第22話 マルクの館
眩しいほどの朝日が目を射抜く。
ずっと闇の中にいたリーネは、穴倉から出て来た冬眠明けの動物のような気分になる。
日に輝くさらりとした金色の髪に、すらりとした長身。時折、振り返って見せる碧眼には、美しい光が宿っている。あまり日に焼けていない白い顔に、すっと伸びた鼻。目尻のやや下がった優し気な目元。どこか儚げな印象を受けるその姿は、まるで絵画から抜け出て来たかのような、端正な顔立ちだった。弟のルーカスも整った顔をしていたが、それ以上だ。
香水をつけているのか、ほのかに花のような香りを漂わせている。金の髪の上にも、なぜか光の粒が舞っているように見えた。
「あんな場所では良く眠れなかったでしょう? 部屋を用意させています。朝食後は、ゆっくりと休んでください」
マルクは思った以上に早く戻って来た。
夜中の間に、全て片を付けたらしい。一体どうやったのかは、怖くて聞けなかった。
にこやかに、「すべて済みました。ご安心ください」と言われれば、それ以上何も聞けなかったのだ。
青い騎士服に身を包んだマルクが先に立って、彼の住む別館に案内してくれている。
背後には、マルク付きの騎士や、これからリーネ達を世話する侍女たちが続いており、ぞろぞろと屋根付きの外廊を歩いて行く。
豪奢な館につき、手ずから、客間の扉を開いたマルクは、侍女たちに目配せする。 侍女たちは頭を下げ、エーヴァルトとレーナに声を掛け、それぞれの部屋の扉へと連れて行く。
(あれ?)
リーネが二人を見ると、レーナが射るような視線をマルクに向け、エーヴァルトは眉根を寄せて、マルクとリーネを交互に見、顰め面になる。
だが、ふたりは侍女に促され、渋々部屋へと入っていった。
「さあ、リーネさんはこちらです」
にこにこと笑みを浮かべながら、マルクは手で室内を指し示す。そして、もう片方の手で、リーネの腰に手を回した。
「ひゃっ‼」
思わず悲鳴を上げるも、マルクは気にしたふうもなく、リーネを中に招き入れた。
扉がバタンと閉められる。どうやら先程リーネの背後にいた騎士たちが閉めてしまったようだ。一人用にしては広すぎる部屋だった。床から天井まで届く大きな硝子窓が二つ、その間の壁になっている部分に天蓋付き寝台が置かれ、鏡台や書き物机、円卓まで揃っている。全てが最高級の木材で作られ、細部には精緻な彫刻がなされていた。ベルベッドを使用した布張りの長椅子に、半ば強制的に座らされると、マルクはリーネの前に膝をついて、頭を下げる。
「あ、あの、顔を上げてく——」
「あなたのおかげで、危機は去りました。何とお礼を言えば良いのか……」
マルクは顔を上げ、リーナの手を取る。温かく、思いの外大きな手が、リーネの手を包み込み、きゅっと握った。輝くような碧い瞳が、リーネをまっすぐ見つめている。間近に綺麗な顔があり、リーネの心臓が早鐘を打つ。
「そんな、めっそうもないですっ」
「いいえ、あなたは私たちにとって、聖女クリスティーネに匹敵するほどの存在です」
「ク、クリスティーネ、ですか?」
またも飛び出した伝説の聖女の名前に、リーネは唖然とする。
なぜ、自分が伝説の聖女と比べられるのだろう。
「ルーカスが言っていたんです。あなたがクリスティーネのようだと。私と弟は昔から、クリスティーネの物語がお気に入りで。あなたは弟の命を救ってくださった。そして、今度はこのバーゼルを」
あまりに大袈裟な物言いに、リーネは面食らってしまう。
マルクもルーカスも、伝説の聖女の名を気安く使い過ぎだ。
(私、そんな立派な人間じゃないのに)
エーヴァルトに平然と嘘をつくような、あさましき人間なのだ。
さっと心に影が差し、リーネが黙り込むと、マルクは優しく微笑む。
その顔が、ルーカスと似ていて、やはり二人は兄弟なのだと感じた。
「マルク様とルーカス様はやはり似ていらっしゃいますね。笑うと特に」
思ったことをそのまま口に出すと、マルクはきょとんとして目を丸くしたが、すぐに困ったように眉を寄せ、目を伏せる。
「似ていますか……? 血は半分なのですが」
「半分?」
「はい、母が違うもので」
マルクはリーネの手を放し、立ち上がった。
「朝食は部屋に運ばせます。長旅だったと聞きました。昨晩は地下牢でしたしね」
もうこれ以上、弟の話はすまいという意思が感じ取れ、胸の中がざわついた。触れてはいけないことに触れてしまったのだろうか。何か言わなければと、立ち上がるが、既にマルクは扉を開け、出て行こうとしている。
「あ、あの……私、何かお気に障るようなことを……? も、申し訳ございませんっ‼」
勢いよく頭を下げると、ふふと笑う声が聞こえ、顔を上げる。
口元に手を当て、マルクが笑っている。
「いいえ。逆ですよ。弟と似ているところがあるなんて、照れるじゃないですか」
「え……じゃあ」
「長く女性とふたりきりだと、妙な噂を立てられるので。もっとも、あなたとなら大歓迎ですが」
マルクは優雅にお辞儀をすると、扉を静かに閉めた。
しばし、ぽかんと扉を見つめていたリーネは、気が抜けたようにソファに腰を下ろし、しばし黙って目を瞬いていた。
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