第21話 地下牢、麗しの精霊使い
薄闇の中、壁にある唯一の燭台の蝋燭は、わずかな範囲しか照らし出してくれない。
堅い石の床は、肌がジンジンするほど冷たい。灯り取りの窓もない地下牢で、リーネは膝を抱え、隅で蹲る。
簡易な寝台にはレーナが座り、鉄格子の正面の壁に背を預けたエーヴァルトが片足だけ立て、その上に腕を乗せる体勢で、目を瞑っている。
「ごめんなさいごめんなさいごめんなさい」
もうゆうに百は超えたであろうリーネの謝罪の声が響く。
「いいのよ、リーネ。私はむしろ良かったと思っているわ。あのいけ好かないルーカス様の用意した部屋に泊まらなくてすんで」
「謝るな」
リーネの不用意な発言によって、騎士団に捕まり、今やランツヴェーダー城の地下牢に押し込められたエーヴァルトとレーナは、謝罪を繰り返すリーネを決して責めない。むしろ少しくらい責めてくれた方が気が楽なのだが。とはいえ、不用意発言に対しては、何も聞いてこないものだから、相当怒っているのではないかとも思う。聞かれたら弁明しようと思っているのに、一向にそのことに触れてくれないのだ。
(何てこと言っちゃったんだろう)
口にしてしまったのは、律の記憶にあったフレーズだ。
——裏切りの騎士クヌート。
ゲーム内でその言葉を何度も目にしていたから、律の記憶に深く刻まれていて、つい口をついて出てしまったのだ。
立てた膝に顔を埋め、自分の愚かさを呪ってうなだれているとき、カツンカツンという足音が聞こえて来た。それは地下牢の廊下に反響し、何度も繰り返しながら、どんどんと大きくなっていく。誰かがやって来るのだ。
リーネは顔を上げ、耳をそばだてる。
ルーカスだろうか。無理矢理騎士団に引っ立てられるとき、ルーカスが「あわわ! きっと、どうにかします! たぶん!」という頼りない言葉をかけてくれたのだ。実に心許なかったのだが、彼もこの領土を治める領主の息子である。信じていいのかもしれない。
足音は最高潮になり、ぼおと輝く橙色の光が鉄格子の前に浮いた。どうやらカンテラらしいそれを、牢屋の中を見ようとするかのように、高く掲げているようだ。眩しい光に、リーネは目を細める。
「弟の命の恩人というのは、あなた方でしょうか?」
穏やかな調子の声が響く。ルーカスの声ではない。それに彼は、弟と言っている。リーネはエーヴァルト、レーナと目を見合わせ、それから声の主を改めて見つめる。
彼は足元にカンテラを置くと、膝をつき、胸の前に手を当てた。
「ルーカスが大変お世話になりました。命の恩人を、こんな冷たい牢獄に追いやるなど、人の所業ではありません……どうか、お許しください」
彼は頭を深く下げた。
「では、今すぐ出してくださいますの?」
レーナが問うと、彼は上体を起こし、躊躇いがちに口を開く。
「それが……今すぐというわけにはまいりません。あの……『裏切りの騎士クヌート』と仰ったのは、あなたでしょうか?」
「いいえ」
レーナが苛立ちを孕んだ声で返すと、彼は隅にいるリーネに顔を向けた。
「では、あなたが?」
「は、はいっ、私でございます! も、申し訳ないことでございます‼ 大変ご無礼なことを口走ってしまいっ‼ で、でも、本心からではないというか、えっと……その」
しどろもどろになりながら謝罪の言葉を並べ立てるが、どんどん尻すぼみになっていく。そもそもこの人に謝ったところでどうにかなる問題でもない。
「その件で伺ったのです。クヌートが裏切ると、あなたはどこでその情報を?」
「へ? 情報……?」
彼はリーネに一番近い位置まで移動すると、片膝をついてしゃがみ込む。マントが床に広がった。
「出所を明かしていただきたい」
出所と言われ、リーネは困った。
なにせ、リーネの情報は、「リントヴルム・サーガ」をプレイして得た律の情報なのだ。
マルクを主人公に選ぶと、物語のはじめに、騎士団長のクヌートが謀反を起こそうとするというイベントがある。それを上手く阻止しないと、ゲームオーバーになるくらい重要なイベントで、マルクの旅を途中でやめてしまった律さえも、通った道だった。
「えっと……私は、ちょっとした未来が見えたり見えなかったりすることがあって、それで見たんです。確か、領主様が不在のときでした。その間に、クヌートさんが率いる騎士団が反逆を起こし、領土を乗っ取るんです。領主様は急いで戻って来るのですが、帰途に少数精鋭の騎士たちに襲われて……マルク……様も、ちょうど国境の視察に出ていて」
クヌートに
「まさか、先読みの……?」
リーネは頷きかけて、やめた。先読みの力を持つ者は例外なく先読みの園に住んでいるのだ。ここで知られれば、また戻されるかもしれない。
「そうですか……もともと、秘密裏に探っていたのです。ですが、確固たる証拠が出て来ず……でも、今、確信しました。私は来月に、国境への視察を予定しておりました。そのとき、父も他国に出る予定があります。弟二人が留守を任させることになっていたのですが……」
リーネは目を瞬かせる。では、目の前にいるのは——
「申し遅れました。私は、マルク・フォン・バーゼル。以後、お見知りおきを」
マルク・フォン・バーゼル。
「リントヴルム・サーガ」の主役の一人。今ここに、二人の主役が揃ったのだ。リーネは、彼の姿をよく見ようと、目を凝らす。
今は彼の髪や目の色はおろか、顔立ちも判然としない。
「あなたのお名前をお聞きしても?」
マルクだとわかれば、リーネは無条件で彼を信用してしまう。
「私はリーネです。そして、寝台に座るのが私の双子の姉のレーナ。そこにいるにがエーヴァルトさんです」
「なるべく早く手を打ちます。どうか、それまでは……では、失礼します」
マルクは床に置いたカンテラを掴むと、元来た廊下へと消えてしまった。しばらくはカツンという音が木霊していたが、そのうち耳の痛いほどの静寂が戻って来た。
「……嫌な予感がするわ」
レーナが自分の体を抱き締めるようにしながら、ぽつりと呟いた。
「すぐ出られないってこと?」
不安になってレーナを見ると、首を横に振っている。
「いけ好かない男三号の気配」
「何、それ」
エーヴァルトがわずかに身じろぎする。
「エーヴァルトさんはどう思います?」
「さあな」
そっけない返事に、リーネは困惑する。エーヴァルトの見解が聞きたいのに。
「マルク……様、すぐ動いてくれるでしょうか……」
「〈精霊使いマルク〉の実力は知らない」
エーヴァルトが聞き慣れないことを言うので、リーネは這うように近づいた。
「精霊使い?」
ゲーム内では聞いたこともない異名だ。
エーヴァルトはちらりと真顔のレーナを一瞥してから、興味津々のリーネに目を落とす。
「バーゼル侯爵の息子は三人。長男のマルク、次男のオスカー、三男のルーカス。それぞれ、〈精霊使い〉〈仮面騎士〉〈魔術師〉と呼ばれているそうだ。詳しいことは知らない」
「揃いも揃って、怪しさ満点の異名ですわね」
レーナの辛辣な言葉に苦笑しつつ、リーネはマルクを精霊を重ねようとして、小首を傾げる。確か、マルクは城にいる魔術師から密かに魔法を習っているという話があったはずで、魔術師のほうがしっくりくるのだが。
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