしますわ」


「ははは。これは手ごわいなぁ!」


 ルーカスは苦笑して、今度はリーネを見る。

 リーネはドキリとして、目を逸らした。


「とりあえず、仕切り直しましょうかね。さあ、バーゼル伝統の料理の数々です! どうか、温かいうちにお召し上がりくださいね」


 そうして、気まずい空気の流れる中、晩餐はどうにか進んでいった。





 食事を終え、ルーカス自ら先に立って、客間に案内するために、赤い絨毯の敷かれた廊下を歩いていると、前から数人の集団が歩いてきた。


 先頭には初老の白髪頭の男だ。髪は短く刈り込み、右目には大きな傷が縦に走っている。体はエーヴァルトよりも大きく、いかにも武人らしい風格を備えていた。

 背後には見覚えのある二人の騎士——ドミニクとゲルトを従えている。騎士服に身を包んだ三人が歩いてくると、幅のある廊下も窮屈に見えた。


 壁に備え付けられた燭台の炎が揺れる。

 ルーカスの姿を認めると、大股で歩いていた男たちは、膝をつき、頭を下げる。

 だが、初老の男はすぐに立ち上がり、眉間に深い皺を刻む。


「ルーカス様、困りますぞっ! また勝手に騎士団の者を私兵のように連れ出すとは」 


 しわがれた声だが、弱々しい感じは受けず、むしろ勇ましい貫禄さえある。


「しかも妙な魔術で我らの目を欺くとはっ……ドミニクもゲルトも気づけば森の中だったと。背中には大きな傷跡があるというではないですかっ」


「ははは。あの傷で術が溶けてたんですね? うっかりしていたなぁ。ふたりとも黙りこくっているので、てっきりまだ術中かと」


 何の悪気もなさそうに頭を掻くルーカスに、初老の男が歯噛みする。

 背後のドミニクとゲルトは顔を見合わせ、聞こえないくらいのため息をついた。


「騎士団の寮には、二人の名の彫られた土人形が我が物顔で」


「でも、気づいたのは、二人が戻ってからでしょう? それまで、人形を本物と疑わなかったはず」


「ぐぬぬっ……!」


 音がするほど歯を食い縛り、男は怒りを堪えようと必死だ。


「あ、失礼しました。こちら、我がバーゼルが誇る騎士団長クヌート殿です。クヌート騎士団長殿、こちらは僕たちの命を救って下さった旅のお方です」


 クヌートの怒りは何のその、口元に余裕の笑みを湛えた顔でルーカスは紹介を始める。

 傍から見ているリーネの方が、戦々恐々だ。しかも、話を振られてしまい、どうにか頭を下げる。だが、その名前に聞き覚えがあり、リーネは顔を上げ、しげしげとクヌートを見つめた。頭にある言葉が過る。


「裏切りの騎士クヌート」


 息を呑んだのは誰だったのか——

 リーネははっとして、目を瞬かせる。


(あれ……私、今なんて?)


 口元に手を持っていくと、唇は開いたまま。まずい。口に出した。

 慌てて周囲を見ると、驚いたように目を見張るルーカスと、硬直する騎士二人、そして、目を剥き、腰の剣に手を掛けたクヌートがいた。顔は真っ赤で、鬼の形相をしている。


「何たる侮辱っ‼ ひっとらえろー‼」


 叫ぶようなその声に、ルーカスが止めに入る間もなく、リーネはすっ飛んできたドミニクに背中で腕を縛り上げられ、あっけなく捕まった。


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